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【数理落語(5)】 『級数そば』

「おうっ、ごめんよっ。いやあ、ちょうどいいところに通りがかったよ。夜鷹そばとはありがてえね。おやじ、何ができる?」
「いらっしゃいまし。ええー、鴨だしがございます。麺は粗びきでございます」
「そうかい。屋台で鴨だしそばとは珍しいな。じゃあ鴨だしをひとつ作ってくんねえ」
「かしこまりました」
「それにしても今夜は冷えてんなあ」
「お寒うございますな」
「こういう日はあたたけえそばに限るよ。で、どうでえ?商売のほうは?」
「それが、アナログショック以来、不景気で」
「そうかいそうかい。いやいや、こういうときこそ、強気に出なくちゃいけねえよ。商いってのは要するに売買だ。だから倍々ゲームでかけていかなきゃ」
「お客さん、うまいことをおっしゃいますな」
「俺はこれからちょいと行くところがあってね。ガラポンって、そう、博打だ。だからゲンをかつがなきゃね。おや、屋号は的に矢が2つで、確率ベクトルと確率変数ベクトルの内積をとって『期待値』?縁起がいいねえ。期待しちゃうよ。よくこんな名前つけたねえ」
「お待ちどうさまです。お客さんにはお褒めいただきましたので、おまけで具を足しておきました」
「え?もうあつらえた?江戸っ子は気が短けぇから、早くなくちゃいけねえ。いいねえ31秒。素数だよ!おまけで足すってのも、粋だねえ。お?割り箸?いいねえ。最初から割れてると、割る前の数字がいくつだったかわからねえ。自分で割るのはいいよ。俺は2で割るよ。あ、いい丼だねえ。そばは器で喰わせるからねえ。それに、かけてたりしちゃ、大きさが何倍になるかわかんないからねえ。こりゃあいい器だ。(つゆを飲む音)ん?いいだしだねえ。だしだけに、鰹節を足しに足したねえ。む、肝心のそばが細いねえ。麺なのに線とはこれいかに、ってなもんだ。ぽきぽきいってらあ。う、ちくわ。これは厚く切ったねえ。いいのかい?中には薄いのを通り越してさ、厚さが負になってるのがあるから気をつけなくちゃいけねえよ。こりゃあいいや」
(そばを食べる音が響く)
「ふわあー、エレガントだった。ごっそさん。いやさ、1杯喰ってうまくて、k杯目がうまいときkプラス1杯目もうまいというのが成り立つならば、すべての自然数n杯目でうまいってことを証明したいところなんだけれどさ、今、わきでまずいの喰ってきちまって、腹がいっぱいなんだ。これでごめんよ。いくらだい?」
「へえ、16カッパーになります」
「そうかい。あ、ええとなあ、俺、先払いしてえんだよ。さっきもいったろう?毎日うまい思いしたいんだ。そうさな、永遠にな。そこでよ、まあまずは今日の16カッパーだな。ちょっと悪いけど細かいのしかねえんで、手ぇ出してくれるかい。えー、足していくぜ。いくよ。16、32、48、64、80、96、112、128、144、160、176、192、208、226、242、256、おやじ、ゼータ関数のsが0だったときの解はいくつでぃ?」
「へい、マイナス2分の1です」
「じゃあ16をかけるとマイナス8だな。無限杯分のお代ということで、8カッパーもらっていくよ。ごっそさん!」
 この一部始終をを木の陰から見ていた男がおりまして。
 「はあ?なんでえ?あいつは。ぱあぱあぱあぱあよく喋りやがったな。数学オタクか。確率ベクトルだの素数だの割れるだのかけるだの足すだの線だの負だのって。それに今さらそばの値段なんて聞きやがって。そんなもん16カッパーに決まっているだろう。それにしてもあいつ、変なところでなんか聞きやがったな。16、32、48、64、80、96、112、128、144、160、176、192、208、226、242、256、おやじ、ゼータ関数のsが0だったときの解はいくつでぃ?へい、マイナス2分の1です。じゃあ16をかけるとマイナス8だな……あれ?もう一回。16、32、48、64、80、96、112、128、144、160、176、192、208、226、242、256、おやじ、ゼータ関数のsが0だったときの解はいくつでぃ?へい、マイナス2分の1です。じゃあ16をかけるとマイナス8……あ、あのやろう、騙しやがったな?解析接続を使って、払うどころか8カッパーをカッパらいやがった。んん……、んめーことやりやがったな」

 この、ちょっと数学についてはそこそこは詳しいがぬけたところがある男が、俺も儲けようって言うんで、次の日同じことを試みようと致しまして……

「おうっ、ごめんよっ。いやあ、そば屋とはありがてえね。何ができる?」
「いらっしゃいまし。かけがございます。つけもございまして、十割でございます」
「かけがございます、つけがございます、って、かけそばともりそばしかねえんじゃねえか。それもまた珍しいよ?じゃあ鴨出汁なんか、当然ねえわな。いいや。じゃあかけひとつ作ってくんねえ」
「かしこまりました。あと、うちの看板娘がお邪魔します」
「看板娘?そういうのがあんの?いろいろ予定が狂うね。はい、かわいこちゃん……って、けっこうその、あれだね。年行ってるね。化粧でごまかしてるけど。あ、なに、ここでトークを楽しましてくれんの。そば屋でねえ。おやじさんは、あっち向いちゃってるしねえ。じゃあ、この子を相手にするか。それにしても今夜は冷えてんねえ」
「どちらかというと、あたたかいわね」
「んんー、言われてみるとそうだなあ。こういうあたたかい日は……いや、いいんだよ。そばなんか、いつ喰ったってうまいんだよ。どうでえ?商売のほうは?」
「それがアナログショック以降、お金も、実数や無限級数を計算して扱えるようになったおかげで、ちょいといい思いしてんの」
「いやいや、こういうときこそ、頑張んなきゃ……え?儲かってんの?このご時世に?いやあ、いけなくないよ。まあでも、油断大敵だからね」
「商売の商は割り算の答えという意味だからね。何事も割り切って進まなきゃ」
「え?うまいこと言うねえ。……ええと、気をとりなおして。いや、俺はこれからちょいと行くところがあってね。ガラポンって、そう、博打だ。だからゲンをかつがなきゃね。は?この店の屋号は矢が2本そっぽを向いている?『一次独立』?縁起が……いいのか悪いのかよくわかんねえ。なんでこんな名前付けたかねえ。え?内積はゼロ?いや、どうでもいいから。意味わかんねーし。……っていうか、おそばまだかなあ?いや、いいよ。俺、気が長えんだ。江戸っ子だけど気が長えんだ。………………………………………………それにしてもまだ?」
「お待ちどうさまです。おまけで湯を入れおきました」
「ああ、やっとできた。いいねえ498秒。ええっと……偶数だよ。ねえ……それだけだけど。それと、お湯まで入れてくれたって。あ、それさ、お湯を「足した」とか「かけた」って言ってくれると良かったんだけどなあ。え?そのぶんだしを引いた?……それ、お湯で割ったっていうんじゃないの?それっておまけになるの?おや?箸は……割ってあるねえ。ネギがついているよ。その……エコだよねえ。それよりもさ、あ、いい丼だねえ。かけたりしてたら……かけてるどころか割れてるよ。少しずつ漏れているじゃないか。急いで喰わなきゃ。ん?ゲホッゲホッ。だしが、苦い。甘え、辛え、じゃなくて苦いって、そりゃあ湯もかけるわな。いや、そばは麺だよ。肝心の麺が……太いとかそういうのじゃなくて、もうこれ塊だよ?線でも面でもなくて立体。ちくわ……はねえよな。かけそばだもんな。え?むしろよこせ?あはは、冗談がキツいよ。それこそ負になっちまう」
(そばの塊を食べる音)
「んんー!ねちょねちょして……うぅー、もう手が進まないよ。ごっそさん。いやさ、今、ここでまずいの喰って、もう喰えねえや。これでごめんよ。おやじさん、いくらだい?」
「1ゴールドです」
「そうかいそうかい……って、え?そばの値段は一杯16カッパーだろう?」
「うちは時間制の食べ放題でして。女の子もつけておりますし、1時間1ゴールドです」
「食べ放題って、こんなそば喰えねえよ……ここ、夜鷹そばだろう?」
「ああ、あたし、夜鷹やってたのよ」
「そんなんどうでもいいよ。女の子はぜんぜん女の子じゃねえし、そばも十割りどころか、ありゃほとんどだんごじゃないか」
「こちらではそばとは一言もいった覚えはありません。小麦粉10割りの麺でございます」
「ちっくしょー!手持ちなんかねえよ」
「そうですかねえ。さきほどこれから博打に行くとおっしゃっておりましたし、財布をお出しになったとき、1ゴールドとちょいとばかりが目に入りましたが。ま、あと、お支払いいただかなかった場合はつけということでございまして、その場合の利息が、一日で十割というのが本当の意味でございます」
「つけって、つけ麺っていう意味じゃなかったの?一日十割?つまり明日には2倍ってことじゃねえか。とんでもねえ暴利じゃねえか。……あ、そうだ。いいことを思いついたぜ。俺、先払いしてえんだよ。さっきもいったろう?この先ずうっとうまい思いしたいんだ」
「さきほど当店の麺をまずいとおっしゃったばかりでは」
「なに言ってんだよ。それは言葉のあやだよ。姉ちゃんだって美人じゃねえか。(ぼそりと)顔をみなけりゃね。いや、それでさ、永遠にいつまでもここを利用する、いってみりゃあフリーパスがほしいってところよ。その先払いをしたいんだ。つけにして、利息のついたところを先に払う。悪くねえ話だろう?」
「えーと……ははーん、かしこまりました。お客さまはつけにした上に先払いをされる、と。ちょっと待ってくださいね。……あ、計算できたぞ。よしよし。いえ、なんでもありません。実は申しておりませんでしたが、明日には2倍になる借金なんですが、明後日にはまたその半分、つまり、元に戻るという、シャレた利息になっておりまして」
「あ、そうなの?そうなると……どうなるんだ?」
「手をお出ししましょうか?」
「あ、そう?なんだか用意周到で、ほんと調子が狂うね。じゃあいくよ。えーと、かけるよ?2倍、2のマイナス1乗倍、2倍、2のマイナス1乗倍、2倍、2のマイナス1乗倍、2倍、2のマイナス1乗倍、2倍、2のマイナス1乗倍、2倍、2のマイナス1乗倍、2倍、2のマイナス1乗倍。店長、これ、2日ずつまとめるってのはどうだい?ずっと1倍になるだろう?」
「その手はくいませんよ。だったら明日の2倍の後から二日ずつまとめればいかがです?答えは「2倍」になりますよ?」
「いや、2倍は困る。あ、じゃ、こういうのはどう?半分になるっていうのは先取りして、まとめて2日分で、3日にいっぺんくらい2倍にする、ってのを繰り返すの。そうすると無限に小さくなっていくっていうことで」
「お客さま、逆はいかがでしょう?2倍の日を先取りして10日分まとめて計算して、それ以降は2倍と2分の1をセットにすれば、2倍の日も半分の日も無限であることにはかわらないまま、それで1024ゴールドということで」
「じょ、冗談じゃねえ。やべーよ。決まらねえじゃねえか。いやー、どうしよう……2倍、2のマイナス1乗倍、2倍、2のマイナス1乗倍、2倍、2のマイナス1乗倍……」
「無限級数の計算の順序を変えてはいけないのは、常識ですからねえ」
「2倍、2のマイナス1乗倍、2倍、2のマイナス1乗倍、2倍、2のマイナス1乗倍……」
「お客さま、それ、2を底として対数をとったときにできる級数の、チェザロ和はいくつで?」
「2分の1」
「じゃあ2ゴールドの2分の1乗、つまりルート2ゴールドということですね。ルート2ゴールドいただきます」
「はあ、ルート2倍損をした」

〈了〉

ver.1.0 2020/5/1

ver 1.1 2021/2/5 最初はζ関数を使った解析接続であるが、次のはグランディ級数のチェザロ和である。そこで、そのことを補っておいた。


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