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第十二回阿賀北ロマン賞受賞作②小説部門 大賞『蛍の寄り道』朝平祐

この記事は新潟県の阿賀北エリアの魅力を小説で伝えてきた阿賀北ロマン賞の受賞作を紹介するものです。以下は朝平祐さんが執筆された第12回阿賀北ロマン賞小説部門受賞作です。2020年より阿賀北ロマン賞は阿賀北ノベルジャムにフォーマットを新たにし、再スタートしています。<詳しくはこちら>公式サイト

小説創作ハッカソン「NovelJam(ノベルジャム)」初の地方開催を企画・運営しています。「阿賀北の小説 チームで創作 敬和学園大が初開催 筆者と編集者、デザイナー募集へ」 (新潟日報)→ https://niigata-nippo.co.jp/news/local/20200708554292.html

『蛍の寄り道』朝平祐

 私の家からは東京スカイツリーがよく見える。けれど坂の上の一戸建ではなく、タワーマンションでもない。階段で四階まであがる古い集合住宅。その最上階に、私は父とふたりで住んでいる。
 前の週から夏服になっていた。高校から帰宅した私は、いつものように冷蔵庫を開け、ちびアイスをいくつか頬張り、いつものように奥の小部屋の扉を開けて、「ただいま」の挨拶をする。母が生きていたときからの習慣だ。夕食の支度の前のその時間帯には、母が窓際のサイドテーブルで絵を描いていたからだ。
 その机で、そいつを見つけた。黒い、つやつやした、小さな塊が、開かれたスケッチブックの上にへばりついている。鉛筆の影かと思ったら、いきなり動き出したので虫だとわかった。一瞬、全身が縮こまって声も出せなかった。私は、虫が大の苦手なのだ。こちらが動けないのをからかうように、そいつはひょいと私の左手の甲にのり、手首から肘へと、剥き出しの腕をシュルシュルっと登ってきた。シャツの袖に隠れる瞬間、私はそいつを利き手でポーンと弾いてやった。
 すぐにリビングを突き抜け納戸に向かい、仕事をしている父に報告した。私のほうから声をかけたのは去年の秋以来のことだ。
「お母さんの机に虫がいるよ」
 うす暗い空間でパソコンを睨んでいた父は、太めの体を椅子の上にジャンプさせた。
「たいへんだ。すぐに掴まえなくちゃ」
「大丈夫、やっつけたから」
「よくやった、。上出来だ。おまえがやらなければ父さんがやっつけていたよ」
 と、憎々し気に言った。
「で、どんな虫だった」
 父は何かを思い出したような口ぶりで私にきいた。そういえば、見たことのない虫だった。
「黒い虫だよ、ペタンコの」
「デカいやつか?」
「これくらいかな」
 私は、親指と人差し指で二センチくらいの隙間をつくった。
「赤くなかったか、胸のあたり」 
「わからないよ、ちゃんと見てないもん」
 と言いながらも私の両目合わせて3・5の解像力の高い瞳のレンズは、虫の一部が赤かったことを瞬時に捉えていた。
「やっぱり」
「やっぱりって?」
「父さんも見たんだよ、今朝、キッチンにいたやつだ。燃えないゴミを集めていたら底のほうからいきなり飛び出してきて父さんの肩に……、まさか、窓開けてないよな」
 父は、椅子をお尻で蹴飛ばすと、転がるように小部屋に走った。リビングにもどってきたときには、両手のなかに何かを大事そうに抱えていた。コップ、コップ。父にせかされて私は、シンクのそばにあったガラスのコップを引き寄せた。父の毛むくじゃらの指の間からそいつが転がり出てきたタイミングで、私は反射的に右の手の平で蓋をした。
「どうする気?」
「それ、ただの虫じゃない。蛍だよ、蛍」
 蛍と聞いて、私は恐る恐るコップの中を覗いてみた。 
「へー、東京でも蛍なんているんだね」
「ああ、どこから入ってきたんだろう。この辺に、生息地でもあるのかな」
「ペットかもよ。逃げ出しんだよどこかの家から」
 真相は二週間たった今でもわからない。そいつがどこから来たのか、なんのために来たのか、だれのために来たのかも。
 ただそのときは、そいつは何かのシグナルに思えたのだ。虫ではなく蛍。それを確かめると、私の恐怖心はすーと消えていった。蛍→光る→綺麗→虫じゃない、という単純な方程式だ。短い脚をにょろにょろ動かしてコップの壁にへばりついている。その健気な姿をガラス越しに父と一緒に見ているうちに、これが私たちに与えられた天の授かり物のように思えてきた。
「飼ってみる?」 
 自分でも意外な言葉が飛び出した。
「そうだな。このまま離したら間違いなく死んでしまうだろうし。よし、飼ってみようか。ペットが蛍なんて風情があるじゃないか」
 父が小さくしゃくり上げた。両の目じりが下がり、髭の濃いたるんだ頬がニッと笑った。父の、こんなうれしそうな顔は久しぶりに見た。 
 このところずっと満腹のパンダのようにダレていた中年男が、一匹の蛍に食らい付いたのを私は見逃さなかった。鼻の孔を丸く膨らませ、汗で眼鏡を曇らせながら、そいつの動きを一心に見ている。そのとき、お互い口には出さなかったが、ふたりともどこか身体の奥で感じていたのだ。
 その蛍は、ひょっとして、「お母さん」なのではないかと。 

 飼ってみようか。などと安易に言ってはみたが、父も私も虫の飼い方などまるで知らなかった。
 とりあえずはネットで【ホタル。飼い方】で検索してみる。
「もし捕まえて鑑賞したい場合は、水槽などにちぎった草を少しだけ入れ、時々霧吹きで水をかけてやるだけで十分です、か」
 なんだ、けっこう簡単じゃないか、と父は軽口を叩いている。パソコンの操作以外はトイレの電球一つ換えられない不器用な男だから、命のあるものを任せて大丈夫なのか。もしもこれが本当に母の生まれ変わりか何かだったらと思うと、私も真剣に蛍の生態を調べた。
 蛍といっても、いろんな種類がいるらしい。その中でも日本に生息しているのは、数種類で、一般的な蛍は、体長は10~30ミリ。前後に細長く、腹背は平たい。全体に黒っぽく、前胸だけが赤い。代表的なのは「ゲンジボタル」というやつだ。体長は15ミリくらいで、他よりも大型種。前胸部の中央には十字型の黒い模様があるのが特徴だ。そいつは間違いなく「ゲンジボタル」の一種だった。
 さっそく小さな水槽に入れて飼うことにした。小学生のころ、夏休みの自由研究にメダカを観察したことがあった。その準備から世話までほとんどは母がやった。器用な母は工作も上手で、ミニチュア家具のときはあまりにも出来過ぎでバレバレだったけど。物持ちのいい母が大事にとっておいたものが思わぬところで役にたった。
 父は園芸店に走り、水槽の底面に敷く水苔を買ってきた。道で拾った太目の枝に糸を巻きつけて水槽の内に立てかける。そこが蛍の寝床になるのだ。
 その晩、父と私は飽きもせずに水槽の中を覗き込んでいた。
 こんなに長い時間をふたりで一緒にいるなんて、子どものころに戻ったようでくすぐったい。母が亡くなってから途絶えていた父娘の会話は、その夜を境にして、少しずつ交わされるようになった。
 夕飯の後始末をした父は、テーブルに蛍の水槽をそっと置くと、霧吹きで水をかけていた。朝夕一回だけ水分補給をするらしい。
「ほんとに水だけでいいの?」
 父がちろちろと水をかけているそばで、私は「ナス」はどうかと考えていた。
 昨日、田舎の親戚からナスが届いていた。毎年この時期になると、新潟から宅配便でドンと送ってくるのだ。小さくて丸っこいの、中くらいの、大きいの、いろんな種類がある。父の好物は焼きナスで、母は決まってそれをつくった。帰宅すると、玄関の扉を開ける前から焦げたナスの香ばしい香りが漂ってくる。もう夏だな。わが家に季節を告げるのが焼きナスの匂いだった。
 なぜ今年も届けてくれたのか、箱に詰められたナスの数はさすがに減っているがなんだか意地悪な気もした。もう料理する人はいないのに、私にそれをやれとでも言っているようで、段ボールの箱はキッチンの隅に投げていた。
「ねえ、ナスを餌にしてみようよ、虫は好きでしょ」
「だめだよ。蛍の成虫は口が退化しているから水分の摂取しかできないんだ。幼虫時代に蓄えた栄養分だけで繁殖活動を行うんだってさ」
「それ笑えるぅ、人間も同じようなもんだね。大人になったらなんも吸収できない」
「こいつは、メスだな」
 父は、私の話などまるで聞いていない。パソコンからプリントアウトした大量の資料をキッチンのテーブルにひろげて、何やら難しい顔をしている。
「二センチ近くあるだろ、メスのほうが大きいらしいよ。それに、ちょこまか動かない。オスと違ってデンとしているんじゃないかな」
 父はもう勝手な判断でそれを「メス」だと決めつけていた。
「それって本当なの?」
「環未、おまえだって一緒に見ただろ。阿賀町でさ」
「私は行かなかったでしょ、あの晩、お父さんたちだけで見に行ったんじゃないの」
「そうだった、お母さんとふたりだった。幻想的だったよ、蛍の光があんなに明るいなんて思いもしなかった。そこら中ヒュンヒュン、もう気が狂ったみたいに。あれは、交尾の相手を探して飛んでいたんだな。蛍が光るのはオスがメスと出会うための信号なんだとさ。オスが光を放つと、メスはそれに応えるように2秒遅れで光を放つ」
「やだ、やだ。メスからは行けないわけ? 女ってどこの世界でも受け身なんだね」
「あんなに感動してたじゃないか」
「だからさ、私は見てないんだって」
 父と母と三人で「ほたるの里」に旅をしたのは一年前のちょうど今ごろ、初夏のことだ。新潟県中部に位置する東蒲原郡阿賀町。『たきがしら湿原』という山間の高原だ。
 阿賀野川の下流、近くには七福温泉という鄙びた温泉場もある。そこに母の叔母にあたる人が住んでいた。イラストレーターをしていた母は、スケッチ旅行を兼ねて自然豊かなその地を度々訪れていた。
 去年の夏、母はいつものようにスケッチブック片手にふらっと一人で出かけるのかと思ったら、みんなで行こうと突然言い出したのだ。
 六月の終わり、私は期末テストの勉強で、父は仕事で忙しかったのに、どうしても家族で蛍を見に行いたいと子どもみたいに駄々をこねた。それは、何かの予兆だったのかもしれない。母は、それから自分の身に起きることになんとなく予感があって、あんなわがままを言ったのではないか。           

 ふだんは母に任せっきりの父が珍しく車を運転して、朝早く私たちは出かけた。母は前日に呑んだ白ワインがまだ残っているからとこめかみを押さえていた。たぶんもう、どこか身体の調子がすぐれなかったのだろう。母が二日酔いするなんてそれまでは見たことがなかったから。
 磐越自動車道を津川ICで降りて、そこから車で数十分いくと『』という町に着く。変わった地名だが、そこにあった集落の戸数からきているらしい。昭和の終わりころ、住人のいなくなった耕作放棄地を再利用する目的で造成されたのが『たきがしら湿原』だ。人工的につくられた湿原は日本にはあまりない。
 途中の「道の駅」に置いてあったリーフレットに書かれていた豆知識を、私は運転する父に得意げに披露した。『たきがしら湿原ほたる鑑賞会』は、六月の下旬から二週間くらいの期間に毎年開催されている。
『湿原』という場所に、私ははじめて足を踏み入れた。
 湖でもなく、高原でもない、不思議な空間の広がりだった。巨大な水たまりの中に着地したトンボみたいに、水草の上をスルスル踏み出す。梅雨はあけていないのに、午後の陽射しが強かった。見晴らし小屋から一望する眺めは、日本の田舎という泥臭い感じではなくて、からりと晴れた高い空と、黒々とした森と草原の濃さは、外国の風景のようにも見え、どこか懐かしくもあった。
 湿原には木でできた細長い歩道がつづら折りに伸びていた。足元を流れる清流の音をききながら進むと、汗ばんだ首筋に風が流れる。その緑の風は湿原に咲く色の花や黄色い小さな花をも揺らしていく。「オニユリ」とか「ミズギク」とか、母は手に取っては私に草花の名前を教えてくれた。
 母は以前にも何度かここを訪れている。春や秋の景観をイラストに描いていたので、私にもずっと前から知っている風景に思えたのだろう。一面の紅葉に、カモシカの足跡が続く秋のイラストが、私のお気に入りだった。
 実は、私もイラストを描いている。SNSの専門サイトに自分の作品をこっそり投稿している。デジタルイラストなら私にも描けたからだ。父が、珍しく買ってくれたアイパッドで作画をして、そのデータを送るだけ。たまに同年代の子から「うまいね!」なんてコメントをもらうと、それだけで幸せな気分になる。いつか母のような、本物のイラストを描きたい。私は、父に似て不器用だから、上手くなるには時間がかるだろう。
 母の描くものは、絵本や挿絵に使われる明るいポップな感じの絵が多かった。ピーターラビットが出てきそうなイギリスの田園風景とか、湖水や、青い山並み、詩情豊かな絵が得意だった。たきがしらの湿原は、そのイメージにぴったりと重なる。
 でも、ファンタジックな世界を描いているのに、母の描く絵には影のように何かが張り付いているのだ。それは、新潟の湿った空気じゃないのかな、と私は思う。
 母は新潟生まれだが、阿賀町には三歳までしかいなかった。新潟市内で高校まで過ごし、東京に出た。両親を早くに亡くしたので、阿賀に住む叔母の家がふる里になったのだ。
 鉛色の冬の空。湖面のように光る田んぼ。朝日に輝く雪原。油絵のように塗り重ねることのないサラっと描いた水彩画でも、母の手にかかると、白も、青も、緑も黄色も、赤も黒も、みな自然の命を吹き込まれたように瑞々しく、深味を増していく。
 遠い山々から吹きおろしてくる風が湿原を抜けていく。
 はじめて来たのに懐かしいと感じるのも、私の身体の細胞の隅っこに母と同じ記憶の遺伝子が組み込まれているからだ。ふだんは意識しないいろんな感覚があって、その一つひとつが私という人間を構成している。
      
 その夜。なぜか、私は熱を出した。いや、熱っぽいから行かない、と嘘をついたのだ。なんとなく行きたくなかった。久しぶりに旅行ができた父と母をふたりだけにしてあげるのが、いい歳になった娘の役割のような気がしたから。大叔母の家には私と同年代のオタ ク系の男子がいて、その子と格闘ゲームをしたかったせいもある。 
 なぜ、母に誘われるまま蛍を見に行かなかったのか。あんなことになるなら、一緒に行けばよかったとしばらくは悔やみ続けた。
 母の死はそれから突然やってきた。キッチンに倒れている母を見つけたのは私だった。
 その日の夕方、学校から帰って玄関で靴を脱いでいると、奥のほうから変な機械音がした。ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、という聞き覚えのある音が鳴っている。リビングに入ると、カウンターの向こうの冷蔵庫の扉が開いていた。なぁんだ、ただの閉め忘れか、冷蔵庫に近づくと、その前に母が倒れていた。会社にいる父に電話して、救急車を呼んだのも私だ。
 救急病棟の固い寝台の上で心臓マッサージをされているのが母だとわかっても、私には他人にしか見えなかった。いや、人間にも思えなかった。何かの黄色い肉の塊のような無機質なものを遠くに見ていた。その姿は息苦しそうで、口を塞いでいた酸素マスクがはずれそうで、それを抑えている担当医は若い女で、その化粧がやけに濃かったのが無性に腹立たしかった。
 普通に健康だった四十五歳の女性の脳の血管がいきなり切れたのだ。母はたったひと晩ベッドにいただけで、次の朝にはどこかへ運ばれていった。
 お母さんはもう手遅れだったのよ。誰のせいでもないわ。いい人過ぎたから早く逝っちゃったのよ。親戚の人も、母の友人たちも、口々にそう言って、私を慰めた。あの日はたまたま一時間遅く帰宅したのだった。新作ゲームの発売日で、クラスの友だちと寄り道をしていた。いつもの時間に家に帰っていたら母を助けられたかもしれない。あと一時間早く帰っていたら、あと三十分、いや五分でも早く帰ってあげていたら、母は死なずには済んだのかも。
「いや、もう間に合わなかったんだ。俺がいればな」
 葬儀の後、父は私にひと言そう詫びると、二度とこの話題に触れなかった。そのかわり母の部屋に〝結界〟を引くことで、私に仕返しをしているのだろう。悲しいなら泣けばいいのに。父はまだちゃんと泣いていないから、自分に籠ってしまうのだ。
 母を亡くしてから、父は家にいる時間が長くなった。在宅勤務が許される今どきの会社だが、どんな仕事をしているのかよくわからないし興味もない。家で仕事をするのはいいが、納戸を仕事部屋にして、一日籠る生活はやめてほしい。不気味だし、不健康だ。私に対する無言の圧力に感じる。以前は、母の仕事部屋の隅にパソコンを置いていたが、自分のものをすべて引き上げた。仕事場を狭い納戸に移し、母の部屋を封印してしまった。
 玄関を入ると左手には私の部屋。右手の奥が納戸。十二畳のリビングを挟んで寝室と三畳くらいの小さな部屋になっている。そこが母の仕事場になっていた。
 その朝まで母が絵を描いていたそのままの状態で、その部屋は瞬間保存されている。
 机の上には、デザイン用紙、作画用のノートパソコン、ペンも、絵の具も、そのままで、0・1ミリも動かされていない。椅子の向きだって、母が背をもたせていたそのままの角度だ。だが、あれから部屋の窓はきっちりと閉じられ、外部とは完全にロックされていた。
 観音開きの木枠の窓。取っ手のつまみを左右に開いて、この小さな窓から母はいつも世界を眺めていたのだと思う。煉瓦風タイルの外装は古いが、デザイナーズマンションの走りでもあった洒落た造りの建物だから、窓一つにもちょっと凝っている。
 東向きの窓からは、遠くにスカイツリーだって拝める。高層ビルとビルの間に葉っぱのないセロリみたいにニョッキリ立っているのだけど、この位置の、この角度から、奇跡的な風景をもぎ取ることができた。
「お父さんと結婚してよかった」と母は言っていた。
 地方で生まれ、東京の都心に暮らすことのできた人間のささやかなプライドを満たしてくれるもの。それが、「窓からスカイツリーが見える生活」なのだ。東京タワーではない、スカイツリーという辺りが、新潟県人の母の謙虚さを表わしている。
 窓を開けたい。窓を開けて、母にいつもの景色と、街の匂いと騒音と、夕暮れの風を届けてあげたい。あれから母はずっと息苦しい思いをしているだろう。
 日に一度、私はシュミレーションをしてみる。
 ある夕方、私は窓は開ける。雨上がりの湿った風が一気に部屋に吹き込んでくる。カーテンが揺れ、スケッチブックのページがさらさらと流れ、ペンが机から転がり落ちる。椅子の背にかけられたユニクロのカーディガンも床にずり落ちてしまう。 
 そこに、父が飛び込んでくる。
「どうしてだ、どうしてそんな意地悪なことするんだ、お父さんの気持ちがわかるだろ、お母さんの……」
「だから、なに? これはただの道具だよ、スケッチブックだって、鉛筆だって、絵の具だって、みんなただの道具でしかないんだよ!」 
 私は、机の上に置かれたものを端から取り上げると、そこら中にぶちまける。
 父は、私の手を捻り上げるだろう。振り上げた手には母のペンが握られていて、それは窓ガラスにぶつかり鋭い音をたてて床に転がる。
そこで私は、決め台詞を叩きつけるのだ。
「お父さん、もうやめて。お母さんの時間を止めないで。この部屋にお母さんを閉じ込めるのはやめて」
 父は何も応えない。顔がみるみる赤黒く変わっていく。殴るつもりか、叫び出すのか、そのまま倒れるのか。そこで、私はハッと息を呑む。だめだ。やっぱりできない。
 少しでも部屋のレイアウトを変えれば、そのぶん母の痕跡が消えていく。母の指先の感触が風にさらわれていく。そんな勇気、私にはなかった。

 数日が過ぎた。
 蛍は小枝にとまったまま無事に生息している。リビングの棚の上には、ボックス型の小さな仏壇が置かれていて、その隣に水槽が鎮座している格好だ。父は仕事の合間に、何やら声をかけたり、蛍に関する動画を見たりしているようで、そいつはすっかり我が家のペットと化している。
 深夜、喉が渇いたので私は水を飲みに起きた。夕食の麻婆豆腐が辛すぎたのだ。父の料理はいつだって味が濃い。
 暗いリビングに一点、灯りがあった。ソファーの辺りにぼんやりと小さな光が見えた。蛍だ。父が、水槽を置き忘れて寝てしまったのだろう。電気をつけようと壁のスイッチに触れた途端、
「つけるな」
 父の声が背中に刺さった。 
「脅かさないでよ。なにしてるの」
「こいつが寝かしてくれないんだ」
 どれくらいの時間、父はそこにいたのだろう。目が慣れてくると、ソファーに座り込んでいる父の姿は半分死んでいるようだった。まだパジャマにも着替えていない。なんだか心配になって、父の隣に膝を寄せてみた。お酒の匂いがする。普段は飲まない父が少し酔っているようだ。
 蛍が青白い光を放っていた。
「この光、熱くないのかな?」
 私はわざと甘えるような声できいた。
「熱くないさ。熱かったら蛍は黒焦げになっちゃうよ」
 知っている。蛍の光は熱を持たない。熱ければ蛍はたちまち燃え尽きてしまう。燃え尽きないように「冷たい光」を神様がつくったのだ。
 気のせいか、その光に力がなくなってきている。
「ねえ、蛍の寿命ってどれくらい?」 
「気になるかい」
「そりゃあ、ね。あと一週間くらいかな」
「こいつは丈夫そうだからね、二週間は大丈夫だと思う」
「そう。じゃあ、ふる里に帰してあげない?」
「ふる里?」 
「阿賀町だよ、きっとそこから飛んで来たんだよ、里帰りさせてやろうよ」
「だめだ」
「なんで?」
「こいつの種類がはっきりわからないからさ。ゲンジボタルだって40種以上はいるんだよ。もし、遺伝子の異なる特性を持ったやつが他の地域に混じったりすると、遺伝子汚染をすることになるんだ。つまり、蛍の生態系を乱すことになりかねない。そこにいる無数の生物の命に関わってくるんだぞ。そんな無責任なこと、人間が勝手にしちゃいけないよ」
 父の口はいきなり饒舌になった。パソコンで仕入れたにわか知識でしかないのに、その話ぶりには妙に説得力がある。
「環未、なんでそう思うんだ? 阿賀町から飛んできたなんて根拠はないだろうに」
「風だよ。こいつが来てからわが家の風通しがよくなったから」
 蛍の光をじっと見つめながら、父が言った。
「そうだね、おまえの言う通りかもしれないな。たきがしらの風か。あの夜のことは忘れられないよ。木道を歩いていたら急に強い風が吹いてね、川面にいた蛍たちが巻き上げられたんだよ。ざわざわざわーって、まるで光の波みたいに命の塊が押し寄せてくるようだった」
「ふーん、そう」
 父の言葉に、その夜の情景が私にも見えるようだった。
 暗くなりはじめると、どこからか人が集まってくる。車の母たちは、施設の駐車場に静かにとめると、この時期だけ解放される公園のゲートに向かって歩き出す。サンダルや靴底を引きずる音が夕闇に響いている。
 みな興奮しているのに、なるべく話はしない。めったに見られない神聖なものを見る心の準備が、無意識にできているのだ。
 母も、少し興奮気味に、父の耳元にささやいている。
「ラッキーだわ、蛍を見るには絶好の晩よ」
 あれ。なんで私は知っているんだろう。
「ねえ、お父さん、お母さんそう言ったよね」
 父に確認すると、
「ああ、そうだ。お母さん、確かにそう言ってたよ、絶好の晩だって」
 梅雨の最中の雨上がりの夜だった。月も出ていない闇夜だから、蛍の飛び交う姿がまざまざと見えるのだ。夏場でも、夜の気温は二十度より下がるので、夏袖の母には少し肌寒いくらいだ。一歩先を行く父の汗ばんだ腕に父よりも背丈のある華奢な身体を預けて歩いた。若いころの、恋人気分に戻って。
 そう、なぜ私は知っているのだろう。その夜、そこにいたはずもないのに、まるで見てきたことのようにその夜のたきがしらの情景が浮かびあがってきた。
「お、鳴いたぞ」
 蛍は鳴かないはずだ。
「ほら、おまえを見てる」
 ガラス越しに、蛍がじっとこちらの様子を伺っているような気がした。耳を澄ましていると、確かに、何かを訴えるような、鳴いているような微かな音がきこえた。
 そのとき、私は自分のなすべきことがわかった。
 こいつを、自由にしてあげよう。生命の灯りが消える前に、あの窓を開けるのだ。
              
 その週末のことだ。
 さんが、わが家にやってきた。近くの画廊に来たついでにお線香をあげさせてほしいと寄ってくれたのだ。
 鏑木さんは母の知り合いで、本物の絵描きさんだ。本物とは、そのへんの先生作家ではなくて、絵を描くことだけで生活をしているちゃんとした芸術家のことだ。
 歳は六十を過ぎているが、ダンディーで素敵なおじさまだ。髪は、父よりもある。母の友人の中では一番有名な画家らしい。母に一度、銀座の画廊に連れていかれたことがある。色彩の鮮やかな抽象的な絵で、どんな人が買うのか、小さな絵でも一枚が数十万円もした。
「おう、ちょっと見ないうちにまた美人になったね。背も少し伸びたかな」
 玄関で出迎えた私に鏑木さんは、白髪交じりの眉毛を八の字にして、嬉しそうに顔を崩した。この人が現われると、パッと空気が変わって、庶民の質素な家がちょっぴり華やぐ。何度か家に遊びにきたことがあるが、来るたびに有名店のお菓子を持ってきてくれる有難いお客さんだ。気さく、というよりも、母親のママ友みたいな雰囲気で、偉い先生という感じがしない。そんなところが母と気が合ったようだ。
 私みたいなヒヨッコの話を楽しそうにきいてくれるので、私はこの人にだけ、イラストを投稿していることを打ち明けていた。
 その日は、レオニダスのチョコレートの他に紫陽花の花束を持ってきてくれた。家の庭で今朝、お母さんがわざわざ切ってくれた花だという。鏑木さんのお母さんだから九十歳は越えているだろう。そのお母さんとふたりだけでずっと根津の大きな家に暮らしている。
 父は、彼が苦手だった。キザで、嫌味な男だと言っているが、あれはただのやっかみだ。母や私があんまり褒めるものだから面白くないのだ。彼が来るときは、用もないのに出かけていく。その午後は「昼寝をする」と言って寝室に逃げ込んだ。面倒くさいので留守ということにしたが、薄い壁一枚の安普請だから、父はおちおち寝てもいられないだろう。
 鏑木さんは、母の仏壇に手を合わせると、低い声でお経を読み始めた。
 私はその間に、花瓶を見つけて、いただいた紫陽花を飾ろうとしていた。口の狭い色ガラスの花瓶には、紫陽花の頭が大き過ぎて上手く入らない。イラついて乱暴に花を挿していると、
「お、蛍かい?」
 鏑木さんの弾ける声がした。仏壇の脇に置かれた水槽に目を細めている。
 長身の鏑木さんの隣りに並ぶと、品のいい香りがした。私は、指で水槽を突きながら蛍を飼ったいきさつを話した。
「お父さんが夢中なんです、バカみたいでしょ、先生は……」
 先生と呼ぶように母から言われていた。
「実はね、今日はこれを持ってきたんだよ。君にお返ししようと思ってね」
 鏑木さんは、山羊のような目で微笑むと、麻のジャケットの懐から一枚のハガキを取り出して私の手に預けた。
 それは、母が鏑木さん宛に出した暑中見舞いのハガキだった。
 光の波のようなイラスト。絵手紙のようなものだ。文字も書き添えられている。
「消印をみてごらん」
 阿賀町になっている。日付は、6・29・30。去年のあの日だった。
「虫の知らせ、っていう言葉を知ってるかい」
「ええ、はい」
「まさに、それだね。おとついの晩にね、ふと思い出したんだよ。そうだ、あの葉書ってね。それがさ、お参りに来てみたらこれだもの、驚いちゃうな。こんなことってあるんだね」
「この絵、いい絵ですか」
 突然の母との再会に、ハガキを持つ自分の手が震えていた。
「君はどう思う」
「綺麗なイラストだと思います。お母さんらしい」
「そうだね、とてもいい絵だ。何百、何千の蛍の群舞をわずかな光の線で表現している。僕はこれをもらったときにね、ドキっとしたんだよ」
「なぜですか」 
「書かれた言葉を読んでごらん」 
 絵に沿って書いた文字を読んでみた。
「先生、これってどういう意味ですか。鳴く蝉より、鳴かぬ…蛍が…身を焦がす?」
「むつかしいかい? 心の思いの深さが、声なき光に現われる。そんなところかな」
 それでも私には意味がよくわからなかった。母の絵をじっと見ていると、
「あっ」
 突然、イラストの光が瞬いた。小さな光る点が浮かび上ってきたのだ。それは私の目の前でふんわりと宙を舞い、波のような光の曲線を描いてリビングをひと巡りすると、青白い光線となってパッと消えた。
「先生!」 
「なんだい」
 鏑木さんはキョトンとしている。一瞬の映像だったから、老眼には見えなかったらしい。
「先生、私……」
「だから、なんだい」
「私、感じるんです」
 自分の胸に手を置いた。「ここにお母さんがいるって」
 寝室から物音がした。父がきいている、とわかったが、高ぶった感情を止めることができなかった。
 泣きたくないのに、涙が込みあげてきた。もの凄いスピードで、涙の塊が私のシャツの襟口まで流れ落ちていく。それでも舌は滑らかに動いた。
「お母さんはもう死んでこの世にいないのに、生きてるときよりも、もっと生きているみたいで。なにかしていても、いつもいつも考えてるんです。起きてるときも、寝てるときも、ご飯食べてるときも、ゲームしてるときも、お母さんのことをこんなに思いながら毎日いるなんてこと今まではなかった。だから、これからもずっとそう、こんなふうにいつも一緒にいるんだろうなって。バカみたいですか?」
「僕も、いつも思ってますよ。生きてることと、死んでること、どこが違うんだろうってね」
「……」
 奥からまた音がした。寝室を睨み返したが、父の出てくる気配はなかった。
「おお、ナスじゃないか。新潟のナスは見事なもんだ。さんは、料理上手だったからね。環未さんもするのかな」
 鏑木さんは、いつのまにかキッチンに回り込んで、箱の中のナスを手に取っていた。勝手に冷蔵庫を覗いたり、揚げたてのフライをつまみ食いしたり、いつもこんな感じの人なのだ。
「いいえ、ほとんど父がしますから」
「たまにつくってあげたら、焼きナスなら簡単だよ。オーブンで表面を焼いて、水に冷やしてさ、皮をむくだけだから、やってごらん。お父さん、よろこぶぞ」
 と、目で奥の部屋に合図を送った。鏑木さんにはすべてがお見通しのようだった。

 父は本当に寝てしまったのか、夕方まで起きてはこなかった。
 六時にはテレビでニュースを見るのに、まだ寝ているのだろうか。寝室を覗くと父の姿がなかった。いつのまに出かけたのか。晩ご飯の買い物に出るならひと言声をかけていくはずだ。
 私はキッチンに立っていた。鏑木さんに言われたからではないが、父に話をきかれたのが照れくさくて、料理でもつくってみようという気になったのだ。
 フライパンを洗って、流しの水を止めたときだ。背中に風を感じた。
 振り返ると、風はリビングの奥から縦に突き抜けてくる。この家ではずっと途絶えていた一筋の風の道。それは、母の部屋のほうから流れてくる。
 ふと、棚を見ると、仏壇の隣に置かれた水槽がなくなっている。
「まさか」
 私は足を忍ばせた。母の部屋のドアが開いている。中を覗くと、窓辺に父の背中があって、ガラス窓は大きく開かれていた。
 窓を開けたのは私ではなく、父だった。
「お父さん」、と呼ぼうとしたが声にならなかった。
 窓から流れ込んでくる風は、ひんやりとした湿気を含んでいる。父は、気持ちよさそうに顔を風に晒している。その風が私にあたり、さっきまで、汗と涙でぐちゅぐちゅになっていた気持ちの悪い顔を洗っていく。何かに吸い込まれるように瞼を閉じた。
「、すまなかった」
 父が窓に背を向けて私を見ていた。
 怒っているような怖い顔だが、眼鏡の奥の小さな目は潤んでいる。父の顔を正面から見たのはいつのことだろう、懐かしい気がした。
「すまなかったな」
「それ、どういう意味?」
「おまえに甘えてたよな、お父さんなのに」
「いいよ。もういいよ、お父さんだって……」
 近づくと、窓辺に置かれた水槽に蛍の姿は消えている。
「お父さん?」
「ん? 煮物でもつくってるのか」
「きんぴらごぼうだよ、お父さんの味濃いから」
 父は目は悪いが、鼻は利く。
「いつのまにそんなことできるようになったんだ」
「前にも一度つくったでしょ? お父さんずっと死んでたからね。娘のことなんて、なんにも知らないんだよ。背も伸びたんだぞ、一年で4センチも、ほら」
 父の隣に並んでみせた。 
「ああ、ほんとだ。もうすぐ追い抜かれそうだな」  
 父は苦笑いして、小鼻を動かした。
「焦げ臭いぞ」
 キッチンからやけに香ばしい匂いがしてきた。
「忘れてた。ナス焼いてたんだ、焼きナスつくろうと思って。けっこうたいへんだね、お母さん簡単にやってたけど。ガス止めてくる」
 キッチンへ走り、オーブンをあけてみるとナスは見事に焦げていた。短い箸でつかみ取るとあまりの熱さに、流しの洗い桶にそのままぶち投げてしまった。真っ黒焦げの巨大なナスはブシューと音を立てて難破船みたいに水に沈んだ。

 奥の部屋から父が私を呼んだ。
 暮れていく窓辺からライトアップされたスカイツリーが見える。
 人生で一番の贅沢、と母が言っていた巨大なセロリの塔は、青白い光を放ち、知らぬ間に夏のカラーバージョンに変わっていた。私たちは、はじめてみる景観のように黙って窓の外を眺めていた。
「ねえ、お父さん。あいつ、どこへ行ったんだろうね」
「どこかへ飛んで行ったんだろ、きっと、もっと別のいい場所へさ」
 父の声は、すっかり擦れている。眼鏡のレンズはまだ乾いていない。
 新しい夜風が入ってきて、父の薄くなった前髪を吹きあげた。
 その風は私の頬を撫で、母のスケッチブックのページを微かに揺らした。


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