見出し画像

落語の病跡学 「使えない使い」

パシリの代表格といえば、小僧の定吉である。


ここで言う小僧とは幼い僧侶ではなく丁稚のこと。江戸ではそう呼んだ(「小者」「小人」とも)。

・・え、丁稚が判らない?奉公人のいちばん下の位だ。「丁稚」の「丁」は働き盛りの男子、「稚」は幼い者を意味するが、「丁稚」という言葉自体は「弟子」という言葉が転じたものである。まあ上手いこと字を当てたものだ。定吉は「稚」のほうだろう。挿絵でも背の小さい者として描かれる。年齢は10歳くらいと思われる。17歳は超えない。

え?奉公人ってのもイメージがつかない?ヨワッタネ。花魁の回でも書いた。年季奉公、すなわち一定期間住み込みで働く契約をしている身だということだ。江戸でも人身売買は禁じられていたが、このような期限のある身売りについては、10年までは法的に認められた。だからぎりぎりの10年の年季で契約されることが多い。

児童労働でもあり、制度上今なら大問題になることがいろいろあるが。


店の空いている間は働くが、商品は扱わない。仕事が終わると、読み書き算盤といったことを習う。



そもそも定吉という名前が丁稚であることを示している。名前に「吉」がついているからである。落語では他にもたとえば「亀吉」なんてのがいる。

丁稚が昇格すると「手代」、「番頭」となる。さらに出世して主人となることもある。

名前はその度に変わり、たとえば手代だと名前に「七」がついたりするが、これは店によっても違うようで、『文七元結』は文七だが、歌舞伎の『法界坊』の永楽屋の手代は要助だ。


奉公に来て、呼び名が変えられるショックは大きいものかと思われる。山本有三の『路傍の石』でも主人公吾一が五助と名前を変えられたことを悔しがるシーンがあるし、最近なら『千と千尋の神隠し』で千尋が千になる。

親のつけた名前を変えるということは、実家との関わりを断つという意味を持っていただろう。実家からは遠く離れ、帰省も盆と暮れにしかできなかった。親元で暮らしていたときのアイデンティティーを破壊し、店に存在ごと奉公するのである。



奉公は、今なら見習い研修中といったものに近そうだが、給料は出ない。小遣いがあるくらいである。そうすると学生等の実習と似た面もある。

そういや声優とか映像とかの専門学校であやしいのってあるよな。親の金を無駄にするような学校。将来の仕事にまったく役に立ちそうにないものとか、実は育てているんじゃなくてオーディションとしてしか機能していないものとか。現代は、奉公人なら禁止されるのに、授業料を取ると許されるというのがアラ不思議。

奴隷と比べるとさすがに奉公人の方が上だろう。もっとも奴隷をよく知らない。現代は、ブラックな居酒屋とかアパレル店とかもあるからねえ。奉公人には衣食住がついているので、それを金額に換算してブラック企業の時給と比較したら、どっこいどっこいだったりして。将来性まで考えると、現代のブラック企業にいるよりは弱者じゃないかもしれない。



ただ、先輩に殴られるし、休みもない。今でいうパワハラ・モラハラもあっただろう。

これは史実だが、歴史雑学探偵団 編集『発見!意外に知らない昭和史: 誰かに話したくなるあの日の出来事194』(東京書店)によると、1928年、神田書店街の奉公人たちが名前に「どん」とつけられるのに抗うために徒党を組んだという。ストライキという手段で闘ったのである。彼らはそれに勝利し、以来奉公人が「〜どん」と呼ばれることはなくなった。


完全に今の労働争議である。しかも従業員は巌松堂に岩波書店と複数の書店にまたがっているから、アメリカのストライキに近いのではないか。

「どん」問題のためだけに抗ったのではないが、これは象徴的で重要なことである。「丁稚どん」「定吉どん」などと「どん」をつけられるのがひどく苦痛だったのは皆に共通していたのだ。立派なハラスメントであったということだ。



さて定吉個人はどんな人か。パシリであるからその点では主体的ではない。仕事で使いに出されるのはともかくとして、けっこういいように使われている。『茶の湯』ではインチキ茶の湯を手伝わされ、『寝床』では義太夫を聞かされる。そのような中でもこいつ、けっこうずるいし、口も悪いし、勝手をやっている。

『花見小僧』の中で自供しただけでも、盗み・いたずら・風呂屋をタダで使う、といったセコい罪をたくさん犯している。しかも『四段目』では、度々仕事をサボって芝居に行っていることが明らかになる。黒い定吉である。


奉公人なりに主人への不満はあり、ときどき主人の悪口を言う。落語の中では、取るに足りないような嗤えることばかりである。人権はそこそこ保証されているいい店に勤めているようだ。


またまた引き合いに出すが、ゴダールによれば「すべての仕事は売春である」。人は時間や属性を売る。

そうしてしたたかに生きている。定吉もそうだ。


ただ彼の場合、仕事ができない。やらない、というのもある。

これは、学生に似ている。


責任がないのだ。人を人たらしめるのは責任だ。一人前でないということは、責任から逃れているということだ。

まだまだ伸び盛りであり、チャラいのだ。


さっさと番頭になるようなやつよりはいい。

意識の低さは、落語の主人公の資格として十分である。


ver 1.0 2021/2/6



定吉の出てくる落語。『平林』からのアレンジです。

落語の考察、花魁編はこちら。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?