見出し画像

第四回阿賀北ロマン賞受賞作①小説部門 『黒糖のかおり』村川忍

この記事は新潟県の阿賀北エリアの魅力を小説で伝えてきた阿賀北ロマン賞の受賞作を紹介するものです。以下は村上忍さんが執筆された第1回阿賀北ロマン賞小説部門受賞作です。2020年より阿賀北ロマン賞は阿賀北ノベルジャムにフォーマットを新たにし、再スタートしています。<詳しくはこちら>公式サイト

小説創作ハッカソン「NovelJam(ノベルジャム)」初の地方開催を企画・運営しています。「阿賀北の小説 チームで創作 敬和学園大が初開催 筆者と編集者、デザイナー募集へ」 (新潟日報)→ https://niigata-nippo.co.jp/news/local/20200708554292.html

『黒糖のかおり』村上忍


 わたしの母方の祖父は、明治三十六年十月十三日に生まれた。
 名もない庶民。だが、日本を作った手の一人である。
 若いころは川崎の日本鋼管に勤め、日々、溶鉱炉の前で汗にまみれ、大正・昭和の日本の材料となった鉄鋼を生み出し続けていた。太平洋戦争末期、同じように工場で働いていた祖母と出会い、結婚。私の母もまじえ、小さな家庭を作った。わたしがおぼえているのは、もちろんそのころではなく、もう退職して久しかったのちの祖父だ。
 川崎の下町の平屋で、祖父は毎日、規則正しく暮らしていた。朝は仏壇に水と炊き立ての米を供え、手を合わせるところからはじまる。線香を灯し、数珠を持ち、数分間、目をつぶる。その後は、飼い犬と散歩に出かける。先代の犬の墓が庭の隅にこしらえてあったが、散歩の後いつも、そこへむかって手を合わせていた。日中は本を読んだり、俳句を作ったりと、おだやかな趣味を楽しんでいるようではあったが、一日の最後、眠りにつくときにいたるまで、祖父の頭にはつねに愛情を注いでいる者たちのことがあったような気がする。「無償の愛」という言葉を聞くと、祖父を思い出す。
 わたしの父方の祖父母は長野の人で、地方のむき出しな寛大さでわたしに接してくれた。母方の実の祖母は東京に生まれ育った人で、カラッとした江戸の空気を植え込んでくれた。祖父は、そうではない。声を荒げたのを見たことがないが、ただ砂糖のようにひたすら甘いわけでもなかった祖父は、不思議な愛情をわたしに与えてくれた。それは太陽、風、大樹のやさしさに似ていた。
 祖父とわたしは、血がつながっていない。
 戦中、死ぬかもしれないならいっしょに、ということで妻をめとった祖父は、同時に、父親を亡くした女の子、すなわちわたしの母を養女として引き取った。祖父は、血のつながらない娘にしたように、血のつながらない孫に絶対的な優しさと強さをもって寄り添った。わたしが長じて母から聞かされるまで、血がつながっていないことをまったく気取らせなかった。人として不可能ではないが、決してかんたんではないことを、祖父はしていた。
 祖父が亡くなったのは、もう三十年前。寝たきりになり、意識が混濁したまま世を去った。
 わたしは小学生だった。祖父の口からいろいろなことを聞くには、まだ稚な過ぎた。わからないなりに、聞いておけばよかったと悔やまれる。成人し、人を頼りたくなった時、人の言葉がほしくなった時、思い出されるのはいつも祖父だった。しかし、祖父の言葉はもはやつかみとりようがない。
 祖父がどこの出身かすら、わたしは知らない。
 祖父の足跡をたどろうと思ったこともあったが、縁者はなく、知り人はすでに没し、川崎にいた時よりまえのことは、まったくわからなかった。生前、「シマダ」という郷里のことを話していたのがぼんやりと頭にあるものの、それがどこの県かもわからない。古銭をわたしの手に乗せ、シマダの古い町並やお城のこと、広い空のことをしきりになつかしんでいたが、それはわたしが後から作りだした記憶かもしれない。戸籍でも調べればいいのかもしれないが、それで祖父の過去が香り立つようにわかるとは限らない。祖父の記憶をたどりきれないまま、すでに十数年が経っている。
 しかし、最近になって、ふとしたことから祖父のルーツを知ることになった。

 ある金曜の夕方だった。
 めずらしく残業もなく、数か月ぶりで陽のなごりを身に浴びながら、わたしは帰宅の途についていた。
 かつては買い物の主婦でごったがえしていた下町の商店街は、軒先にむなしく並べられた商品やそこだけ威勢のいい「大売出し」の幟ばかり目につく。それでも湿った空気の中には、やきとり、コロッケ、漬け物、ウナギ、天ぷら、アジの刺身などの雑多な生活臭が、昔のままに漂っている。ささやかな部屋に帰っても、もうだれがいるわけでもない。ただ一人の自由な時間があるばかり。わたしは鼻を楽しませながらゆっくり商店街を通り抜けていた。
 そんな時、わたしはあの香りを感じたのだった。
 甘くからみつく、なにかが、そう砂糖が、焼ける匂い。それもグラニュー糖ではない。黒砂糖の香り――。どこから漂ってくるかは知らないが、別にめずらしいものでもない。それでも、わたしの記憶はすぐさま祖父のもとへ飛んでいた。
 祖父の毎日の習慣の一つに、黒砂糖を食べることがあった。毎夕、小さな容器に大切にとってある黒砂糖のかたまりを、龍角散の小さな匙で一杯。健康のためにやっていたのか、それとも甘味で口を楽しませるためか。わたしにもわけてくれようとしたが、小さい頃から甘いものが苦手だったわたしは、断った。もらっておけばよかった、と今でも思う。ただある夜、祖父が黒砂糖を使って作ったものはちゃんと食べさせてもらった。蒸気パン、という焼き菓子だった。
 祖父がどうやって作っていたか、ちゃんと見たわけではない。たしか、玉子焼き用のフライパンにバターを溶かし、そこに種を流し込んで焼いていた。小さな台所に、黒砂糖の焼ける香りが満ちていた。焼きあがったものは、素朴なホットケーキかカステラのようなもので、色は麩菓子に似ていた。祖父は形も麩菓子に合わせるかのようにまな板の上で太く長く切った。湯気が上がった。だから蒸気パンというんだな、と思った。
 それを思い出したら、ふと作ってみたくなった。
 家に帰り、すぐさまキッチンに入った。すでに三十年以上もまえのことで、材料すらおぼえていない。しかし、だいたいの見当はつく。黒砂糖、薄力粉、重曹と水。おそらく、卵や牛乳は入れはしなかっただろう。菓子作りに適当は禁物だが、あえて適当に混ぜてみる。祖父がやったようにして焼きあがったものは、ちょっとといわず、かなり怪しげなしろものではあったが、口にすると、甘い香りとなつかしい味がした。
 計算外だったのは、量だった。必要以上にできてしまった。かなり食べてもなお余ったので、翌日、職場に持って行った。弁当代わりのつもりだったのだが、冷たくなったそれは、あまり食べられたものではなかった。給湯室の電子レンジで温めなおしていると、花をヒクヒクさせながら部下がやってきた。
「あれ? めずらしいですね。ポッポ焼きじゃないですか」
 部下はわたしの手元を覗き込んで言った。
 蒸気パンだよ、と言うと、「なんですか、それ?」と不思議そうな顔をする。そしておかしなことを言った。
「村川さんも新潟の人間だったんですね」
 部下によれば、ポッポ焼きというのは新潟のもので、祭りの屋台に欠かせない食べ物だという。柏崎にいた子ども時代、よく食べたそうだ。
 おもしろいのは、新潟から一歩出ればまったく見なくなる、というところだ。部下も数年ぶりに見たらしい。どこで売っていたんですか、いつ買ったんですか、と熱心に訊いてくる。祖父のやり方で作ったことを告げると、感心した顔をしたが、そのくせ目はわたしの手元から離れない。ほしいのだろうか。一本つまませてやると、うれしそうにほおばり、「うまい! 完ぺきですよ」とお墨付きをくれた。祖父の蒸気パンは、ポッポ焼きと同じもの、というわけだ。
 祖父は新潟の出身だったのだろうか。
 部下の言葉が本当なら、その可能性は強かった。
 あとで調べたところ、長岡市に島田という地名があるのがわかった。祖父が言っていたシマダは、これかもしれない。ただ、蒸気パンとポッポ焼きと、呼び名がちがうのが気になる。どうでもいいことではあるが、時間に余裕ができたら、くわしく調べてみてもいいな。少し胸が鳴るのを感じた。

 しかし、くわしく調べる必要はなかった。
 それから数カ月経って、わたしは祖父の本当の出身地を知った。
 出張からの帰り道、東京への新幹線に乗ろうとある地方の駅へ急いでいる時のことだった。夕闇の中、駅前広場の喧騒の片隅に、わたしはそれを見た。
 小さな屋台。白熱灯の光。立ち上る湯気。黒砂糖の香り――。
 雑踏の中でかえりみられることもなく、そこだけ真空のように、しんとしていた。わたしはまっすぐ歩み寄った。屋台の暖簾の「蒸気パン」という字に、惹きつけられていた。
 屋台の奥で、小柄な老人が金型をあやつり焼いているのは、祖父の蒸気パン、部下の言うところのポッポ焼きだった。三本で百円。ずいぶんと安い。すぐさま買い求めた。三十本の蒸気パンがずっしりと熱い。客はあいかわらず来ない。わたしは老人に話しかけてみた。
「ポッポ焼きは新潟でも南の方での呼び名です。シバタじゃ蒸気パンっていうんですよ」
 老人はちょっと胸を張るようにしていた。
 シバタ。
 もちろん新潟県新発田市のことだろう。
 老人が続けたところによれば、蒸気パンという名が使われているのは、この素朴な焼き菓子の発祥地・新発田周辺だけだそうだ。確信はない。でもきっと、祖父が言っていたのはシマダではなく、この新発田だ。祖父の出身地は、新発田にちがいない。
 東京へ突っ走る新幹線の中で、まだ暖かいままの袋を抱えながら、わたしは思いを躍らせた。
 わたしは新発田に行ったことはない。どんなところなのだろう。祖父が話してくれた古い町並やお城は、ちゃんとあるのだろうか。話のままに、空は広いのだろうか。祖父が蒸気パンを食べ、作り方をおぼえた町。祖父にとって思い入れがない町であるはずがない。祖父の痕跡は、もちろんもうないだろう。親戚すら残っていないかもしれない。少なくとも、見つけることはできまい。それでも、一度、見てみたい。祖父が子どものころに吸った風を吸ってみたい。
 背後へ飛び去る車窓の景色に、わたしは見知らぬ街を夢みた。それはもう聞くことのできない祖父の声に耳をすますのに、どこか似ている心地がした。

 時の流れはめまぐるしく、日々はあわただしい。でもそう遠からぬうち、時間を見つけ、北の町まで祖父の記憶をたどりに行こうと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?