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【短編小説】嘘の生きもの

こんにちは、深見です。
今日はエイプリルフールでしたね。深見もX(旧Twitter)で、ちょっと遊んでいました。


嘘の生きもの

 馬がいました。綺麗な栗毛に、立派なたてがみ。間違いなく馬です。馬は私のベッドの上で、ゆったりとくつろいでいます。
「おかえり」
 と、同居者(人ではない)が言いました。「ただいま」と、取り合えず私は返事をして、コートを脱いで、鞄を置いて、手を洗ってうがいをして水を飲んでから、それからようやく馬について考えます。
 どうして、馬がいるのでしょう。馬は巨体をベッドの上に横たえて、寝たままで私の枕のカバーをもぐもぐと食んでいます。

「ひょうたんからこまって言うでしょう」
 同居者は、わけもない、といったふうにそう言いました。
「今日はそういう日なので、出てきてしまったんだね」
「そういう日って?」
「嘘や冗談にとっては、今日は一年に一度のハレの日だからね」
「それで、出てきちゃったの? 瓢箪から、駒が?」
「出てきてしまったんだねえ」

 出てきてしまったのなら仕方がありません。
 私は冷蔵庫を開けて、今晩きんぴらになるはずだったにんじんを、馬に与えました。馬は「まあ、歓迎されて当然ですよ」といった態度で、遠慮もせずににんじんを受け取りました。

 にんじんが噛み砕かれる、ばりんぼりんという音を聞きながら、私は部屋の中を探索します。クロゼットの隅に、それは転がっていました。瓢箪です。この瓢箪から、あのふてぶてしい馬が出てきたのでしょう。
 瓢箪は、つい先日、ベランダに流れついたものでした。私の家は、満ちてきた海がときおり部屋の中にまで入り込むせいか、実にいろいろなものが流れつくのです。
 すっかりベッドを占領した馬を横目に見ながら、漂着物なんてさっさと捨ててしまえばよかったと、後悔します。私は今夜、どこで眠ればいいのでしょう。

 しかし、私のそんな心配は、すぐにどうでもいいものとなりました。

 馬はにんじんを食べ終わり、長い舌で口のまわりをべろんべろん舐めました。そしてやおら立ち上がりますと、大きな声でひとこえいなないて、「にんじんを、ありがとう」と言ったのです。

「喋れるんだ」
 驚いた顔の私に、馬は得意げに歯をむき出します。
「なにせ私、瓢箪から出た駒ですから」
 馬はベッドから降りますと、体をふるわせて、背筋を伸ばしました。
 この馬は、きっとお腹がすいていたんだ。私はようやく、そのことに気が付きました。
 ふてぶてしくベッドを占領しているのだと思っていましたが、もしかしたら、お腹がすきすぎて動けなかったのかもしれません。その証拠に、さっきよりも格段に毛艶が良く、体もひとまわり大きくなったように思えます。

「助かりました。今日が終わるまで、あと何時間かありますよね。では私、行きますので」
「どこに行くの?」
 尋ねたのは、同居者です。馬は窓の方に鼻を向けて、鼻腔をすうっと開きました。
「嘘の生きものたちを迎えに行くんですよ。この世には、嘘や冗談から生まれた生きものたちがたくさんいますでしょう。今日が過ぎてしまったら、彼らは消えてしまいますからね。そうならないうちに、迎えに行って、連れて行くんです」
「どこへ連れて行くの?」
「嘘の国へです。架空の、空想の、想像の国へです」
「それ、ぼくもついていって良い?」
 同居者がそう言いましたので、私はドキッとして、同居者をじっと見ました。同居者は、嘘の国に住みたいのでしょうか。
 私の心配を察したのでしょう。同居者は「ちょっと、見学に行くだけ。行って、帰って来るの」と言いました。

 馬は、ずいぶん考え込みましたが、やがて「良いでしょう」と頷きました。
「あなたひとりを乗せて駆けるくらい、大した負担にもならないでしょう。ただし、途中で落っこちないように」
「それだったら大丈夫。ぼく頑張ればなんにでもなれるから、鞍にでもなって乗っているよ。そうしたら、嘘の生きものたちも、乗り心地が良くていいでしょう」
 同居者は両手を大きく広げます。するとみるみるうちに、同居者の体は大きく薄く引き伸ばされて、馬の背にぴったりな鞍になりました。

「ああ、これは良い。みな、喜びます」
 馬は嬉しそうに尾を振り、鞍を背に乗せ、窓枠に蹄をかけました。窓の外は夜。春の夜はまだ少し肌寒く、しかし冬よりも湿度が高くて、風は土の匂いを運んできます。まだ、桜は咲きません。

「あなたは残念ですが、嘘の生きものではありませんので、乗せてはあげられません」
 振り向いて、馬は申し訳なさそうに、私に言います。私は微笑んで、「気にしないで」と伝えます。
 今日はなにせ、嘘や冗談のための日なのです。嘘や冗談の中で生まれ、嘘や冗談の中でしか生きていけないものたちのための日なのですから。私はおとなしく、お留守番をしていましょう。

 蹄が窓枠を蹴り、馬は春の夜へと飛び出します。栗毛の馬体が、ベランダを越え、電線を越え、電波塔を越えて行きます。

「嘘の国って、どこにあるのかな」
 呟きながら、馬の蹄が窓枠につけた、小さなひっかき傷をなぞります。
 架空の、空想の、想像の国へ行ってみたいと、そう思いました。嘘の生きものではない私の、確固とした肉体が、ちょっとだけ疎ましいと思うのでした。


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