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【短編小説】軒下とツバメ

こんにちは、深見です。今日は虹が出ていました。


軒下とツバメ

 虹が出ていました。空の半分は雨が降っており、もう半分は晴れているという不思議な空模様だったのですが、雨と晴れの空を繋ぐような位置に、虹がかかっていたのです。
 虹は完全な弧を描いているわけではなく、灰色と青との間ですうっと消えて途切れていました。

 雨を落とす灰色をカンバスにして、冬空を彩る七色が、あんまり美しかったからでしょう。夜になって、ご飯を食べて、お風呂に入っているときにも、虹はまだ私の網膜に焼き付いていました。

 だけど、それにしても、焼き付きすぎじゃないかしら。瞬きのたびに、半分の虹がふわっと浮かぶのです。挙句の果てには瞬きをしなくとも、白い壁の上に、半分の虹が現れるのです。

 寝たら治るのかも知れませんが、どうにも気になりましたので、同居者(人間ではない)に相談してみます。そうしますと、同居者は「じゃあ、ちょっと取り出してみてみようか」と言って、私の網膜の上から、ずるずるっと虹を取り出しました。(痛くはありませんでしたが、ちょっと背筋がぞくぞくする感じがありました)

 取り出した虹をこねくり回しながら、同居者は「ははあ」と納得します。
「これは光言語だね。伝えたいことがあって、網膜の上から離れなかったんだね」
「光言語というのは、星が使っている、あれのこと?」

 言語というものは、文字や音の連続によってのみ成り立つものではありません。光の明滅や色、空気の震え、温度、湿度、様々なものが言語たりえるのです。
 その中でも光言語というものは、恒星たちが好んで使う言語です。地上で有名なものといえば、蛍でしょうか。彼らは光を使って言語を交わします。
 自ら光を発さないものも、降り注いだ光を言葉に変えることがあります。月や、朝露の煌めきや、木漏れ日なんかがそうです。私の網膜に貼り付いていた虹も、誰かが虹に乗せて発した光言語のようでした。

「解読、できる?」
「やってみる」
 同居者は、しばらく虹と睨めっこして、曲げたり折ったり伸ばしたりしながらうにゃむにゃ呟いていましたが、やがてやり切った顔で「分かった」と言いました。
「なんかね、ツバメが死んだんだって」

 同居者の解読によると、このようでした。


『春のはじめに飛来したツバメは、もうそれほど若くはありませんでした。彼女は体の衰えを感じつつも、五つの卵を抱きました。
 これが彼女の最後の抱卵であろうと、私たちは彼女を見守っていました。彼女は毎年のように、この軒下に作られた巣に帰って来るのです。それで私たちも、楽しみにしていたのです。私たちは、そのツバメを愛していたのです。

 だけれど、今年は厳しい年でした。誰にとっても、厳しい年だったと思います。とにかく夏が熱かったのです。いつもなら、夏が来たころには雛たちはみんな巣立って、巣の周りをひゅんひゅん飛び回っているはずでした。
 しかし今年は六月頃から妙に暑く、雛たちはなかなか大きくなりませんでした。そしてせっかく無事に孵った雛たちも、七月からのたいへんな暑さのために、三羽が死んでしまいました。

 そして不幸なことに、彼女の伴侶も、夏の暑さにやられてしまったのです。暑くて、本当に暑くて、飛び回る虫たちもあまりおらず、満足に食べられなかったのも理由のひとつかも知れません。

 彼女は残された二羽の雛たちを、一生懸命に育てました。それでも、八月の終わりころに、もう一羽も死んでしまいました。
 巣のまわりを飛んでいたところを、カラスについばまれてしまったのです。あのカラスは、いくらか生き延びるための養分を手に入れられたでしょう。でも、彼女の子供は、もうあと一羽だけになってしまいました。

 残された一羽は、ほんとうにこの夏を越せたのが不思議なくらい、弱弱しく、満足に飛ぶことすら出来ない一羽です。彼女は、この子を見捨てて、暖かな越冬地へ旅立つべきだったのです。海を越える体力くらいは、残っていたはずなのです。
 けれど彼女は、巣を離れませんでした。満足に飛べない、そしてこの先ももうきっと飛ぶことは出来ない弱弱しい一羽のために、来る日も来る日も、虫を取っては運んで帰ってきていました。私たちはその様子を、ずっと見ていました。

 そして今日、彼女が死にました。残された一羽の子は、まもなく死ぬでしょう。
 そのことを、誰かに伝えたかったのです。伝えてどうするというわけでもありません。ただ、知ってほしかった。私たちが愛した小さな命が、今日、冷たくなっていたことを。』


「……だってさ。差出元は、どこかの民家の、軒天材だね」
 虹を解読し終えた同居者は、毛糸の玉のように丸まった虹を、私に差し出してきます。私はそれを受け取って、しわを伸ばしながら机の上に丁寧に広げました。虹はずいぶん褪せてしまいましたが、それでもまだ仄かな虹色を放っています。

 本棚に、確か、お天気の本があったはずです。空に現れる様々な気象現象を、写真付きで解説している素敵な本です。その本の「虹」のページを開いて、私は、しわだらけになった虹を挟み込みます。
 本を閉じる前に、虹が、ちらっちらっと瞬きました。その光言語が何と言っているのか、それは、私にも分かりました。

『私たちはそのツバメを、愛していたのです』

『愛していたのです、本当に』


おわり

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