お金について思うこと

最近、『お金』って何だろうってめちゃめちゃ考えた。
『おいおい、お金に困ってるのか?』と心配されそうだけど、まあ、そうではない。(別に、お金が有り余ってるわけじゃないけど(笑))
一部の人が憑りつかれ、一部の人たちが嫌悪する『お金』って、結局何だ?って考えたまでだ。

私は、お金っていうのは便利なツールだと思っている。
例えば私が林檎農家だったとする。
生きていくには、林檎以外の食べ物も必要だし、住居も、着るものも必要だ。いちいち、林檎とあなたのお米を交換してくださいって探し回るなんてできっこない。お米農家さんのところに行ったとしても『林檎は間に合ってます』と言われたら、すごすごと帰るしかない。今、林檎を欲している、有り余ったお米を持っている人を探すのって、とても大変。
『お金』というのは私の林檎を同じ価値のモノと交換してくれるための便利なツールなのだ。

だから、逆説的にいうと、もし私がお米を欲していて、運よく林檎がほしい人に出会ったなら、お金を介さずに物々交換してお互いハッピーということもありえる。そしてそれは、もしかしたら目に見えないものやプライスレスな変換もあるかもしれない。
司会者をしている私が、大親友の結婚式に司会をしてあげたとする。
これは、もうプライスレスな物々交換なわけで、本来であれば司会をするという労働がお祝いの気持ちに変換されて、等価なわけだ。
ただ、注意してほしいのは『お祝いの気持ち』と『労働(動いた時間や労力)』が等価でないと成立しないということ。大親友の結婚式だから、お祝いの気持ちで司会をしたけど、ちょっとした知り合いの結婚式の司会は等価ではない。ふたつを天秤にのせて、司会をするという労力が、グンと沈むのであれば、成立しないということを理解してほしい。

こういう時に『お金』って便利だなと思う。目に見えないことが数値として見えるから。お金が世界共通の物差しとなって、価値を見える化することで、安心してほしいものを手に入れられる。

だから、日本人の『お金儲けは下品』みたいな風潮はどうかと思う。最近、いろんな人たちが関わるプロジェクトを持続可能にするためには、ビジネスにしなきゃ続かないなと思って色々提案していたのだけど、『ビジネスがしたいわけじゃない』と言われてしまった。この言葉には『お金儲けがしたいわけじゃない』というのが透けて見えて、そうじゃないんだよなあとちょっと落ち込んだのだ。もしかしたら、お金というツールを介さなくても、プロジェクトの関係者の労力やスキルでなんとかやっていけるかもしれない。でも、それは一定の規模を越えるとみんなの労力やスキルが本当に等価なのかわかりずらくなって、不公平感が芽生えたり、そのメンバーで対処できない問題がおこったときに、にっちもさっちもいかなくなる。『お金』という、外の人とも交換できるツールを持つことで、いかなる事柄にも対処できる保険になるし、可能性も無限になる。

『お金』がすべてではない。
まったくもってその通り。
でも、すべてではないけど、とても便利で必要なものだと思う。
『お金を儲ける』ことは可能性を広げていくこと。
ただ、『お金』だけがたくさんあったって、それはツールでしかないってことを理解しているかどうかというのが重要だと思う。


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