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なぜ、”音楽×web3”が最強なのか

※追記 2024/4/22

『web3コミュニティからヒットアーティストを生み出す』

というコンセプトで、web3コミュニティとNFTを活用してアーティストを育てるプロジェクト「Crypto Ninja Records」プロデューサーのMt.Blueです。

僕は今まで10年ほど音楽を生業としてきて、一度コロナで仕事を失い、どん底を味わいながら、web3業界に入りました。

なんとか活路を見出そうとした結果思ったのが、

『音楽×web3は最強』ということ。


音楽×web3が最強な理由


以前僕は以下ツイートで、
音楽の本質は『シェア×身内ノリ』という話をしました。

音楽で生きていくには、現実問題”売り上げ”が必要で、
その売り上げを生み出すには「シェア×身内ノリ」が必要です。

でもこれ、本来ある程度売れないと出来なかったんですよ。

「好きな曲を共有できる仲間」なんて、売れてるアーティストの曲でなければ生まれなかったんです。

この”ある程度売れる”がいかにハードルが高いかは想像に難くないと思いますが、実際はその想像の100倍高いです。

だから、ほとんどの人が夢破れて散っていく。

しかしweb3は、ここを根底から覆す可能性を秘めています。

それは、web3コミュニティとNFTを活用すれば、

売れる前から「シェア×身内ノリ」を生み出せるからです。

これが本当にやばい。
僕はこれ革命だと思ってます。

でもこれ、もちろん簡単ではないです。

確かな実力と、作品のクオリティはもちろん、
応援してもらうに値する熱い想いは必須です。

でもこれ、本当に人生かけて本気で音楽をやってきたアーティストなら、結構みんな持ってるものじゃないですか?

それなのに、運という残酷な魔物を前に、そういうアーティスト達が散っていく。

web3は、そういう本気のアーティストが、

今この運という魔物に抗う唯一の手段かもしれない。

僕は運の正体=試行回数だと思っていて、

ここでいう「試行回数」というのは、いい曲を何曲も、売れるための最大限の努力をしつつリリースし続けること。

こうして試行回数を積み重ね続けるには、とてつもない精神力とお金が必要で、主にお金が無いことによる疲弊で精神を削られ辞めていく人がものすごく多い。

しかしこのプロセスの部分を、NFTを活用して応援できる。

そして、規模が小さい状態からでも、

「シェア×身内ノリ」状態を生み出していける。

ここが革命的なポイントです。

だから、『音楽×web3』は最強なんです。

アーティスト以外の道は?


ここまでは、「アーティストとしてファンを獲得して生きていく」という道にフォーカスして話してきましたが、

もちろん、バンドやアーティストでダメだったとしても、
実力があれば作曲家・演奏家(スタジオミュージシャン)などの仕事という道はあります。

でもこれ、マジで食えないのでオススメしません。
正確には、”これ一本に絞るのは”マジでオススメしない。

これ、自分で経験してきた上で言ってます。

理由は色々あるんですが、

・リスクや必要設備のわりに、平均的に報酬が安すぎる
・いわゆる労働集約型ビジネスなのでスケールしない
・これからの時代、需要の減少は目に見えている

など色々あります。

ただ、勘違いしないで頂きたいのは、僕はこういった仕事自体を否定してるわけではありません。

むしろ実力も実績もつくのでやったほうがいい。

現に僕は今でも作曲のクライアントワークを続けていますし、ありがたいことにそれなりの単価を頂いております。

こうしてお仕事を頂けることは本当にありがたく、とても感謝しています。
なので、クライアントワークが悪いというわけでは決してない。

ただ、これだけで生きていけるとは思うのは危険だよという話です。

だからこそ、クライアントワークで実績を積みながらも、アーティストになるとか、プロデュース側に回るとかで、
ちゃんとスケールしていくものをメインに置いた方がいい。

だから『音楽×web3』で、『シェア×身内ノリ』を作っているわけです。

歪な既存の音楽業界

「音楽で食っていくのは至難の業」というのは、なんとなく想像できるかと思いますが、
その辺って、実態はどうなってるの?というのをここからは話していきます。

けっこう闇が深かったり、業界の構造がもうどうしようもない状態だったりします。

その辺を、これまでの経験談も交えて語っていきたいと思います。

音楽で食えなかった話


僕は一応、報酬を貰って曲を作ったりギターを演奏したりという仕事をしてはいましたが・・・。

冒頭で、「音楽を生業としてきて10年」とかイキって書いてたけど、その10年間、音楽だけで食えてたわけではありません。

”音楽のプロ”って定義が本当に曖昧で、
人によって意見が違うんですが、

いわゆる”音楽だけで十分食えてる人”というのはめちゃくちゃ少ないのが現状です。

作曲家だけど収入の半分はバイトだったり、副業やってなんとかなってたり、そもそも作曲が副業で普段はサラリーマンしてたりみたいな人が想像以上に多い。

演奏家はもっとやばくて、業界でそこそこ名の知れた実績のあるプロですら、ライブやレコーディング等の演奏だけで食えてる人は殆どおらず、講師業とか色々やりながらなんとか生きてる人が9割以上。

アーティストやバンドなんて、フルタイムでバイトしながら赤字で活動してるのがほぼ99.9%です。動けば動くほどマイナスで、経済的な構造は趣味のアマチュアと変わらない。

これが音楽家の現状です。

web3に参入する前の僕でいうと、

「バンドでメジャーデビューしたけど売れなかったから作曲家&演奏家になって、でも収入の半分以上はバイト」状態でした。

バンド時代の話

今から10年以上前、2013年にバンドでメジャーデビューしました。
大阪の某音楽専門学校時代に結成したバンド。

デビュー前は大阪のインディーズで、活動費で赤字を垂れ流しながらライブハウスで月に何回もライブしてたようなバンドでした。

メジャーデビューと言うと聞こえは良いですが、実態はそんな華やかなものではありません。

メジャーデビューとは、
「アーティスト」×「レコード会社」×「所属事務所」の三者で契約を結ぶんですが、

この中でも大きく分けて、

・専属契約
・ワンショット契約

の二種類があります。

専属契約は、いわゆる皆さんがイメージしているような華々しいメジャーデビューで、大手レコード会社の専属アーティストとしてデビューします。

生活に困らないレベルの給料は出ますし、恵まれた制作環境を用意され、プロモーションの予算も出るので、音楽活動に専念しつつメディアへの露出も期待できます。

もう一方の、ワンショット契約。
これは、シングル1枚単位で契約するパターン。

「1枚目のシングルがある程度売れれば、次のシングル作ったってもええで」というのがこのワンショット契約です。

ちなみに僕のバンドはこっちでしたw

給料なんて当然出ず、プロモーション予算もほぼ無し。
スタジオ代やライブの経費なども全部自腹。

たまにレーベル所属の先輩方が出るライブイベントに前座でバーターとして出るのをプロモーションと呼び、現場までの交通費等はもちろん自腹。バーターなのでもちろんノーギャラ。

事務所「自分らでライブハウス集客してシングル売ってこいよ~。あ、ちなみに売り上げはこっちで貰うね~」

という感じなので、デビュー前と同じくバンド活動が収入になることはない。

なのでこの時の収入はすべてバイト。

これがワンショット契約です。

インディーズ時代からライブで収益が出るような集客のあるバンドならまだいいですが、そういうバンドはわざわざワンショット契約なんてするメリットがあまり無いわけです。

だからワンショット契約するのはそうじゃないバンドが多い。

皆が知ってるような有名アーティストは専属契約ばっかりなので、キラキラした上澄みの世界しか可視化されませんが、その底にはワンショット契約で窒息して死んでいった屍が大量に沈殿しているわけです。

なんでCDの売上げほぼ全部持っていかれてしまうん?

このワンショット契約でリリースした一枚1000円の1stシングル、一応全国流通はしまして、(全国流通とは言っても、全国のCD屋の仕入れリストに載るというだけで、仕入れるかどうかは店次第)

頑張って手売りした分も含めて400枚くらい売ったと思うんですが、僕の手元に入ったのは約4000円。

なんじゃそら!?って思うかもしれませんが、これには原盤権というのが関わってきます。

原盤権とは、めちゃくちゃ簡単に言うと
「制作費を出した比率に応じて収益を受け取る権利」となります。

なのでレコード会社や所属事務所が制作費を100%出したら、原盤権に割り当てられる収益の100%はレコード会社や所属事務所の取り分となるわけです。

下図が、CD時代当時における収益分配比率です。

(出典:音楽主義No.75 一般社団法人日本音楽制作者連盟)

メジャーレーベルの場合、CD一枚における分配比率はこのようになります。

8割が製造費、広告宣伝費、流通関係の経費+レコード会社や各業者の取り分。

残りの2割が、「音源そのものを売った収益」といった所でしょうか。
この「音源を売った収益」にあたる部分のうち、70%以上が原盤権保有者に分配されます。当時の僕のケースだと所属事務所ですね。

上記の図は10数曲とかで3000円のアルバムの例ですが、
僕の場合は2曲入1000円のシングルでした。

1000円のシングルCDの場合だと作曲者分の著作権収益が1枚売れて大体10円くらい。

原盤権収益に当たる200円くらいは事務所の取り分となるわけです。

ちなみに余談ですが、
「事務所が制作費出してくれてたならしょうがなくない?」と思うかもですが、

僕らが音楽専門学校出身ということで、専門学校に事務所が掛け合って学校のスタジオを使用して制作したので、制作費ほぼかかってないんですよねこれ。

いわゆる「実習」ってやつで、プロのレコーディングエンジニアは講師の先生一人のみで、他のスタッフは全員学生というやつです。

事務所はほぼタダで制作してもらい、学校側はエンジニア科の学生に実習を行えるからWin-Winというやつです。
Loserは無知がゆえにまんまと原盤権持ってかれた僕らだけというわけですねw

配信の時代となった今は?

パッケージビジネス主流のCD時代に作られた”業界相場”は配信時代には当てはまらないので、新たな契約条件で結ぶのが当たり前ですが、

レコード会社の皆さんは、あの手この手で「屁理屈」を次々と並べて、CD時代水準の契約条件をアーティストサイドに強いてきます。

 アーティストにとって、原盤権のコントロールをレコード会社に委ねるのはあらゆる意味で合理的で無い時代が既に到来しています。

ちなみに音楽業界がこういう搾取的な構造になりがちなのは、雇用が守られすぎて流動性がないからというのもある。

世界の多くは売り上げが下がれば雇用を整理出来るので無駄な人材がいなくなり、アーティストに注ぐ予算も大きく下がらない為クオリティが担保される。

しかし日本では、売り上げが下がれば真っ先にアーティストの予算をカットして、社員は中々減らないし給料も減らせない。

よって音楽の質は下がるし担い手は減ってゆく。

つまり我々音楽家は常に競争に晒され自浄作用が働くが、レコード会社に自浄作用は機能しないんですよ。

これはもう社会構造的問題。

できない社員はクビにしろ!とか言うとひどいやつだと思われるが、

音楽家は常に死と隣り合わせで荒波に晒されながら戦って、敗れた者たちは人知れず死んでいく。

日本の音楽は岐路に立たされている、全てを守ることは出来ない。

音楽を守りたいのか?雇用を守りたいのか?

日本の音楽業界が世界と反して回復出来ない理由は、こういう所にもある。

解散、そして伝説へ・・・

伝説でもなんでも無く、このあとバンドはデビュー後1年持たず解散しました。

事務所と揉めたり、メンバーが精神を病んでしまったり、売れない上に色々と限界が来ていたわけです。

この時僕は21歳。バンドに人生賭けてたのもあり、あっけなく解散した事で抜け殻モードに。

オンラインゲームにハマり、家に引きこもってクレカのリボ払いでニート生活を約半年。今思えばものすごい機会損失ですね・・・

作曲家、演奏家時代の話

そんな中、紹介を通じて作曲や演奏の仕事を頂けることになり、
大阪の某大手レーベルで作編曲や演奏の業務委託を開始することに。

ここから、クライアントワーク生活が始まります。

結果から言うと、この時代が最も極貧状態でした。
何回か死にかけましたねw

理由は単純で、報酬が安すぎた。

ざっくりどんな感じかというと、

・作編曲:1曲3万円で無限リテイク地獄

・アイドルやシンガーのライブでの演奏:
本番30分枠(1万円)+リハ3時間(2500円)×2回=計1万5000円
ワンマン120分尺の場合、
本番(2万円)+リハ6時間(5000円)×3回=計3万5000円

・レコーディング:一曲1~1.5万円

これが業界相場というわけではないですが、
かかる時間や工数、求められるスキル、必要設備や準備など含めるとマジで安すぎる。

時給換算したら最低賃金余裕で割ります。

この時代は、月に数本こういった仕事を貰い、それだけでは当然食べていけないので収入の半分以上はバイトという状態。

そして、この”収入の半分はバイト”というのが落とし穴なんです。

こういう音楽の仕事のギャラって、3ヶ月~半年後に振り込まれるのが当たり前になっていて、

そのせいで”いつ、いくら入ってくるのか把握できない”という状態になります。

ちゃんと管理しろよと言われればそれまでなんですが、僕はそういうの苦手すぎて無理でした。

バイトの給料は毎月決まった日に入ってくるんですが、これだけでは必要な生活費には全然足りません。

そんな状態なので、
「あ、やっべ、気付いたら全然金ねぇわ」ということが頻繁に起きます。

借金の話

節約すればとかもっとバイトしろとか思うかもですが、当時僕には借金がありました。

専門学校の奨学金も含めてですが、合計約500万円くらい。

内訳をざっくり言うと、

・奨学金:約300万円
・楽器、機材等のローン:約150万円
・その他:約50万円

音楽家は必要設備が高いと言いましたが、僕はその資金を作れなかったので全部カードローンで買いました。

ギター、PC、DAW(作曲ソフト)、オーディオインターフェース、モニタースピーカー、モニターヘッドホン、プラグイン(打ち込み音源、Mix用エフェクト)etc…

正直150万円使っても全然足りないレベルですが、それでもなんとかやっていました。

その他の50万円については、
前述したバンド解散直後のニート期間半年で発生しましたw

その半年間はゲームアイテムをRMT(リアルマネートレード)で売ったり、CDや漫画を大量にブックオフに持ち込んだりしてましたが、それでも足りない分をカード切ってリボにしてました。

奨学金はまだ猶予が利きましたが、その他で月々5万円くらい返済があったんですよね。

当時は週4のバイト+月数件の案件。
大阪難波のど真ん中での一人暮らしは超カツカツでした。

音楽の仕事のギャラはいついくら入るか把握できてないので、途中からは返済期日にお金が無いという事態が多くなり、徐々に滞納するようになっていく。

人間面白いもので、二度三度と滞納を繰り返すうちに感覚が麻痺してくるんですね。

途中からどうでも良くなって、一切返済をやめました笑

するとどうなるか。

最初の方は、催促のハガキが来るんですが、
途中から黄色い封筒に変わります。

電話も頻繁に掛かって来るようになります。

これもしばらく無視していると、
デカデカと”至急開封”と書かれた真っ赤な封筒に変わります。

実際に来た封筒とほぼ同じ物

これには最初はちょっとビビりましたが、
「まぁ、返す金無いしな。」とか言ってそれも放置。

そして僕は、

夜勤から帰ってきてコンビニ飯を喰らい、昼過ぎまで寝てから曲を作り、ギターを練習し、

マンションの郵便受けにパンパンに詰まったチラシの山に、真っ赤な封筒が何枚も刺さっている横を素通りし、

ライブやレコーディングの現場へと向かう・・・

そんな生活をしばらく続けていました。

それに慣れすぎてもう半ば忘れていたある日、裁判所からの通告が届いた。

それすらも一瞬放置しかけたが、その日のリハで先輩にこの出来事を話したところ、

「お前、それやばいぞ。差し押さえになったら楽器も機材も全部売却されるぞ。」

それを聞いて青ざめ、リハ終わりで速攻帰って電話した。

結果、計画返済といって、滞納分含めてもう一度返済計画を練り直して再契約する状態に切り替えることとなった。

今後はもう二度と滞納できない。
まず月々の返済が最優先となるため、ここから更なる極貧生活へと突入する・・・

死にかけた話

この頃の食生活はというと、

業務スーパーに5kg800円で売っているパスタの麺を、塩ゆでにしてそのまま食べる通称”塩パスタ”

これが当時の主食。

リハやライブなど出先でのメシは、100円の乾いたスティックパン。

飲み物は水道水、時々の贅沢でコンビニのチキンレベル。

食べることが大好きな僕からすれば地獄だった。
そんな状態でたまに先輩に奢ってもらってたファミレスのハンバーグは最高にキマる。

そんな生活の中でも、食べれるものがあるだけでありがたいと心底思った出来事があった。

パスタ麺を切らしたある日、全財産は40円。

食べるものがなくて、頭が回らず朦朧としていて、
中身が10円玉4枚だけの財布の中をボーっと眺めていた。

人間、死の危険を感じると急に頭が回り出すんでしょうね。
ハッと我に返り、「食料を手に入れなければ...!!」と思い立って外へ駆け出した。

「40円で買えるもの…うまい棒4本や...!!」

と思ったが、4本一気に買うと当時の消費税率で42円になってしまう。
これでは3本しか買えない。今3本と4本の差はでかいぞ...!!

そこで思いついたのが、
”コンビニ4軒回って一本ずつ買うの術”である。

「1円を割ることで消費税が消える金額=10円ずつなら…4本買える...!!」

こうしてうまい棒4本を手に入れた俺は、一命を取り留めた。

死にかけた話②

今思えば、これまでで一番生命の危機だったなという話がある。

季節は真夏、猛暑日が続いていたある日。

俺は電気を止められた。

この時期のそれは、もはや死刑宣告に等しい。
意味が分からなかった。なぜだ?俺は一体どんな罪を犯したというのだ?

小一時間考え、とある答えにたどり着いた。

「電気代を払っていなかった」

少なくとも次にギャラが振り込まれる5日後までは、金がなくて支払いができず電気は使えない。

「作編曲の仕事を抱えているタイミングじゃなくてよかった。
PCが使えなかったら制作はできないからな...!!」

不幸中の幸いに安堵したのも束の間、その時決まっていた演奏の仕事の仕込みのため、ギターを練習しなければならない事を思い出す。

しかし暑すぎる。35℃を超える猛暑の中、エアコン無しはただの拷問である。

仕方がないのでとりあえず全裸になり、
汚してもダメージの少ない安物のサブのギターを手に取り滝汗で練習した。

しばらくすると意識が朦朧としてきて、6本のはずの弦が8本くらいに見えてきた。

これはやばい、一旦休憩しようとギターを置いて立ち上がったその瞬間、
記憶がプッツリと途切れた…。

・・・目を覚ますと、ベッドに斜めからダイブしており、ベッドは汗でビショビショになっていた。

死ぬほど喉が渇いていて、全速力で水道まで走り、蛇口にかじりついて水をがぶ飲みした。

気づけば、外は雨。
この雨のお陰で気温が下がり、一命を取り留めたということだろう。

あのまま炎天下が続いていれば、熱室の中で脳が551の豚マンのごとく蒸し上がり、死んでいただろう。

雨男で良かったと心底思ったのは人生でこの時だけである。

その数年後、彼女と同棲を始めたことでやっと人間の生活を手に入れることになる。

野良犬のような生活を味わうと、普通のありがたみが心に染みる。

YouTuberになった話

作編曲や演奏の仕事は、バイトを転々としながら6年くらい続けていたが、
そんな中、以前から抱えていた違和感があった。

「このままこの仕事やってるだけじゃ、何者にもなれなくね?」

かつて勢いのあったこの事務所は見る影もなく、売れてるアーティストはほぼいない。

僕の仕事は売れてない地下アイドルやデビュー前の新人の案件ばかり。

意味のある実績を作れる見込みもなく、緩やかに死んでいくであろうこの事務所に、いつまでも付き合い続ける気は毛頭無かった。

この6年の間もやはりアーティストへの夢は捨てきれず、バンドを組んでは解散しということを何度か繰り返していたが、それをもう一度繰り返しても活路があるとは思えなかった。

その時、ちょうど同じ事務所の仲間と、
30を手前にして最後の挑戦のつもりで、もう一回バンドやろう、という話が出ていた。

その時思い切ってメンバーに提案したのが、
「YouTuberやろうぜ」だった。

”やりたい事”と”なりたい自分”の矛盾

結果から言うと、2年続けたこのYouTubeは結局伸びずに終わってしまう事になるが、
今思えば始めた段階から、心の何処かでそれを分かっていたのかもしれない。

この当時のYouTubeは、エンタメ系の企画ばかりに需要があり、”10代に受けなければ伸びない”とまで言われていた時代。

YouTuberを足がかりにバンドで売れたかった我々は、音楽を捨てきれず、
”音楽×エンタメ企画”という何とも需要のなさそうな方向性で運用してしまっていた。

当然伸びるわけもなく、中途半端で終わってしまったのだが、ここから学んだ教訓が一つある。

「”やりたい事”よりも”なりたい自分”を優先しろ」

そもそもこの時、”YouTuberを足がかりにバンドで売れようとして”YouTubeをやっていた。

ここでいう”なりたい自分”とは、「バンドで成功した自分」だ。

では”やりたい事”の方は?当然「音楽」となる。

この場合、正面からバンドで成り上がろうというストレートの投げ合いで上手く行かなかったから、YouTuberを足がかりにするという変化球を投げ始めたのだから、それをやり通せばよかった。

つまり、一旦あえて音楽を捨て、その時YouTubeで需要のあった、10代が好きなエンタメ企画系に振り切ってしまった方が、”なりたい自分”に対しては近道だったはずだ。

YouTuberで数字を取ってから、MVを出してライブをするという手順の方が可能性があったのだ。

それを、”やりたい事”を気にしてしまったがゆえに、音楽を捨てきれず、
何とも中途半端な結果で終わってしまったという話だ。

結局、なりたい自分には一歩も近づけず、やりたい事という視点でも非常に中途半端で、後になって考えてみると正直あまり面白くもなかった。

この時得た教訓は、”なりたい自分”の為なら、”やりたい事”を一時的に捨て去ってでも、”なりたい自分”に近づくことを優先せよ、だった。

コロナで収入が0になった話

音楽の仕事と、バンドと、YouTuberをやりながらバイトもする生活。

作曲、編曲をリテイク無制限でお安く仕上げ、バンドでは曲を作り、そのメンバーとやっていたYouTubeでは動画編集とサムネ制作もやっていた。

その上週4でバイトなので、演奏の仕事は家で練習する時間など無く、リハ前日に音源を聴き込み、当日は譜面を見ながらなんとなくいい感じに合わせ、計2~3回のリハで仕上げて本番を迎える。

そんな生活がしばらく続いた。
同棲してからは極貧状態ではなくなったものの、相変わらずカツカツだったが、なんとかやっていた。

それを全て崩壊させたのが、憎きコロナ騒動である。

奴は全てを焼き払った。
ライブイベントは全て消え去り、演奏の仕事がまずゼロに。
既に抱えていた現場も全てバラシ。

事務所のアーティスト達は、売れてない新人から順に切られていく。
つまり、僕のクライアント層が足切りの対象だ。

やがて作編曲やレコーディングの仕事もゼロに。
こうして業務委託は完全に消滅した。

この時働いていたバイト先は、音楽スタジオである。
プロから趣味まで様々なバンドやシンガー達が、”ライブの練習をしに来る”場所である。

当然ライブができないので客はいなくなり、全店舗休業まで追い込まれ、これで収入源が完全に絶たれてしまった。

楽器や機材を売り、政府のコロナ支援融資などを利用し、なんとか生きながらえていた。

その間、もう音楽はどうしようも無い状況だったので、個人で新たにYouTubeチャンネルを立ち上げ、毎日投稿をした。

・ゲーム実況
・辛口系ゲームレビュー
・人気漫画の考察
・ギターレッスン
・音楽情報発信や業界の裏話など

2020~21までの約2年間、色々挑戦しましたが、全てうまく行かず。

当時イケハヤさんのYouTubeを見て何かいい副業無いかなと探しつつ、

遊戯王のメルカリせどりなどでちょっと稼いだりもしたが、タイパが悪すぎてそれも続かなかった。

ある時、時代はe-Sportsや!とか言い始め、上手くなってTwitch配信者になろうとして当時爆流行りしていたAPEXを練習したが、あまり上手くなれず終了。

このように、色々と迷走していた。

何も上手く行かず毎日胃が痛み、ついに過敏性腸症候群になって下痢が止まらなくなったりしながら、迷走に次ぐ迷走。

ある日「俺には音楽しか無いか」と悟り、再び音楽の道へと戻っていく。

ゲーム音楽作曲家を目指すの巻

音楽業界はコロナでボロカスにやられていたが、
ゲーム業界はそんな中でも成長を見せ、むしろ巣ごもり需要で特需が来ていた。

「そうや!ゲーム作曲家になればええんや!」

ということで、ゲーム業界を目指し始める。

作曲家時代、ロック、Popsなどの歌モノをはじめ、
ブルース、ジャズ、ファンク、R&Bなど、演奏の仕事で触れる機会が多かったものまで、一通りのジャンルは押さえていた。

しかし、ゲームBGMで最も重要なジャンルの経験が全く皆無だった。

それは”オーケストラ”だ。

この時、オーケストラ作曲を1から勉強することになる。
専門家レベルのオーケストレーションは無理でも、ゲーム音楽として成立するレベルには素早く到達できるよう、半年間曲を作りながら勉強した。

しかし、参考書を読んで体系的に基礎から学ぶなんてできる性分ではなく、速く全体像が掴みたかった僕は、

好きだったモンハンのメインテーマ「英雄の証」を譜面通り打ち込むことからはじめた。

これが、今となっては懐かしいモンハン打ち込みコピーである。

オーケストラ初心者にとっては地獄の作業だった笑
(今見ると色々と粗が目立ってて恥ずかしい)

このおかげで何となく全体像を掴みつつ、その後曲を作り続けることで徐々に上達していった。

作った曲はAudioStockで販売し、ゲーム会社に応募書類を送っては書類で落ちまくる日々が続いていた。

30歳にしてゲーム業界での実績0ではこんなもんかとは思いつつ、音源でのポテンシャル採用を狙って曲を作り続けた。

そうこうしている間に、ついに金が底を尽き、家賃すら払えない状況へと追い込まれていく。

web3の世界へ


もう、一度実家に帰るしか選択肢はなかった。
彼女(内縁の妻)との同棲解消はやむなしか、と思ったが、ダメ元で言ってみた。

俺「俺の実家、一緒に来る?」

彼女「面白そう!いくー!」

まさかの二つ返事でOKが出たので、二人で実家へ移り住む計画へ。

実家は福井の田舎の古い一軒家。
古い木造だが広い。田舎ならではである。

実家に住んでいた頃、僕の部屋だった所を間借りすれば、まぁ狭いがなんとかなるだろうと思っていた。

そしたら、まさかの僕の部屋だった所は猫専用部屋に改造されていたw
「俺が帰る場所はないのか…?」

実家には両親と妹の3人。
僕と祖父を加えた5人が住んでいた時代でも普通に過ごせる部屋数はあるはずだが、「部屋がない」とか言って親との交渉は難航した。

事情を色々話して、なんとか別の部屋を間借りするという話に落ち着いた。

2022年の5月、実家に引っ越すかどうかというタイミングで、web3の世界に入っていくことになる。

以前からNFTというもの自体は認識していて、これまでは音楽とどうも結びつかなかったが、この時音楽でも活用できるかも?と思って見切り発車でとりあえずやってみた。

最初はHEXAという日本円で売買できるプラットフォームで、オーケストラ修行中に作った曲を試しに出品してみたところ、案外ポンと売れた。

これ、もしかしたらめちゃくちゃチャンスあるのでは?と本能的に察知し、本格的にweb3の世界に入っていくことにした。

NinjaDAOへ

本格的にNFTの世界に入るには、イーサリアムでやったほうがいいのか・・・

といった感じで、おもちさんのブログを見ながらウォレットと仮想通貨口座を作り、OpenSeaに登録して自分の音楽NFTコレクションを作った。

その当時研究していた、ゲーム風BGMの楽曲だ。

しかし、Twitterで宣伝したりしても全く売れず、見向きもされなかった。

一人で戦っても仕方がない。
仲間を見つけにいこうと、最も大きいNFTコミュニティだったNinjaDAOに入ることにした。

NinjaDAOに入った初日、CryptoNinjaの概要をざっくりと頭に入れた上で、
いきなりイケハヤさんにメンション飛ばして長文でプロジェクトの提案をした。

今考えたらだいぶ頭おかしいが、それが功を奏して、当時NinjaDAO内にあった”音楽ジェネラティ部”というチャンネルに呼んでもらうことになり、音楽をジェネラティブNFTとしてリリースを目指すプロジェクトに加入することとなった。

ガンガン提案して音源も作ったりしながら、徐々にプロジェクトの中心メンバーとなっていき、音楽ジェネラティ部は少しずつ本格化し、”CNP Music”というプロジェクトになっていった。

その当時の懐かしいツイートがこちら。

土壁の和室にDAW環境というなんともシュールな光景。

このツイートが拡散されたことがキッカケで、最初に作ったBGMコレクションが一気に全部完売。

このコレクションを買ってくれた初期の支援者の皆さんには本当に感謝してます。一つ0.1ETHとまあまあ高額だったにも関わらず、サクッと買って「応援します!」と言ってくれた。マジでかっこよすぎる。

しばらく後、このコレクションの新作をオークションしたところ0.45ETH(当時で約11万円)で落札された時は、脳汁がやばかった。

web3に入ってから、ここまでは順風満帆に見えるが、実はそうとも言えなかった。

それは環境が最悪だったからだ。

・真夏にエアコンなしの狭い部屋
・音ダダ漏れでプライベート0
・周りから生活音や話し声聞こえまくりで全く集中できない

しかし文句も言ってられない。
寝泊まりする場所を与えてもらっているだけで感謝しなければならないし、一時期メシも食わせて貰ったのだ。電気も使える。多少の不便はやむなし。

コロナ禍を自力でサバイバルできなかったのが悪い。

ここまではいい。自力でなんとかできるまで、この環境でやり切るしか無い。そう思っていた。

しかし、”耐え難い環境”というのはこういう事だけではない。
最も耐えられなかったのは、”人間関係”の方だった。

居場所のない居場所

ここからはドロドロした内容で、不快な表現も出て来ます
そういうのが好きじゃない方は、この小見出しは読み飛ばして欲しい。

次の見出し「ファウンダーとしての再スタート。CNPMリリース!」から読むことをおすすめしておきます。

今僕は、家族との仲が悪い。
最初からそうだったわけじゃないが。

そもそも彼女を実家に連れて行ったのは、離れて暮らすのは二人にとって良くないというのは大前提だが、両親を買いかぶり過ぎていたというのもある。

僕が高校を出て一人暮らしを始めてから12年。
親元を離れてからは年末年始に実家に帰る年一回しか家族には会わなかったが、その時は快く迎えてくれ、楽しく食卓を囲った。

昔は無駄に厳しく、言うことをきかないとすぐ何かを禁止にしたり、大切なものを取り上げたりするような、ちょっと毒親的な側面も持ち合わせていたが、基本的には夢を応援してくれてはいたし、10年以上の時を経て嫌な面は忘れていた。

僕が彼女と実家に引っ越した初日、両親は快く迎えてくれた。
しかし、人間余裕がなくなると化けの皮が剥がれてくるものだ。

両親は生まれてこの方地元から出たことはほぼ無く、福井の田舎という狭い籠が、彼らにとっての世界だった。

急に家に所謂他人が暮らし、生活パターンも考え方も価値観もなにもかも違う人間が、家の中に一気に二人も増えたのだ。

田舎で穏やかに代わり映えしない日常を長年送ってきた両親にとって、この”変化”は耐え難いものだったらしい。

次第に両親は彼女を煙たがり始め、家の中の空気が最悪なものになっていった。

ここで、家族の人物像をざっくりと紹介しておく。

・父
郵便局員として40年以上勤め上げた真面目な父親。”自分は絶対に正しい”という感じで独善的。
趣味で音楽をやっていて、僕が音楽を志す事にだけは寛容で、応援もしてくれてはいた。

・母
基本的には心優しく人畜無害だが、父の絶対的信奉者。
父の考えが全て正しいと考え、それを疑うことはない。
論理的思考が苦手で、すぐに感情論に走るため、ある意味父以上に話が通じない。
母も若い頃音楽を趣味でやっていたことがあり、夢の応援はしてくれていた。

・妹
子供部屋おばさん。
4歳下で、真面目な優等生として育ち、高校を出てからシナリオライターを目指してそっち系の専門学校に進み、卒業後はバイトしながらそういう道を進んでいたが、バイト先でお局様にいじめられて数年前実家に逃げ帰ってきた。
ライターの仕事は頑張っているようで、某有名ゲームの下請けに関われている事が自慢で、忙しいアピールには事欠かない。

化けの皮を剥がすとこんなところである。
忘れていた嫌な部分を思い出したくはなかったが、僕が高校の頃までと本質は変わらないんだなと思い知らされた。

もちろん両親には感謝している。
成人するまで育ててくれたし、今まで夢を応援してくれていた。
今回も寝泊まりする場所を貸してくれて、数ヶ月メシまで食わせてくれた。

だからといって、全てを許容できるわけではない。

彼らは、価値観や文化の違う僕らを”間違った怠惰な無礼者”として扱った。
親元を離れてから、どんな努力や苦労をし、何を学び、どんな経験をして、今何をしているのかも知らないどころか、知ろうともせずに。

それだけならまだいい。
こんな俺を助け、支えてくれた人生のパートナーを、偉そうに品定めし、

”正しい息子嫁像”みたいなのがあるのか知らないが、それに沿わないからといって彼女を煙たがり、あからさまに冷遇した。これは許せなかった。

心の中で思っているだけならまだしも、あろうことかそれを態度に出し、彼女は裏で毎日のように泣いていた。
あの時は相当つらい思いをさせてしまった。

あれは俺にとって最大の侮辱だ。
両親には本当に感謝していたのに。
不真面目で問題児だった俺は、過去にかけてしまった迷惑を申し訳ないと思っていた。
還暦を過ぎた両親に、沢山稼いで楽をさせたいと本気で思っていた。
なのに、そんな気はもう失せてしまった。とても複雑な想いだ。

しかし、最も許せないのは両親ではなく妹だ。
散々実家に寄生して、出戻った後も何年も養ってもらっておいて、
つい1~2か月前に某有名ゲームの下請けに関わることになって、家に自分の食費分くらいはお金を入れられるようになったからか知らんが、

両親と同じ立場に立って”住まわせてやっている感”を出された挙げ句、
彼女に最も攻撃的な態度を取り続けたのはこいつだ。

しかも、裏で両親にあること無いこと吹聴し、彼女を嫌うよう仕向けていたことが後でわかった。

奴の心理はなんとなく読める。
元々真面目で優等生だったが、コミュニケーションに明るくなく、青春を謳歌できなかったコンプレックスは相当なものだっただろう。

見た目にも恵まれず、かといって磨く努力をするでもなく、男性経験は30手前の今でも全くの皆無。
職場や学校では浮いていて、専門学校では所謂イケてる女子グループにハブられた事もあり、そういう経験からか色々かなり拗らせている。

これを悪いとは言わないし、何なら以前までは、幸せに生きられるだろうか?と心配すらしていた。

だからといって、見た目が綺麗で幸せそうな女性全てを敵視し、その嫉妬心から一挙一動をいちいち邪推する。これが本当に良くない。

その拗らせた感情を、あろうことか彼女に発揮し、
裏で両親にあること無いこと吹聴し、彼女を嫌うよう仕向けるまでした。

これを一生許すつもりはない。

たまにこの頃の記憶がフラッシュバックして、胸焼けがしてくることがある。
大きな成功を掴み、夢を叶えて、そんな事もあったなと笑えるくらいの余裕を手にしたいものだ。

しかし、家族を恨んでもいられない。
原因は僕がコロナ禍で自力で生き抜くことができずに、実家を頼ってしまったからだ。

こんな事にならなければ、家族の嫌な部分をとことん味わう羽目にならずに済んだはずだ。
彼女にこんな思いをさせずに済んだはずだ。

とことん、自分の非力さを呪った。

そして僕ら二人は後先考えず、とりあえず実家を出ていった。

この時引っ越し資金を用意できたのは、最初のBGMコレクションを買ってくれた皆様のおかげである。本当に感謝しか無い。

web3で支えてくれた皆のおかげで、厚い雲が切れ、太陽の光が差し込んだような気分だった。

ファウンダーとしての再スタート。CNPMリリース!

この頃、CNPMを制作しつつ、CRYPTOFANTASYにもサウンドプロデューサーとして関わらせて頂いて、BGM制作をやっていた。

実家から飛び出て、とりあえず福井県内の賃貸マンションに引っ越し、制作を続けていた。

これが当時の懐かしいツイート。

この頃、実は一度CNPMの活動は停止してしまい、改めて一から組み直す必要があった。

元々はCNPMの前身、音楽ジェネラティ部の頃からのリーダー的な存在はいたが、徐々にガチな雰囲気になっていき、規模が拡大していったCNPMを抱えきれなくなり、その人はプロジェクトを去ってしまった。

再スタートを切る段階で、改めてコンセプトを定め、ファウンダーを立ててやり直す必要があるという時、僕がファウンダーとして名乗りを上げた。

元々やっていた音楽リードクリエイターとファウンダーを兼任する形だ。

コンセプトを「少しでも多くの人が、音楽の道を諦めず済む世界へ」と一新し、音楽も絵も一から作り直した。

2023年2月、まだCRYPTOFANTASYもリリース前。
はじめてNFTリアルイベントに顔を出した。

Nコレ大阪。
このとき挨拶に回ったが、僕のことを思った以上に誰も知らなかった。
CNPMというプロジェクトも誰も知らず、「CRYPTOFANTASYのBGM作ってます」というと、あ~なるほど!といった反応だった。

これに焦った僕は、帰ってからプロモーション計画を練った。
3~4月毎日スペース対談計画だ。

ありがたいことにCRYPTOFANTASYのセールは成功し、とても盛り上がった。報酬も沢山頂いて、そのおかげでCNPMローンチまで生き延びられる事になった。

その実績を持って、沢山の方々に対談をお願いし、
僕なんか門前払いしてもいいくらいの錚々たる方々にも対談させていただくことが出来た。

そして、徐々にCNPMは知名度を上げていった。

ローンチ直前の4月頭くらいに急に市況が冷え込み、22日のローンチ前日には、急にガス代が暴騰するという悲運に見舞われながらも、なんとか完売できたのは、

協力してくれたプロジェクトメンバーの皆と、対談など協力してくれた皆さんのおかげである。

そして、セール後の収益だが、「プロジェクトの為に使ってください」と言って報酬を受け取らなかったメンバーが多く、それでも僕は全員に分配しようとしたが、このまま何も生まれずに終わるくらいなら、もっとプロジェクトを成功させて、数年後大きく返した方がいいと、お言葉に甘えることにした。

この時の感謝は一生忘れない。
本当にありがとうございます!

そして、CNPMをお迎えして応援してくれた皆様も、本当に感謝しています。ありがとうございます!

こうして、CNPMのおかげで沢山の人に知ってもらえるようになった。
しかし、ジェネラティブを出した後、何をするのかが一番大事。

その”ジェネラティブを出した後”というのが、冒頭で紹介した”Crypto Ninja Records”である。

CNR第一弾アーティスト「Oto」誕生

プロジェクトの概要は冒頭の通り。

今の音楽市場での大きな流れの一つとして、

「顔出し無し」
「アニメーションやイラストなどでMVやビジュアルイメージを構成」

というスタイルで活動するアーティストが頭角を現し、着実に市民権を得てきていて、

”ずっと真夜中でいいのに。”や”ヨルシカ”、”Eve”などがその代表格で、”YOASOBI”なんかもかつてはそうだった。

そのようなスタイルで、CryptoNinjaの於兎ちゃんが”アーティストOto”としてデビューした。

2023年9月2日にデビューしたweb3発のアーティスト「Oto」は、 1st.シングルリリース日に100万円の収益が出た。

Otoのデビュー時には、YouTubeでMVが公開され、SpotifyやAppleMusicなどの各種サブスクで音楽配信され、音楽NFTも同時発売し、リリースイベントとしてメタバライブも開催。

といった感じで、web2とweb3に跨ってリリースを行った。
この”音楽NFT”が、20分強で完売し、一夜にして100万円の売上

これ、決して高額ではありませんが、冷静に考えれば、 「デビューしたばかりの無名アーティストが、最初の1曲で初日に100万円を稼ぐ」 というのはヤバすぎる結果である。

このおかげで、次のシングルリリースまでの命を繋ぐことが出来た。
この音楽NFTを買って応援してくれた皆さん、協力してくれたプロジェクトメンバーと、メタバライブチームの皆さんには超絶感謝しております!

おかげさまで東京にアクセスできる場所に拠点を移し、
web3と音楽にフルコミットすることができた。

アーティスト・クリエイターが生きていくのは本当に難しい

過去のイケハヤさんとの対談で、
音楽で成功するには何が必要か?
という話をしました。

この成功条件をクリアしなければ、今までアーティストが生きる道はほぼ無かった。

アーティストやバンドで成功を目指す=起業するようなもの。
起業であればVC回って出資を受けたり、創業融資なり、色々と資金調達の手段はある。

しかし、アーティストにはそれが無い。
だから今までは、大手レーベルが資金を出し、同時に多数のアーティストを抱え、上手く行ったものだけをピックアップして他を切る。

そういった人海戦術みたいなもので、ヒットを生んできたわけで、それくらい試行回数を積まないと音楽でヒットは生まれない。

だからこそ、大手レーベルが力を持ち、業界が搾取的な構造になりがちなのも仕方がないのかもしれない。

しかし、ここは変えられる。web3なら。

だから、新しい時代の”アーティストならではの”資金調達の方法でもあり、一つの生き残り方のモデルケースというのが、”Crypto Ninja Records”であると思っています。

Oto 2ndシングル『グリム・エーリング』リリースへ

ちなみに、1度のシングルリリースで100万円!?めちゃくちゃ美味しいやん!と思うかもしれませんが、もちろんそんな訳はなく、

ここからプロジェクトメンバーへの報酬を分配し、次回作の制作費も確保した上で、僕が生きていく生活費もここから出ていました。

次のシングルリリース時にはもうすっからかん。これがけっこうカツカツで、ものすごい綱渡りです。

とはいえ、こんな初期からマネタイズができて、次に繋がる収益が生まれているのは本当に奇跡。

このような奇跡を、「web3コミュニティからヒットアーティストを生み出す」その時まで、次へ、また次へと繋いでいきたい。

そう思って全力で取り組み、2023年11月25日、Oto 2ndシングル「グリム・エーリング」リリースを迎えた。

思えばこの記事は、このリリース前に自分から溢れ出る言葉を殴り書いたことがきっかけで生まれた。

この記事の中には、「グリム・エーリング」の歌詞が描くストーリーの元になった体験談も記しています。

この記事が功を奏したこともあり、

昨年11月25日に0.01ETH×500点を発売した音楽NFTが、おかげさまで完売となった。

応援して頂いた皆様には感謝してもしきれない。

この時の売上は150万円ほど。
これまで命をつなぎ、プロジェクトを次に進めることができた。

そして約5ヶ月の時を経て、
ついにCNRから第二弾アーティスト『カルラ』が、
2024年4月13日にデビューします!

※詳細は後述します

その後、激変

グリム・エーリングの完売でプロジェクトの、そして僕の命が繋がれ、
あれから約5ヶ月の時が流れた…

その間、状況は良い意味で激変しました。

ショート動画で月収100万円目前

👨👩「..............…は????」

落ち着いてください。順を追って説明します。

あの綱渡りだった僕ですが、今ではショート動画で月収100万円間近というところまで来れました。

なんか胡散臭くなってきたな…と思ったあなた、
この続きも面白いので是非、「しゃーねーな~まぁ読んでやるかぁ~」位の気持ちで是非読んでください!

ここでいうショート動画とは「TikTok × YouTube」なのですが、
今これが上手くいっています。

【現状】

・YouTubeチャンネル登録10万人達成
・月間平均再生数1200万回超

・TikTokフォロワー13.5万人
・月間平均再生数2000万回超

自分で言うのもなんですが有益っぽいポストを貼り付け👇️

以下は今年1月のポスト。

こちらは3月。

一時期再生数が落ちた事もありましたが現在は無事復活し、


4/4時点

この流れで先月は約95万円、今月は約90万円入りました。

YouTube & TikTokだけでこれなので、作曲のクライアントワークなど合わせると月100万超えてます。

なぜショート動画を始めたのか?

そもそも始めるきっかけになったのは、
「CNR一本に収入を依存し続けるのは危険すぎる」
とリアルに実感し、別の収入源も確保しなければならないと思ったから。

なぜそう思ったのかと言うと、前回のリリースは非常に危うかった。
完売できたのが奇跡と言えるくらいに。

その原因は色々あるんですが、最も大きいのは”値付けをミスった”こと。

買って頂いた方々に値付けミスってましたと言うのはとても失礼な話で申し訳ないのですが、

僕がこれまでの人生を包み隠さず曝け出している事も含めて応援してくださっている皆さんに対して、本音を言わずごまかす事のほうが不誠実じゃないかと思ったので、ここでは本音を言います。

値付けミスりました。

なぜミスったか?
それはあの時、僕と彼女の生活の全てがかかっていたからです。

「次にリリースができる時まで生きていくには、この金額が必要」

だからこそ0.01ETHという、当時のレートで4000円近くという、
500点を売り切るにはちょっと高いな~という単価にしてしまったのです。

最終的には奇跡の連続で完売できて、応援してくださった皆さんには感謝してもしきれないです。

「値付けミス×奇跡の完売」というハプニングが、結果的に僕らを生かすことになったというわけなので、

この2つが同時に起こらなければ命は繋がれませんでした。

本当に、ありがとうございます。

この出来事で、命が繋がれしばらく自分の時間ができた。
それと同時に、このままこのモデルに生活を依存するのは危険すぎると悟った。

この2つのおかげで、ショート動画を始めることになり、今に至ります。

要するに、応援してくれた皆さんのおかげです。

改めて、何度でも言います。
本当に、ありがとうございます。

あと4万回くらい言っても足りないくらいです。

しかし、これは「今後のプロジェクトにとっては良くない傾向」と言えます。

自分たちの生活を守ることを考えすぎて、マーケティングにおいて超大事な値付けをミスってしまっている。

これ、プロジェクトのことを第一に考えられているだろうか?
解像度高めに言うと、そこに疑問を感じたことが一番の理由なんです。

だからこそ、自分たちの生活を守れるくらいの収入源は別で確保する必要があった。

web2で稼いでいるという状況はプロジェクトの本質からブレるのでは?

しかし、一瞬こうも思いました。
・プロジェクトとして「新時代のアーティストの生き残り方」を確立するなら、専業でやってこそなのでは?

・ショート動画で稼いでその資金の裏付けが有りながらもアーティスト活動を運営するのなら、メジャーレーベルと根本は変わらないのでは?

しかし、この答えはNOです。

まず、はじめから専業であることに拘る必要はないと思っています。
最終的に専業になれればOKなんです。

(僕はたまたまそれしかやっていなかっただけです!笑)

というのも、インディーズでのアーティスト活動というのは通常、別の仕事をしながら行うことは本来当たり前なんです。

もちろん音楽で成功するには、他の仕事をせずに音楽に専念できたほうがいいに決まっています。

CNRの仕組みでうまくいけば、いきなり専業になることも可能ではありますが…

可能だからといって、その多大なリスクを自らいきなり取るのはかなりクレイジーです。このやり方が確立した後だったとしてもです。

それをやってしまうと過去の僕みたいな生活をすることになりかねません。(確立もしてないのに専業でやってた僕はホームラン級のアホです)

何度もいいますが僕はホームラン級のアホなので、前半で語ったような生活をしてでも音楽を辞めませんでしたが、大抵の人はそうなる前に辞めます。

当時の僕は”音楽を辞めたら本当に何も残らない”という状況だっただけというのもあり、

もしあの頃の自分に別の道があったら、音楽を続けられていたかどうかわかりません。

それくらいキツかった。

仮に想像してみてください。

-----------------------------------------------------

あなたは今まで10年以上音楽に心血を注ぎ、音楽で成功を夢見て努力してきた。

しかし、それなりの待遇で就職しようと思えばできる。

年齢は30目前。親もうるさいし彼女にも結婚を迫られている。

正直お金がなさすぎて生活は苦しいし、このままでは借金してしまいそう。

----------------------------------------------------------

例えばこんな状況になったら、ほとんどの人が音楽辞めると思います。

100人中102人が辞めると思います。

実際に僕の周りにはそういう人が沢山いて、みんな優秀な音楽家だったけど食えなくて辞めていきました。

これが「努力を重ねた素晴らしい音楽家が辿る末路」の多数派だと言っても過言ではない。

そうなっては意味がないんです。
だから、僕並みのリスクを取ることを他の人達にはおすすめしません。

なので、この「新しい生存戦略」を確立でき、それが広がったとしてもいきなり最初のうちから専業になる人はほぼいないと考えます。

では最初から専業になることを想定しないなら、何が「新しい生存戦略」なのか?

そもそも音楽活動が「お金を理由に辞めていく人が多い」のは、

「仕事で疲れた体に鞭打って頑張っているのに、全く稼ぎにならないどころかむしろめちゃくちゃ赤字」

「やればやるほどマイナス」

これに尽きます。
そりゃいつか精神削られて辞めますよね。

それが、CNRの新戦略を確立させることによって、

「音楽活動が副業になる」

これが大きな革命になります。
そうなれば続けられるし、精力的な活動もそこまで負担にならず、
小規模なファンコミュニティの応援で活動費が確保でき、徐々に専業化を目指せる。

業界全体にこの傾向が生まれればもう大革命です。

なので、最初から専業でというところには実はこだわっていません。
(僕がホームラン級のアホだったから最初から専業だっただけです。こんな僕を応援してくれて本当にありがとうございます)

そして、
ショート動画で稼いでその資金の裏付けが有りながらもアーティスト活動を運営するのなら、メジャーレーベルと根本は変わらないのでは?

という疑問。
これも答えはNOです。

まず、アーティストをスターにするには、
「何処かのタイミングで資本をがっつり投入する必要性が必ず出てくる」

これはどのみち必須です。少なくとも世の中が資本主義である限りは。

その”何処かのタイミング”とは、大きな注目を浴びた時です。

例えば、

・大きなタイアップを獲得できた時
・MVがバズって楽曲が有名になった時
・ショート動画でバズって若い世代で楽曲が流行りだした時

などなど。
こういった「ビッグウェーブ」が訪れた時、波に乗ってそれを最大限活かすには、やはり資本が必要です。

ここで資金を変にケチると、一過性のもので終わる可能性が格段に上がってしまいます。

だからこそ僕は、この時に備えて今はショート動画でもなんでもやって資金を大きくすることに注力しています。

ただ、CNRが革命だと言っているのは”活動の初期段階”においてです。

初期段階~注目を浴びる段階までのプロセスがキツすぎるんです。
もう残酷なほどに死亡率が高すぎる。

武器ヨーヨーで戦争行くようなもんです。(言い過ぎかな)

懐かしきハイパーヨーヨー

だからこそ、その初期戦闘の部分で生存率を格段に上げる。
それがCNRの戦略の本質的な部分だったりします。

そのために、「コミュニティ×NFT」を活用し、
その「新時代の生存戦略」による小さな成功事例を積み重ね、
浸透させていくことで”今までだったら途中で死んでいたかもしれない才能たち”が世に出るチャンスが格段に増え、

「一人でも多くの人が、音楽の道を諦めずに済む世界」となっていく。

これが、CNRです。

それを証明するため、今はショート動画で作った資金はまだCNRには使いません。

今はできるだけ資本を大きくするために動画事業を頑張って、
「来たる日」に備えています。

なぜショート動画を収入源に選んだのか

ちなみになぜ”別の収入源”にショート動画を選択したかと言うと、
この時たまたまTikTokの収益化プログラムがはじまり、それで稼いでいる人の発信を見て気になったからです。

その発信は、web3関連の方々がリポストしているものでした。
web3に関わる方々は、情報感度が高い人がめちゃくちゃ多い。

そんなweb3の世界にいたから、キャッチアップできた情報と言えます。

しかし、情報をキャッチアップ出来たとはいえ、
ショート動画を伸ばすのは簡単ではない。

もちろんめちゃくちゃ研究しました。

だからといって、一朝一夕で結果が出るほど甘くはない。
ではなぜ短期間で結果が出たのか?

運が良かったというのももちろんありますが、
前述したように僕は、YouTubeチャンネルを運営しては失敗し、
というのを幾度もやってきた経験
がある。

その間にももちろん研究をしながらやっていたわけで、
貯まったノウハウはかなりありました。

そのおかげで直近の研究の精度も上がり、
結果を出せたというわけです。

こうして培ってきたノウハウが、やっと実って前述した結果を出すことが出来たんです。

すべてが繋がっている。

点と点が、一気に線で繋がったというわけです。

ショート動画ノウハウ記事販売します(予定)

この辺りのショート動画攻略に関する蓄積したノウハウを網羅したnote記事をリリースします!

※数ヶ月かかりそうですが

しかしこの成功を掴むきっかけを作ってくださったのは、CNRを通して僕を応援してくださった皆さんです。

ということで、まだ細かい条件は確定できませんが、
以下どれかひとつに当てはまる方には記事を無料公開します!

・CNPMの大口ホルダーの方
・CNRの音楽NFTを全種コンプリート
・CNRの音楽NFTを〇〇枚(10~20枚目安)以上所持

いよいよ本格的に胡散臭くなってきましたね....w
はい、胡散臭いです。

ただ、色々挑戦してきてかつ結果を出せて思うのが、
胡散臭い領域にこそ価値ある情報が眠っているということ。

この謳い文句がもう胡散臭くてしょうがないですが笑
でもこれはガチだと思います。

是非期待していてください。

しばらくバタバタする&ノウハウをまとめるのに数ヶ月は余裕でかかるかと思いますが、その頃には今よりもさらに上のステージに到達し、そこで得た知見もシェアしますので是非、続報をお楽しみに!

「音楽辞めてショート動画屋になるんすか?」

かつては僕の発信を見ていてそう思った方もいそうですが...

もちろん答えはNO。

正直今、作曲家やプロデュース業よりもショート動画のほうが圧倒的に稼げています。

でも音楽を絶対に辞めない理由がある。

CNRとして叶えたい理念は変わらず持っていますし、
そしてもう一つ、大きな夢があります。

それは、

『自分が手掛けたアーティストが、武道館を埋めている光景をこの目で見る』

僕が人生でどうしても叶えたい夢がいくつもあるんですが、これはそのうちのひとつ。

途方もない夢ですが、僕は欲張りなので
夢はどうしても全部叶えたいんですよね。

僕はこれから、ここに向かいます。

そのためには、これからも実績を積み上げ続ける必要がある。

その過程の中で、
「新時代のアーティストの生き残り方」を確立させ、その渦に皆を巻き込んでいく。

そして、僕自身がプロデュースできるアーティストの数は限られているので、ゆくゆくはもっと多くのプロデューサー、クリエイター、アーティストを巻き込んで、CNRの輪を広げていきたい。

それぞれがこの”弱者なりのゲリラ戦術”を使って音楽業界を引っ掻き回す展開、見てみたくないっすか?

僕は見てみたい。皆にも見せたい。

そしてプロジェクト元来の目的である
「一人でも多くの人が、音楽の道を諦めずに済む世界」を作り、最終的に夢を叶えていく。

それを皆さんにお見せしたいと思っています。

そして、現在もはや本業(収入的な意味では)となっているショート動画も、

実はこの夢を叶えることに非常に役立ちます。

というのも、当初はお金を稼ぐためだけに始めたショート動画にも
今では大きな目標が出来ています。

もちろんもっと稼ぎたいというのもありますが、それに加えて

「自分が売りたいアーティストを、ショート動画を活用して意図的にバズらせる」

ここまで極めたい。

これができたらもう最強です。

しかし動画マーケティング界は、とんでもない化け物クラスの猛者がうようよいる世界。

そんな猛者達でも非常に難しい芸当なので、これもまたものすごく大きな目標です。

ただ、音楽のプロが動画マーケティング猛者になったら?

そういうケースほぼ見たことがないですが、そうなれたらもしかしたらその境地に辿り着けるんじゃないかと考えてます。

やはりこれにも長い時間がかかりますが、

「NFTとコミュニティを活用した新たなアーティスト生存戦略」

「ショート動画戦略で動画マーケティング猛者を目指す」

この二本柱で挑戦し続けることで、倍以上の効率で試行回数を積み上げ勝ちを狙いにいきます。

『もうMt. Blueは応援しなくても大丈夫なのか?』

これは上記の話にも繋がるんですが、

僕はこれまで、
極貧時代を経験しながらも、なんとか音楽にしがみつき10余年。

しかしコロナ禍で全ての仕事を失い

なんとかしようと次々と新しい挑戦をするも全て惨敗

ギリギリのところでweb3に活路を見出し

プロジェクトが上手く行って次々と完売

応援してくれた皆さんのおかげで命をつなぐことができ

そのおかげで生まれた時間をフルに使って

YouTubeでも結果を出すことが出来た

我ながら、なかなかに面白いストーリーをお見せできたと思います。

しかし、今の僕を見てこう思う人もいるんじゃないでしょうか。

「もう生活も困ってなさそうだし、もしかしてもう応援いらない?」
「もう落ち着いちゃってここから先は面白いストーリー見れなさそうだな」

....否!!!!

まだまだこっからっす!

人間としての尊厳ある生活を手に入れたところまでがシーズン1。

これからシーズン2のスタートです!

前述した僕の夢。

『自分が手掛けたアーティストが、武道館を埋めている光景をこの目で見る』

では、ここに向かうためには何をしなければならないか?

もちろん武道館埋めるくらいだから、めちゃくちゃ売れて有名になるのは必須。

じゃあ売れるには?

無名で資本もあまり無い状態から、大手レーベルのアーティストをぶち抜いて売れるには

「圧倒的強運」が必要です。

いや結局運か~い!というツッコミが聞こえてきそうですが、
諦めず行動し挑戦し続けた者の頭上にしか強運は降りてきません。

運の正体=試行回数

密度の濃い試行を何度も積み重ねれば、いつかは運を掴める。
それは僕自身がすでに証明していることです。

そこまで行くには、長く生き残り打席に立ち続ける必要があります。
だからこそ、これからも皆さんの応援が必要不可欠なんです。

これまでのCNRでは、皆さんが応援してくださり、
音楽NFTを買ってくださったお金は、半分は僕が生きていくために使われました

しかし現在は僕の命を繋いで頂く必要はありません!

では、何のために音楽NFTを買っていただくのか?

もちろん次回作の制作費とプロジェクトメンバーへの分配は変わらず必要ですし、
さらにこれからは、プロジェクトのために全額突っ込める。

だからこそ、皆さんの応援が夢に、そしてプロジェクトの目的に対してダイレクトに届きます。

プロジェクトの目的は、

「一人でも多くの人が、音楽の道を諦めずに済む世界」に近づくため、

「新時代のアーティストの生き残り方」を確立させ、

その渦に皆を巻き込んでいくこと。
そのための第一歩として、我々が成功事例を積み上げる必要がある。

そして世間が注目するほどまで成功事例を積み上げ続ければ自ずと

『自分が手掛けたアーティストが、武道館を埋めている光景をこの目で見る』

という夢に近付ける。

それが、僕らが描くシーズン2のストーリー。

続き、気になりませんか?

気になりますよね?👀

是非、これからも見ていてください。そして応援して欲しい。

そんなシーズン2の最初の一歩が、来たる4月13日に幕を開けます。

CNRから新たに新人アーティスト『カルラ』がデビューし、1st.シングルをリリースします。

皆様へのお願い

そこで、もう一度皆さんにお願いがあります。

今回発売する、音楽NFTを買ってください。
お願いします。

0.004ETH × 500点限定で、音楽NFTを発売します。
これが、アーティスト・クリエイターの命をつなぐ新しい生存戦略であることを証明するのです。

それによって長く打席に立ち続け、より多くの試行回数を積み上げることで、それがヒットという結果に繋がっていくと業界に示す。

そのために、僕には実績を積み上げ続ける使命があります。

僕はいいもの作れる自信があるんで、いつか必ずヒットに結びつけることができると確信しています。

実力とは、運が巡ってきた時に、それをモノにする力。

それを握りしめ、試行回数を積み重ねて、当たりを引きに行く。

その時までCNRのアーティストたちが走れるように、皆さんの力を貸してください。

僕達の楽曲を、皆でシェアし、身内ノリを楽しみ尽くし、
web2もweb3も関係なく”身内”に巻き込んでいく。

そしてその先にある、皆で作ったアーティストが成功を掴んだ先の景色を皆で見たい。

「web3コミュニティからヒットアーティストを生み出す」その瞬間を、その景色を皆で見に行きたいと、そう強く思います。

そんな大きな挑戦の次の一歩を進みます。

皆さん、どうか、応援を、ご協力を、よろしくお願いいたします!

音楽NFTはこちらから購入できます。イーサリアム(ETH)での購入と、クレジットカード決済もできますので、是非お願いします!

※4/22 500枚全て完売しました!!
応援いただいた皆さん 本当にありがとうございます!!

超絶大感謝です!!!

これでCNRという「新時代のアーティストの生き残り方」の事例が積み上がり、 また次に繋いで先に進むことが出来ます。

「web3コミュニティからヒットアーティストを生み出す」に向けて、皆で走っていきます。

まだまだ長い長いロングランですが、 今後とも是非応援よろしくお願いいたします!!

・ミントサイト(ETH決済)

・クレジットカード決済フォーム

◆複数枚購入する場合◆

クレカ決済ページのURLが、

例_https://piement.xyz/ja/projects/○○○○?quantity=1

のようになっているんですが、

末尾の数字を変更することで一度の決済で購入する数を変更できます!

※デフォルトは1になっています。
(末尾?quantity=1の最後の”1”を”2”にすると”2つ購入”となる)

また、是非YouTubeのチャンネル登録いただけると励みになります。
こちらで楽曲MVを視聴できます。

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました!

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