目に頼る自分が世界をどう見ているのかに気づく
読んで良かった…
目の不自由な人に、どのように手助けをしたらよいのかを教えてもらったことがある。
「同伴するときは、先を歩かれると不安になるので横のほうがいい」
「食事の席では料理の場所を何時の方向にあると教えてもらえると分かりやすい」
などといったことが聞けた。
あと、コンビニのおにぎりはいつもロシアンルーレットだそうだ。この本でも「回転寿司はロシアンルーレット」という話があって、「ああ、やっぱりそうなんだ」と思った。
ところでこの本は目に障害のある人を手助けするための本じゃない。
もっと先を行っている。「見えている人」に、この世の中を今までと違った見方で見せてしまう凄い本なのだ。
作者の伊藤亜紗さんは、美学者だそうだ。美少女、美女の類の、美"学者"かと強い関心を抱いた私はすぐに画像検索をして、フム、と納得してしまったのだが、そっちの美学者ではなくて美学を専攻する学者のことであった。
なんでも美学は哲学の一分野だそうで、そういやアリストテレスがそんな話もしてたっけ。するとこの本は、見えない人の世界観を考察する道具として美学を用いているのかな、と思ったが、話は美学の範疇に留まっていないように思われた。
一般向けにしたために、美学ならではのバリバリに難しい話は避けたのだろうか?どちらかというと、現象学と思えるような考察があったが、どうなんだろう。
真っ先に思い出したのは、村上靖彦著『自閉症の現象学』という本だ。こちらも、ひとつの障害を医療や福祉ではなく、哲学的観点から解き明かす試みをした著作だ。
ただ村上氏は哲学者としてかなりのフィールドワークを病院でしたにも関わらず、重度の自閉症児を対象にしたせいか、当事者の言葉は文献からの引用のみであったのが残念であった。氏の考察は自閉症者からの答え合わせをしていないので、間違いが多々あってもおかしくない。
一方『目の見えない人は世界をどう見ているのか』のほうは、目の見えない人のカラリとした言葉が載っていてそれが生き生きしていて、平易なのに意外、意外なのに説得力のある話が満載である。『見えない』世界観が見える者の「視野」を広げてくれるのだ。
大好きだった哲学の教授が言っていたことを思い出す。
かつて新興宗教の教祖が、千里眼や神通力を持っているがごとくに振る舞って多くの信者を獲得し、世間を騒がせる事件を起こした。その際教授は
「真の千里眼を得たければ、視覚を捨てるしかないのに」
と言った。
なるほどその教祖は、他人から責任を追求された際には都合よく「私は目もろくに見えない弱者にすぎない」などと言っていたが、視覚は手放していなかった。目が不自由であることのコンプレックスが、厨二的な万能感に走らせたか、などとも思うが、そのような考察も悪趣味で勝手な推論に過ぎないか。とにかく千里眼には程遠かったと思われる。
私たちの知らない世界はすぐそこに広がっている。新しい体感と発想をくれ、これからの世界をがらりと変えてしまう魔法にかけてくれる一冊。
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