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「でんでらりゅうば」 第7話

 その願望は、数日の内に叶った。
 「……あんた、〝ぬえ〟ちゅう生き物を知っちょるな?」
 休憩時間に、お茶を飲みながらみつが言った。
 鵺というのは架空の生き物だ。頭が猿、胴体が狸、手足が虎で、尾っぽは蛇。どう考えてみても、この世に生きて存在する生き物ではない。安莉もそれくらいは知っていた。
 ところが、満はその鵺を何度も見たことがあると言う。
「……信じてもらえんでもいいとよ。こん村んも誰も信じちゃくれん。でもうちは見た。本当によ。ほんなこつ、何回も見たで。いっつもちっとばかし様子が違うけどな。でもあれは鵺よ。鵺やなかったら何か、想像もつかんちゃもん」
 今このときも鵺を見たときのことをまざまざと思い出しているかのように、恐ろしげな顔で満は喋った。
「あんた、昼でん夜でんすっとんすっとんあちこち出歩いとっけん、そげな妙なもんを見っとよ。日が暮れたら家でおとなしゅーうしとかんば。なっ」
 かつが、横からさとすように言った。名の示すとおり、太い眉毛と大きな目をして勝ち気な顔立ちをしているが、それとは反対に肝の小さい性格らしい勝は、夜は絶対出歩かんようにしとる、と囁き声で言う。
「あんた、こん山に挟まれたちっさな村でよ。夜出歩いたりしたら、まず獣に遭うったい。鹿やら猪ならまだ可愛いほうて。夜の山にはな、どげな生きもんが出るかわからんので。うちん母ちゃんが言うとったもんね。母ちゃんは若いときに、怖えもんを見とるんやて。大森様の森んなかから、人間の背丈ぐらいの、着物着た狐が出てきよったんと。やけんうちはな、子どものころから陽が暮れたら絶対外には出らんことにしとるんよ」
「まーた、あんた。そげなもんがおるわけなかろうもん」
 満が反論する。では自分が見たという鵺はどうなのか、という話になってくるが、そんなことは意にも介さぬすまし顔で、勝は昔っから嘘つきやけん……などと始めてしまったものだから、むきになった勝と口論になった。なんね、そんならあんたの見たちゅう鵺なんか、もっとおるわけなかったい! と勝が声を荒げたときだった。
 突然、少し離れた台の上でブルーベリーの瓶詰めを梱包する作業をしていた澄竜がこちらに向かってすたすたと歩いてきた。
「何喧嘩しよっとか。ホントにあんたたちは、いい歳こいていっつも張り合うてばっかおっとね。こっちで聞きよってもうやかましかー! 聞き苦しかー! ほんなこつ、新しゅう来た人ん前で、恥ずかしかとよ」
 麗しい細面を紅潮させながらそう言い放つ、若い澄竜の嘆息は、けたたましく言い争っていた二人の老女を瞬時に黙らせた。満と勝は目を見合わせて、頓狂な表情を作ると段々と笑顔になっていった。
「澄竜、何もな、おばちゃんたちは、こげんしてただ言い合いよるだけったい。この歳になるとなあ、こげん言い合いでもして過ごさんば、時が経たんとよ~」
 満はおどけて首を前方に突き出すと、頭を振り子のように左右に振った。はははは、と輪のなかから明るい笑い声が発せられて、気づけばそれに安莉も加わっていた。
「でもこの村じゃあ、確かに夜は出歩かんほうがいいのは本当たい。危なか。安莉さんも、気をつけないね」
 澄竜は安莉のほうを向いて、真剣な顔で言った。
「何がそんなに危ないんですか? 危険な動物とかが出るの……?」
 安莉さん、と初めて名前で呼ばれた嬉しさからか、反射的に安莉は澄竜に話しかけていた。人から話しかけられたときの、いつもの咄嗟とっさの反応だったが、そのときはやけに自然に言葉が出て、そんな自分に驚いていた。
 すると澄竜は安莉に視線を注ぎ、まるで門外漢をさげすむような冷ややかな目でしばらく見つめていたが、やがてひとつ溜息をつくと、こう言った。
「ここの村には外灯の一本もないとよ。夜は鼻つままれてもわからんぐらいの真っ暗な闇たい。よそから来た衆は足元もおぼつかんやろうけ、本当に危ないったい。それに実際動物もいっぱい出る。あいつら夜になると山からなんぼでん降りてっけん。なんでんかんでん……もしかしたら、満おばちゃんの見た鵺も、本当に降りて来とっかもしれんね」
 爽やかな風を運んでくるような澄竜の声音は、ほんの少しの傲慢さを交えてはいるが、弾けるような爽快さを持っていた。それに何よりもこの若者の見目麗しさは、この場にいる女三人を、年齢の別なくはにかませずにはおかないほどの魅力を放っていた。安莉がここに来る前からずっと澄竜を知っているはずの満と勝も、今初めてこの美青年を発見したかのように、しげしげと見とれているのだった。
「というわけで、はい、喧嘩終わりー!」
 朗々と言い放つ澄竜の顔を、安莉は眩しく見つめていた。するとその視線を感じたものか、澄竜は安莉の瞳を見つめ返してこう言った。
「こげんたけえ山ん上っちゃ、どげな》、、、もん、、でもおらるっとよ!」
 そして高らかに笑った。

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