第五回阿賀北ロマン賞受賞作②随筆部門 『越後のとりこに』光原和義
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第五回阿賀北ロマン賞受賞作②随筆部門 『越後のとりこに』光原和義

この記事は新潟県の阿賀北エリアの魅力を小説で伝えてきた阿賀北ロマン賞の受賞作を紹介するものです。以下は光原和義さんが執筆された第5回阿賀北ロマン賞随筆部門受賞作です。2020年より阿賀北ロマン賞は阿賀北ノベルジャムにフォーマットを新たにし、再スタートしています。<詳しくはこちら>公式サイト

小説創作ハッカソン「NovelJam(ノベルジャム)」初の地方開催を企画・運営しています。「阿賀北の小説 チームで創作 敬和学園大が初開催 筆者と編集者、デザイナー募集へ」 (新潟日報)→ https://niigata-nippo.co.jp/news/local/20200708554292.html

『越後のとりこに』光原和義


日本海東北自動車道・聖籠新発田ICから海沿いの国道113号を新潟県村上方面に向かった。聖籠緑地に車を停め、トイレを借りて一休みしていたら、急に眠気が指してきた。北九州を出て、山陰・北陸と日本海沿いを北上してもう4日目になる。古希も半ばを過ぎた身には、一日2~300キロの運転がやっとだ。鳥取・福井・富山と泊まりを重ねて、ここまで無事にたどり着いた安心感が眠気を誘ったのだろう。疲れたが、もう目的地は近い。下越地方に住むひとりっ子の息子を訪ねての夫婦旅である。
 四十過ぎての子供だったので、甘やかして育てたのか、わがままで、中学・高校時代は非行寸前、成績も芳しくなかった。望みもしない大学を出て、大手の小売業に就職したが、ご他聞に漏れず三年も経たないうちに辞めてしまった。勤めが過酷で、耐えられないとの言い訳だった。
次には、高校時代から好きだったという社会福祉関係に進むのだといって、県外大学の関係学部の三年に編入した。ワンルームマンションでどんな暮らしをしているのか心配だったが、親の来訪を好まなかったから、知りようもなかった。
 卒業後、社会福祉士の資格を生かして大きな病院に職を得たが、ここでも職場に馴染めない様子だった。余り口には出さなかったが、仕事内容や職場の人間関係に悩んでいたらしい。やはり三年と持たなかった。このままフリーターかひきこもりになるのではないかと、ずいぶん親を心配させてきた息子である。心配の種が尽きることはなかった。
暫らくは家でぶらぶらしていたが、どう気が変わったのか、ある日突然、福祉関係の本を山ほど買ってきて、猛勉強が始まった。部屋中に本やノートが散乱し、足の踏み場もないほどだった。近くの専門学校にも通いはじめた。バケツに雑巾、それに換えおむつをもって家を出る。年寄りの下の世話をするのだという。わがまま息子には考えられない変りようであった。介護福祉士の資格も取るつもりらしい。この大変身に私たち夫婦はただただ黙って見守るしかなかった。
 一年半ほどが過ぎた。あちこちの福祉関係の公務員試験を受けていたようだが、詳しいことは何も話さなかった。私たちも訊かなかった。平成十五年の年が明けてからだった。息子宛に新潟県から少し厚手の封書が届いた。やがて二階の息子の部屋から「やった」という隣近所にも聞こえる悲鳴のような声があがった。「合格、俺はもうここにはおらん」
 三月初め、息子は車に生活用品を満載して、赴任先の新潟県下越地方に出発した。三十歳を過ぎていた。北九州から大阪南港まではフェリーだが、後は新潟まで高速道路を一日で行くのだという。部屋にはバケツと換えおむつが残されていた。「やがてお父さんがいるやろう」という嫌みな言葉も残して。あれから三年が経っていた。
 日本海が一望できる瀬波温泉に宿をとり、息子を呼び寄せての夕食は、久しぶりの至福のひと時だった。親に似て呑み助の息子は、生ビールの中ジョッキを飲み干すのに五分とかからない。この地の淡麗清酒は日本一うまいといっては、次々にオーダーする。支払いはこちらだから、遠慮がない。
 酔うほどに新潟自慢が始まった。
 「新潟はええバイ。米がうまい。酒がうまい。魚もうまい。ここのご飯はおかずがいらん。噛めば噛むほど、微妙なうまさが出てきて、こんなうまい米は初めて食った」
 私たちがいちばん気にしていた職場の愚痴はまったく口にしなかった。気になって「仕事はどうか」と訊いても、今までに比べたら「天国や」のひと言だけで、愚痴のひとつもない。次には越後の人の絆話に移る。
 「ここは人情が厚い。それはねぇ。長く冷たい雪の季節が逆に人の心を暖かく育てるのだと思うよ。それに、じいちゃん、ばあちゃんのいる三世代同居家族が多く、生活時間がゆったりと流れるじょんのびバイ」
 私たちには「じょんのび」の意味がわからない。「わからんでヨカ。俺も新潟弁がうっつたかの」とちぐはぐに北九州弁も交えて超ご機嫌である。口数の少なかった息子だが,今日は酔いも手伝ってか、かなりの饒舌である。
 確かに新潟県は三世代同居家族が多く、全世帯中の20パーセント強で、都道府県別では五位になり、雪の多い北陸地方の県が上位を占めている。さらに、平成22年の国勢調査によると、一人暮らし高齢者(65歳以上)の人口割合は、新潟県が10・5%で46位、山形県の9.2%に次いで低い。
家族主義の中で老人が大切にされ、敬われていた古き良き時代が雪の中で暖められているのだろうか。家庭内における祖父母の威厳が保たれていて、非行中高生を叱ると、親は仕方ないけど、じいちゃん・ばあちゃんにだけは云わんでくれと頼むらしい。さんざん親を苦しめ怒らせていながら、旧大黒柱への敬意を失くしていない「礼儀正しい非行」なのだろうか。
 饒舌は続いた。私もほろ酔い気分になるにつれて、長く苦しかった子育ての苦労が杯の中へと消えていった。しかし、次の言葉は聞き捨てならなかった。
 「俺はもう九州にゃ帰らんバイ」
 九州には彼の生まれ育った家がある。親戚も多い。ひとりっ子である。私も家内もすでに古希を越えている。私はそれには答えず、さらに地酒のグラスを飲み干した。目をやった日本海は暗く沈み、漁火のひとつも見えない。 
 泊まらずに帰るという息子は、タクシーの窓を開け、「夏休みは帰らんかも知れん」と云ってほろ酔い機嫌の右手をあげた。テールライトの赤い灯が涙で滲んで、遠去かって消えた。
 次の日、「道の駅」をハシゴしながら同じ道を帰路についた。東海道・山陽道は車が多くて運転に自信がもてない。やはり海沿いの北陸・山陰道が安心して走られる。
息子の薦めるへぎそばがうまい。トランクには、村上の鮭・魚沼のこしひかり・弥彦の茄子漬け、それに昨夜飲んだ淡麗辛口が積んである。帰り着いてからの楽しみが道ずれである。しかし、私たちふたりは言葉を交わすことはなかった。久しぶりに逢った息子とのひと時に想いを馳せているのではない。「九州には帰らない」というひと言が気になっていたのだ。
 助手席で霞む日本海の春の陽を眺めていた家内が独り言のように呟いた。
 「ひとり息子を新潟に取られた」
 私も同じことを考えていた。
 現在社会の中で失われていく素朴な親切、助け合う気持ち、無邪気な人情、息子はこの地に残る古き良き時代の日本のとりこになったらしい。あれほどわがままだった息子の心を捉えたのは、下越のそれだけではないはずだが、それが何かが解らなかった。日本人が古来から持ち続け、美しいものとされてきた自然への情愛が、車窓に流れる風景の中に潜んでいるのだろうか。
 長い長い親不知トンネル・市振トンネルを抜けると越中境である。越後を後にして、親不知の昔話「親知らず、子はこの浦の波枕、越路の磯の泡と消え行く」を思い浮かべていたら、ふと考えが変った。今は北陸本線、北陸自動車道、国道8号がわずかな時間で越後と越中を結んでいる。
まだ独り身の息子が雪椿のような越後の女性と結ばれることにでもなれば、この地は私たちの第二のふる里になる。移り住んで三世代同居家族を創り、雪国の暖かい人情に抱かれて終の棲家とするのも悪くない。ふる里は一つじゃなくてもいい。
富山湾を黄金色に染めて夕陽が沈んでいく。
今晩の宿で湯に体を沈めていたら、「帰らない」という言葉にこだわっていたストレスが、溶けて消えていった。湯が心のあかを洗い流してくれたのだろうか。
「帰らんでよか」、私たちもやがて越後の人になる。


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