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【数理落語(6)】 『ε-N論法』

 時代劇によく出てくる「悪代官」と「越後屋」というのがありますが。

 実際にはお代官様っていうのは中間管理職で、庶民から江戸幕府に「うちの代官は使えません」みたいな直訴があると、簡単にお役御免になるという大変な立場であったようでして……


越後屋「お代官様、こちらは、差し入れのまんじゅうでございます」

代官「いつもすまんのう。では遠慮なく。ん?本物のまんじゅうだと?」

越後屋「ご心配には及びません」

代官「おお、箱の底に、山吹色のまんじゅうが入っておったわ。わしの好みを心得ておるのお」

越後屋「勿論でございます。好みと言えば、花魁の蝶とはいかがでございますかな」

代官「日々限りなく、近づいておる」

越後屋「それはそれは。えー、限りなくというのはつまり…うまくいっていると」

代官「無論。わしも日々口説いておる。初めて顔を合わせたときは、襖の前から動こうともせんかったが、なあに。そこはそれ、わしの男気の見せ所。裏を返したときに、もそっと寄れと」

越後屋「おお。ではその際にお代官様のものに」

代官「距離を半分縮めた。なかなか照れ屋でのう」

越後屋「そういうことでございますか。それならば、次こそは」

代官「うむ。その次も距離を縮めた。四半分に」

越後屋「おお。ではいよいよ」

代官「次もまた半分に、次もまたその半分になった」

越後屋「すると次は8分の1、16分の1、32分の1、60と4分の1、128分の1、256分の1、512分の1、1024分の1…ふっと散らせば比良の暮雪は落花の吹雪とござい」

代官「なんだその蝦蟇の油売りみたいな口上は。まだフラれておらんわ。だが、近づき切れん」

越後屋「一つになれないと」

代官「日々蝶との距離は縮めていないわけではないのに、どういうわけか触れることもできんのだ。いつぞや、あのお蝶に…以下、コンプライアンスのため、ピーと入れておくな」

越後屋「では申し上げます。距離がゼロになるまでには、無限の時間を要しますな。お蝶は、気を持たせておいて、詰まるところ、お代官様にずっと通わせ続けるつもりでございましょう」

代官「なにい?ならばこの銭の力で、どうにかするか」

越後屋「吉原の花魁を身請けするとまでなると、そのまんじゅう箱一つの小判では足りませんな」

代官「だめか」

越後屋「はい。箱は箱でも千両箱がいるかと」

代官「世の中、なんでも金だ。世知辛い。越後屋、出せ」

越後屋「私も千両はすぐ右から左にという訳には。ですが、案ならば出せます」

代官「その案とは」

越後屋「私にも益になる話でございます。以前からお代官様の耳に入れようと思っていた儲け話でございまして」

代官「ほう、儲け話と? ネズミ講とかね。それともオレオレ詐欺とかかな」

越後屋「仮にそれらで捕まらなかったとしても、千両貯めるのは難しいでしょうな。いえ、詐欺は詐欺ですが、借り入れた小判をかすります」

代官「小判をどのようにかすると」

越後屋「手前どもでは両替商も営んでおります。百一文と申しまして、朝百文の貸付をしますと、夕には1文の利息を取ります。日銭を証文無しで貸す、というのが売りでございました。ところが商売敵の志村屋が、『上は千両箱を万箱、億箱でも、下は一文銭をさらに割った額まで!』などと、朝借りて夕に返せば、利息は無しというのを売りにしているのです」

代官「万箱だの、ましてや億箱だのとは、いくら志村屋とやらでも持ってはおらんだろう」

越後屋「確かに一商人が抱える額を上回っておりますが、志村屋は他国の両替商と手を結び信用貸しというものを利用して、理屈の上では億の上の額であろうといくらでも用意できるらしいのでございます」

代官「億の上は兆か。ああ、お蝶よ……」

越後屋「ならばその貸付を使おうかと思います」

代官「ん?ようは借金をするというだけのことか?」

越後屋「そんな単純なことではございません。お代官様。1000箱の千両箱を借り受け、一箱かすったら残りはいくらになるでしょう」

代官「おい、算盤を持てい」

越後屋「お代官様。もしや数字に弱いかと思ってはおりましたが…999箱でございます」

代官「今そう言おうと思ったところだ」

越後屋「肝心なのは1000箱もあると、一箱くらいは大した違いではないということです。1000箱のうち1箱をごまかすならば、誤差は0.1%でございます」

代官「たしかに。ところで0.1%というのは何%だ?」

越後屋「…そもそもパーセントの意味はご存知ですか?」

代官「バーゲンのときに出てくるな。50%引きとか」

越後屋「間違ってはおりませんな。パーセントは100分の1という意味でございますよ」 

代官「だから?」

越後屋「0.1に100分の1をかけると1000分の1です。とにかくほんのわずかですな」

代官「ふむ。だが1箱違うのは同じだな」

越後屋「いや、こうお考えください。今、蝶殿は20歳、お代官様は40歳。夫婦になっても歳の差があり、世間では「歳の差婚」だの「金目当て婚」だの「ロリコン」だのとうるさく騒ぎます」

代官「最後に一つ、聞き捨てならぬのが混じってなかったか?」

越後屋「ご心配には及びません。20年も経てばいかがでしょう。40歳と60歳になります」

代官「ああ、なんか聞こえがぐっと良くなったな。ではもう20年経つと」

越後屋「それぞれに20を足すということになりますから、60歳と80歳です」

代官「お似合いのカップルだな。さらに20年経つと?」

越後屋「だからそれに20を足すので、80歳と100歳ですよ」

代官「ますます良い。そこから100年経つと?」

越後屋「お代官様は何歳まで生きるおつもりですか」

代官「良いではないか。して、それがどういう意味があるのじゃ?」

越後屋「つまりこういうときは、差が問題になるのではないのです。割った値、商が問題になるのです。こういう算法をするからこそ、手前どもは商人と言う訳でございまして」

代官「それはうまいことを言ったのお」

越後屋「恐れ入ります。もうおわかりでしょうか。小判は金貨ですから、うまい具合に削って、混ぜ物をして、一箱分はかすりますが、箱の数はそのままにすれば、見た目はごまかせます」

代官「それは見事じゃ」

越後屋「気になることがひとつございまして。志村屋は、たいそう精巧な秤を持っているかと思われます」

代官「それが?……ああ、重さで知れてしまうのか」

越後屋「左様でございます。ただ秤には測定の限界というものがございます。それをまず知る必要がございます」

代官「まず知る必要って、お主、知らんのか?」

越後屋「まだ知りませんし、ことによっては志村屋は、私には教えないのではないですかねえ」

代官「なにをのんびりとしたことを。それではどうすればよいのだ」

越後屋「ご心配には及びません。私には教えずとも、お代官様が尋ねれば答えるのではないかと」

代官「厄介じゃのう。どう聞けばよいかわからんぞ」

越後屋「大したことではございません。まず志村屋に秤を見せてもらい、『この秤の精度は?』と聞きます」

代官「もし秤がよほど正確なものであれば、小判の見た目をごまかしても重さがごまかせぬ。かするのは無理であろう」

越後屋「ご心配には及びません。私は秤の精度がわかれば借り受ける額を計算し、それに応じてこちらの誤差を相手の測定精度より小さくできます。志村屋が万一「精度はとても高い」など曖昧なことしか云わぬようであれば、お代官様は堂々と「誤差のない秤はないであろう」とおっしゃってください。ただ、恐らくやつは秤の精度に自信を持っておるでしょうから、「1/1000の誤差も見逃しません」とか、「有効数字3桁を保証できます」とか、「0.1%以下の精度を誇ります」などといった云い方をするでしょう。そうすればこちらは少し余裕を見て、それ以下の誤差になるように、借りる千両箱の数を云うのです」

代官「では、相手の秤の精度が1/10000であっても、こちらの誤差を小さくできるのか?」

越後屋「はい、今度は借り入れる額を 10万より大きく選べばできます」

代官「もそっと差を、1/100000 より小さくはできるのかの?」 

越後屋「はい、お代官様。ぬかりはございません。今度は 借り入れる額を 100万より大きく選んでくだされば、お望みのようになりまする」

代官「もそっと差を、1億分の1より小さくは?」

越後屋「余裕をみて1/10の誤差になるように、その数の逆数に10をかけた額以上の千両箱を借りれば、あらゆる精度に対応できます」

越後屋「ほう。越後屋,お主も悪よのう」

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志村屋「これはこれはお代官様。わざわざこのようなところにお越しいただきまして……」

代官「なに、構わぬ。最近飛ぶ鳥を落とす勢いで商売を営んでおるという志村屋にはぜひ会いたいと思うておった。なんでもお主は、精巧な秤を持っているというではないか。ぜひ見てみたい」

志村屋「ほう、お代官様が手前どもの秤にご関心を。それは光栄にございます。こちらへどうぞ。ちなみに私は勘定奉行様とも親しくさせていただいておりまして、お代官様の噂はかねがね伺っておりました。実は本日、越後屋さんに貸付を頼まれておりまして。その立会いのために勘定奉行様のところからお役人がいらしていたところでございます」

代官「え?勘定奉行から噂を聞いておる?しまった。わしはすでに不正をするものと疑われておるな…」

志村屋「こちらが秤でございます。…もし、いかがなされました?」

代官「いや、なんでもない。コホン(わざとらしく)ところで志村屋。この巨大な秤の精度はどうなっておる」

志村屋「ほう、そこに興味を持たれましたか。それはまたいかにして」

代官「興味を持ったから持ったのだ。精度はどうなっておる。申せ」

志村屋「いえ実はこの秤、巨大ですが、油圧を利用した天秤ばかりとなっております。ですから、量っている物の重さの誤差は、何パーセントとは申せません」

代官「ええ……誤差のない秤はないであろう。申せ」

志村屋「ではわかりやすく。これは仮の話でございますが、千両箱を1000箱借り受けた者が、一箱分の小判をかすめたとしましょう」

代官「うっ、ドキッ」

志村屋「その場合、返してきた箱を左の巨大な皿に載せます。右には基準となる1000箱を載せます。左右の999箱分は釣り合うでしょう。しかしながら、左に1箱足りない分、針は右に触れることになります」

代官「……誤差のない秤はないであろう……」 

志村屋「もっともでございます。この秤、重いものの差には強いのですが、小さな重さのものを測ることができないところが弱みです。1g以下の重さのものは測定できません。そこで、まさかいないとは思いますが、少量の借り入れをしてわずかな割合のごまかしを何度も繰り返そうとする不届きな輩に備えて、量子秤を用意しております。複数の物理量を測定することにより、分子の数を正確に測ることができます」

代官「誤差のない秤は……うぬぬ。越後屋はどうにかなると言ったのに……」

志村屋「ふふ。どうなされましたかな。この秤があれば、たとえまんじゅう一つの誤差も見逃しません」

代官「まんじゅう一つ?では、10万100借り受けよう」

〈了〉

Ver.1.0 2020/5/14 

Ver.2.0 2020.5.15 少し長いところを削った。

Ver.3.0 2020.9.17 代官が計算法を覚え、一人で志村屋と駆け引きをして失敗をするほうが落語によくあるパターンになるので、そのような流れに変更。

Ver.3.1 2021.9.23  Ver.3.0の設定にしたとき改まっているべき越後屋の台詞が改まっていなかったので、書き換えた。


この前に書いた数理落語はこちら。

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