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司法と犯罪の備忘録(2) 『保釈を求めるのは反省してない?』

司法と犯罪の備忘録を続ける。うちの店で「医療と司法と福祉の勉強会」というものを開催しており、その2回目が司法の回であった。担当の弁護士先生に司法に関する基本的なことをお話しいただいた。他の弁護士先生もいたので、横からどかちゃかツッコミを入れていただくという形式で行ったら、なかなか話が進まないほどにディスカッションが盛り上がった。喜ばしい。



犯罪の例を考えたいので、犯罪件数がめっきり減っている中で減らないものを考えよう。高齢者の窃盗などがそうだ。

脱線
繰り返される窃盗 = 病気 とすぐに結び付けない方がいい。繰り返される行動は、行動の原理に従って繰り返されるようになるのであり、それを病気であるとかそうでないとか言うと、少し話がややこしくなる。ややこしくなるのだが、弁護士はこのややこしさを利用する。

正直なことを言ってしまうと、万引きで最初から公判にまで持っていかれる、なんてことはない。4、5回警察のお世話になってもお咎めなしで済むことがある(これを腹立たしく思う人は多いようだ)。

それでもいつかは逮捕(短期間強制的に自由を奪われること)されて勾留される日が来るだろう。勾留に対し、お金を払って「保釈」というものが認められることがある。

令和2年の司法統計年報法によると、勾留状を発付された被告人員 49,216名中、保釈を許可された人員は 15,431名(31.4%)であった。平成6年の保釈率は10%台、平成23年の保釈率は20%台であったから、増えているとは言える。

保釈が増えるということは、大事なことである。日本保釈支援協会という団体もあり、保釈金のためにお金を借りられる制度が用意されている。


弁護士は保釈が認められるように奔走することが、倫理規定で求められる。

これに対して、「犯罪者を甘やかしている。けしからん」などという人がいる。福祉職の人にもいる。

役に立つものが善であると考える医療者の私としては、保釈に反対するのは問題だと思う。



犯罪者に厳しくなるのは判らないでもない。人というのはそんなものだ。

ただ、対人援助のプロフェッショナルが、制度の本来を正しく理解しておらず、制度を無視するような「援助」をするとしたら問題である。

勾留は、後の公判から逃げないようにすることと、証拠隠滅を図らぬようにする必要性から、自由を奪う制度である。
同じ自由を奪われるのでも、逮捕・勾留と禁錮・懲役とでは意味が違うのだ。

勾留の本来のあり方、という観点から考えると、まだ被疑者でしかない者を、日常生活も仕事もできない、ことによっては治療も反省もしがたい環境に置くことの問題は無視できない。


仮に刑務所に行く、ということに何かの意味があるとしよう。でも勾留は受刑とは違うので、その意味も持たせられない。


逮捕されるような人に関わるような仕事をする人がいる。援助職はそうだ。援助職が保釈を正しく理解していないと、相手にどう接するかに影響するかもしれない。「保釈されるための悪知恵を身につける利用者がおり…」などと言っていたらそうだろう。対象者の家族に、保釈をしないよう勧める、なんてこともあるかもしれない。かなり人権的に問題だ。


対人援助者は、犯罪者に抱いた負の感情を手なずけつつ、原則に基づいた関わりをすることが大事だ。

一般の人には、、、うーん、理解され難いかもしれない。

Ver 1.0 2022/4/21


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前回はこちら。


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