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地口落ちは好きじゃない

(これ書く前に、談志師匠の本を読んじまったよ。嗚呼、俺は今からほんと瑣末だし、薄っぺらいことを書くよ。いや、談志師匠と比べるのがおかしいんだけどね)


落語のサゲ、つまりオチには分類がある。大した正確な分類じゃないからひとつひとつはまあいいとして、『地口落ち』っていうのは使えるカテゴリーだ。はっきりしてるから。洒落でオチをつけるというやつだ。

で、洒落ってそんなに面白いかネ、っていう話だ。あ、でも俺昔、オヤジギャグの研修をやったことがあったね。お偉いさんが、広く通知を出しますから詳細を教えてくださいって連絡してきたっけ。3歳の娘にも『オヤジギャクかるた』を使って英才教育してるけれどね(そんじょそこらのダジャレでは満足しない子になるだろうね)。

いやね、専門用語で言えば音連合ですよ。音が似てるっていうだけ。いくらでも量産できる。だからこその質が問われるわけで。

(余談だが、師匠に平気で冗談だとかダジャレを言う人がいる。絶対にやめろ。面白い話をするのを生業にしている人に、なにをバカなことを言っているのかと思う。っていうか自分が学ぶために時間を割いてもらっているんだったら、余計なことを喋るな。っていうか喋るな。聞かれたときだけ話せ。それも控えめに。こっちは全身全霊で師匠の話を聴いとるんだ(いつまで生きるかわからないから。ボソ)。お前のくだらん話で、師匠の言葉を中断するんじゃねえ!)


、、、って言ってみるが、これは単にどんなダジャレが面白いか?っていう話だ。落語のサゲとなるとちょっとまた意味合いが違う。なんとなれば落語では途中でいくらでもダジャレを入れ込む文脈が作れるだろう。登場人物も洒落をぶち込むお調子者、ふざけたやつがいて構わないのだし、そもそも客も笑いに来ている。それを正面から笑わせに行く「落とし噺」では洒落はいかようにも効果的に入れられる。

そんな、くすぐりとしてはもっともイージーなダジャレを最後のオチとするのが地口オチだ。で、「それでいいのかよ」ってネタと「こりゃうまいや」っていうネタがある。

自分の頭もまだ整理できてないから、ここらで例を考えてみる。好きなほうから行くと『牛褒め』

与太郎が「穴が隠れて屁の用心になります」でサゲる。

これは先に出てきた、「穴が隠れて火の用心になります」を踏まえているから笑えるので、厳密には地口落ちじゃない、っていう人もいるかもしれないが細かいことはどうでもいい。お節介な身内から習ったソーシャルスキルを応用させて、馬鹿の一つ覚えで失敗するからこそ活きる洒落だ。意味がうまいこと合っているのもいい。

自分が落語を演るようになったのもこの噺を演りたかったからで、しかも最初に習った(談志師匠は嫌いそうなネタだね)。

凝った師匠は「節穴が隠れて火の用心になります」から「牛穴が隠れて屁の用心になります」と演っていて、自分もあらゆる要素を詰め込みたかったからそれに倣った。今は「穴が隠れて・・」に戻している。完成度と面白いことは違う、っていうことを踏まえて、完成度のほうをバッサリ切り捨てられるようになった。そもそも「牛穴」という言葉がちと苦しい。

とにかく言えるのは、うまく作り込まれているのが好きっていうのと、間抜けな結果に、似たような言葉を合わせてくるのがいい、っていうことだ。あ、くれぐれも言うけど、俺の好みだよ?(それもちょっと標準から外れている好み)


嫌いな例を言うと、『三方一両損』。落語に限らず物語というものはひとつのテーマに沿ってラストシーンまでなんの無駄もなく進むものだと思っている。すべてが最後の洒落のためのお膳立てなのだとすれば、この話はダジャレを引き伸ばしたものでしかないことになる。だが、詳しくは書かないが、この噺のテーマは全編通じて江戸に住む異なる立場の者が「粋」だな、っていうところにあるはずで、洒落はもはや蛇足でしかない。『天災』の「先妻」に掛けるサゲも、無理が見えて痛く思ってしまう。

たぶん話を落語として収束させる道具として、オチが用意されているのだろうが、いっそ『野晒し』のようにオチなんかつけずに終わらせるっていうのだってあるかもしれない(ただ、それも好きじゃない)。


地口に頼らずに終わらせるのは難しい。逆に言えば、それができていると良い落語と言うつもりはないが、緻密であるというか、完成された感とでもいうか、そういうのが生まれて自分は好きだ。『粗忽長屋』とか『あくび指南』とか。『頭山』とかなんか最高だ。

(ただ落語の価値は「よくできた話です」にあるわけではないんだろうな。俺は伏線とか仕掛けの見事なのは好きだけど、まだそれは浅いレベルの話だろうね)


考えてみると、漫才やコントの色物のほうが、地口に頼らないオチを使っているように思われる。ドラえもんのような漫画もそうだ。


えーっと、今回は書きながら本を手にしてしまったり、談志師匠の動画を観てしまったりと、やたらと回り道して原稿を書くのに時間がかかってしまった。ここで不意に思いついた。この記事を、地口落ちでサゲて終わらそう。たった今の時点で、頭は空白であるが。。。


論理的思考を放棄した俺の手に、言葉よ宿れ・・・


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「チッ、隙がねえな」(ま、ギリギリかな)


【追記】

その後談志師匠が若い頃に書いた『現代落後論』を読み直してみた。すると、『三方一両損』のダジャレのくだらなさは談志は折り込み済みで、意外なことを述べていた。引用する。

…あんなに楽しい三方一両損を、”大岡ァ喰わねえ、たった越前”あとまったくくだらない落げで終わるのは、むしろ愛すべき楽しさもあって、バカバカしすぎてうれしくなる時もある。

地口落ちが好きになってきた。


Ver 1.0 2020/7/8

Ver 2.0 2021/4/17 追記をつけた。


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