2023年10月30日の近況報告 とあるお寺の住職が語る自殺について

今回は「自殺」にまつわるお話なんだけど、重苦しいものではないのでご安心を。
まずは以下のページをご参照ください。

心の青年への手紙・第18通 自殺と安楽死について


『死ぬ以外に「自分」の生きる道はない。そういう状況に追いつめられたとき、人は生きるために死への扉を開くのです』
 なんと正論を突いた言葉だろうか。お寺の住職は良い事を言う。無駄に頭を剃ってるわけじゃない。

 そうなのだ。自殺する人は本当はどこまでも生きぬきたい。生きて、生きて、生きて、生きて、生き抜きたい。そう強く、強く、思っているものだ。
 それこそ「死にたいだなんて1度も思ったことが無い」人よりも桁外れに強く、それこそ「狂おしい程」生に執着していると言ってもいい。
 それでも、あるいは『そうだからこそ』『生きるためには死ななくては』いけない。自らの幸福を実現するには死なざるを得ない。というのも死因の一つにあるはずだ。

 記憶に新しい例では歌舞伎俳優の市川猿之助の家族が「死んで生まれ変わろう」って言って一家心中したことが挙げられるだろう。
 彼らの心境は当事者ではないので永遠に闇の中だが、彼らも『死ぬ以外に「自分」の生きる道はない』と思ってしまって『生きるために死への扉を開いた』のだろうと思う。


 昔、どこかで見たかは忘れたけど「自殺したいんじゃない。ただ自殺したくなる部分を殺したいだけなんだ」っていうメッセージを残して自殺した人がいたそうだ。
 誰だって死にたくない。出来る事なら生きていたい。でも「死ぬ以外に生きる手段がなくなる」から(普通の人には絶対分からないと思うけどこれは矛盾ではない)死にたくなるのであって、
『死なざるを得ない』のだ。どうしても「死ぬ」以外の結論が思い浮かばないためにそれを選ばざるを得ないのだ。

 テキストノベルゲームで「ゲーム中に隠された謎が全部解けちゃって、個人的にはこうしたいけどゲーム上の選択肢はこれしかないので選ばざるを得ないもどかしさ」と言えば少しは分かっていただけるだろうか。
 自殺まで行ってしまう人というのは「本当はこうしたいけど選択肢が『死ぬ』以外出てこないので、それを選ばないとゲームが進行しない」ような状態なのだ。


『自分の想定する「生の質」(生活や人生の質)が保てない』となると絶望して死ぬ以外に無くなってしまうものだ。
 安楽死を選ぶ理由が「意味のない苦しみ」と「屈辱に対する不安と予防」の2つで半数を超えるのも、
 この『自分の想定する「生の質」(生活や人生の質)が保てない』ことの一環だと思う。


『体力と経済力に支えられた刺激的な生活こそ人生の意味だということになれば、不治の病で病床に伏す生活には、すでに意味がない。
 また、状況をコントロールし問題を克服する挑戦的な生き方こそ人生の意味だということになれば、
 寝返りひとつままならず、排便さえも家族や他人に頼るしかない生活は、屈辱以外のなにものでもない。
 そんな状況に陥るくらいなら死んだほうがよい。それが私たちの価値観から導き出される判断です』

 上記のページでこの部分は「暗記する程」覚えて欲しい所。まさに真理を突いた一言だ。
 もちろんこの住職はそれをやんわりと否定するけど、現代人の生き方に問いをかける言葉として覚えてもらいたい。


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