第二回阿賀北ロマン賞受賞作①小説部門 一般の部 『夢の中で』 麻月鉈
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第二回阿賀北ロマン賞受賞作①小説部門 一般の部 『夢の中で』 麻月鉈

この記事は新潟県の阿賀北エリアの魅力を小説で伝えてきた阿賀北ロマン賞の受賞作を紹介するものです。以下は麻月鉈さんが執筆された第2回阿賀北ロマン賞小説部門受賞作です。2020年より阿賀北ロマン賞は阿賀北ノベルジャムにフォーマットを新たにし、再スタートしています。<詳しくはこちら>公式サイト

小説創作ハッカソン「NovelJam(ノベルジャム)」初の地方開催を企画・運営しています。「阿賀北の小説 チームで創作 敬和学園大が初開催 筆者と編集者、デザイナー募集へ」 (新潟日報)→ https://niigata-nippo.co.jp/news/local/20200708554292.html

『夢の中で』 麻月鉈


 夢を見た。暗闇の中、一輪の花を抱えた少女が叫んでいる。

『私を見つけて!』

 内容はたったそれだけだった。ただ、どうにも後味の悪い夢だった。

❀  ❀  ❀

 僕は東京の公立高校に通う二年生だ。部活は美術部に入っている。学校は昨日、終業式が終わったので今日から待ちに待った夏休みである。宿題も今年はそんなに多くない。高二の夏休みは友達と遊んだりゲームして夜更かしたり趣味のスケッチでもしたりして、それで合間に宿題をしたらあとは目一杯遊ぼう! とか思っていた。
それなのに、夏休み初日からこの夢である。
「一体何なんだよもう……」
 ブツブツと呟きながら体を起こすと、枕元に花辞典という本があるのを見つけた。野の花を模写する時に名前を調べるのに姉貴から借りたのだ。本人も返却を催促してこないということは忘れているのだろうな、と思いながらページをぱらぱらと捲る。と、どこかで見たような花を目にし、慌ててページを捲り直した。それはハマナスという花で、バラ科の落葉低木、花言葉は『見栄えの良さ、美しい悲しみ』。聖籠町のシンボルであると書いてあるが、さっぱり分からない。
取り敢えず本をベッドの上に放り出し、まずは朝食を食べに行くことにした。

❀  ❀  ❀

 パソコンで調べてみると、聖籠町というのは新潟県北部、北蒲原郡にある町らしい。新潟なんて、生まれてから東京を出たことのない僕には無縁の土地だ。ましてや、聖籠町などという場所なんて知っている筈もない。
ふいに『私を見つけて!』と夢の中で発された少女の声と共に、涙ながらに訴えかけるその姿が再び脳裏に焼き付く。セーラー服に黒くて長い髪、蒼い唇。だが印象的だったのは生気の失せた顔に埋め込まれた、硝子玉の様なその瞳だった。涙で揺れた黒に宿っていたのは埋め尽くされた絶望とその中で芽生えた微かな希望――。ただの夢と一言で片付けるにはちょっと無理そうだ。
「うーん、気になるなあ」
「なあにが気になるのぉ?」
突然後ろから抱きつかれ驚きの声が上がる。首だけで振り向くと、そこには意地悪そうな笑みを浮かべて乱視と近視の入った眼鏡を指で上げる姉貴がいた。圧し掛かる姉貴を振り払いながら、「人の部屋に入る時はノックしろっつったろ」と僕は不機嫌面になる。
「ノックしたけど返事しなかったじゃない。なに考えてたの?」
 僕の頭を押し退けて画面を覗く。「新潟ぁ? そんな田舎調べてどうすんのよ」と声を上げた。確かに、どうするのだろうか。いくら女の子が助けを求めていたからと言ってもそれは夢の中の話だ。なのに、「知り合いが新潟に住んでいて」なんて言っていた。嘘を吐くときには真実をちょっぴり混ぜるとかなんとか。へぇ、と姉貴は簡単に騙される。単純な思考回路が長所であり短所でもある。が、「で、資金はどうするの? 行き方は分かるの? 新幹線の切符は? 期間はどうするの? そもそもいつ行くのよ?」切り返しは早かった。矢継ぎ早に質問を浴びせかけられ戸惑っていると、「あんたからかい甲斐があるわぁ」姉貴の眼鏡がキラーンと悪戯っぽく光った、気がした。
「もー、僕はこれでも真剣なんだから!」
 小さい頃からこの姉貴には頭が上がらない。故にいじめられてばかりである。溜息を吐いていると、「ま、あたしが父さん達に掛け合ってあげるわよ!」と声が降って来たので、顔を上げると目をキラキラと輝かせた姉貴の顔がそこにあった。どうやらこの事態を面白がっているようである。
「え、マジで?」
我が家の両親は僕より姉貴に甘い。その姉貴の頼みごとなら二人は断れないだろうと思い、僕は姉貴に任せることにした。
 さあ、これでもう後戻りは出来ないぞ。

❀  ❀  ❀

 姉貴の計らいで、僕は一人旅という名目で新潟に行けることになった。新幹線で二時間ほど揺られ(その間に例の少女の似顔絵を描いた)、さらに人に道を尋ね、電車に乗ったりバスに乗ったりしながら(此処に来て一番驚いたのは、首都圏ではどこでも使える「PASUMO」が使えないことだった!)、聖籠町に到着。
「うわー、空気きれー」
 塵や排気ガスの混じった東京の空気しか知らなかった僕は新潟の澄んだ空気に感動……している場合じゃないよな。これからどうしようか。と辺りを見渡すが田んぼと人家しかない。荷物は衣類や食料品の入ったキャリーケースとボストンバック一つずつ。肩に掛けている鞄には絵を描く為の道具が入っている。事前準備が整っていたのはそこまでだった(昔からやる事成す事中途半端な僕だったが、そんな中で未だに続いているのは絵を描くことだけだ)。最寄りの宿泊施設くらいは調べてくるべきだったかな。知り合いなんていないしこりゃ最悪野宿かも、なんてちょっと楽観していたことを早速後悔し始めた。
「おいそこの少年よ」
 声を掛けられて振り返るとそこには狐……いや、一人の男が立っていた。歳は三十歳くらいだろうか。Tシャツにジーパンというラフな服装、狐のような細く釣り上がった目に厚ぼったい唇。訛りは無かった。男は人懐っこい笑みを浮かべながら陽気に手を振る。それが僕に向けられたものかを確認する為に人差し指で自分の鼻を差してみた。男はうんうんと頷く。
「そうだお前だよ少年。何だかお困りの様子だが? あ、俺ハナオカヨシト。上はお花の岡、下は大吉の吉に人。よろしくな!」
 訊ねられてもいないのに花岡吉人と名乗ったその男は、再びどうしたのと訊ねてくる。
「あの、実は旅行にきたんですけど、泊まる処が無くって……」
 吉人さんはへぇ、と目を丸くし、「旅行って、こんな田舎にか?」と珍しいものを見るように僕を見た。まさか夢の中で会った少女を探しに来たなんて言えるわけ無い。やむなく僕は肩に下げた鞄の中から「絵を描きに来たんです」と、取り出したスケッチブックを見せた。僕はあまり自分の描いたものを見せるのは好きではない。褒められるのも貶されるのも嫌なのだ、というより疲れる。しかし彼はそんな僕の心情などお構いなしに「絵描きかぁ、すげーな!」とはしゃいだ。なんとも言えないむず痒さに照れ笑いを浮かべて足元ばかり見ていた。
 しばらく僕の駄作を鑑賞していた吉人さんがスケッチブックを返しながら、「泊まるとこないんだったらウチに泊っていけよ! どうせ此処ら辺にホテルなんか無いし、此処で会ったのも何かの縁だ。どうだ、嫌か?」と言ってきた。知らない人についていってはいけないというのは小学校でも習ったが、他に頼れる人もいないのでその好意に甘えることにした。こうして僕は花岡家へと招待されたのだ。
 吉人さんの家は最後に降りたバス停から歩いて十分のところだった。玄関で吉人さんの両親に迎え入れられ晩御飯を御馳走になる。デザートに食べた笹団子はとても美味しかった。おじさんもおばさんも新潟訛りで喋りかけ、嬉しそうに笑っている。二人共悪い人には見えなかったので安心した。
その後、与えられた部屋に荷物を置いて、何をするわけでもなく庭へと出てみたら星がとても綺麗で、思わず溜息を吐く。これが満天の星空というものか。都会では見られない景色にまた一つ感動する。
そんな時、僕は庭の隅っこの方で吉人さんを見つけた。暗がりでよく見えなかったが、何かを愛しむ様な表情をしている。その視線の先にあるものは一輪の花であった。
別に何でもないその光景。他人が見たら、咲いている花を愛でているのだなとしか思わないその光景に、
「―――――――っぁ」
僕は得体の知れない恐怖を感じて立ち竦んだ。全身の皮膚が粟立ち、ひゅっと喉が鳴る。それに気付いたのか、突然吉人さんが振り向いた。硬直している僕を見て目を釣り上げたが、直ぐに人懐っこい笑顔を浮かべて、「ああ、なんだお前か少年」と言って素足にサンダルを引っ掛けてこちらへ歩いてくる。その顔には意味不明の恐怖は浮かんでこなくて、僕はほっと息を吐いた。
「何してんの、こんなところで」と訊ねられたので、星を見ていましたと正直に答える。
「ああ、東京と違って綺麗だもんなー」
からからと笑う。つられて僕も笑ってしまった。笑いながら、こっそり汗ばんだ手をズボンで拭う。
あっ、と吉人さんが何か思い出したのか僕に申し訳なさそうな顔をした。明日、吉人さんがこの町を案内してくれる事になっていたのだが急用が入ってしまったので案内することが出来なくなったという。
ごめんな、と手を合わせる吉人さんに、僕は「いえ、そこら辺の物をスケッチするだけですから大丈夫ですよ」首を振った。
「そうか、まあ、こんな何もない田舎で迷子にはならないだろうからな」とまた二人で笑った後、それぞれの部屋に戻った。
僕が与えられた畳六畳分の小さな部屋にあるものは小さめの机と本棚、荷物は隅の方へ放り出してある。その鞄からスケッチブックを取り出し、開いた。ハマナスの花を抱き、何かを訴えかける少女の絵。
「……見つかるかなぁ」と溜息を吐いて自分で描いた少女を見つめ、それを見て唸る。何か違う。何が駄目なのかよく分からないまま、僕は机の前に座る。鉛筆と消しゴムを取り、僕は新しく少女を描き始めた。

❀  ❀  ❀

 翌朝、寝不足で眠い目を擦りながら僕は道行く人々に少女の絵を見せた。昨日描き直した少女もやはりハマナスの花を抱えていたが今度は泣き顔ではなく笑顔だ。
 知らない人と話すのは正直言って苦手だったが、農作業中のおじさんが僕の絵を見て素っ頓狂な声を上げた。
「これぁ聖ちゃんじゃねぇか?」
「ヒジリちゃん?」
「ああ、東京から越してきたとか」
「何処に行けば会えますか?」と訊ねると、「それは儂等かて聞きたいわ」と返された。
聞けばこの少女、荒川聖(ちなみに、村上というところの高校に通う二年生だそうだ。僕と同学年である)は二週間前から行方不明になっているらしい。目撃者はおらず、警察も両親も町民も山や海や川等を探し回ったが今のところ見つかってはいない。
「ただ、あの子が花岡の倅と仲良ぉしとるのはみたことあるぞ」とおじさんは言う。
「花岡の倅……? それって吉人さんですか?」
「そうだ。花岡の倅はな、あれは今時流行りのなんつったかな、ニー、ニー……」
「ニートですか?」
「そうそう、それじゃ! 成人したと同時に東京に出稼ぎに行ったはいいものの、会社をクビにされてたった五年で戻ってきよった。それからは働きもせず、花岡の親父が稼いだ金でギャンブル三昧ときた。これだから最近の若者は……」
 おじさんの呟きは途中から耳に入らなくなった。今日吉人さんがいないのは仕事じゃなくてギャンブル? ギャンブルと言ったら、競馬とか? じゃあ吉人さんは今、働きもせずに賭け事をしている?
 軽いショックでふらつく僕におじさんは「ところで、お前は聖ちゃんの知り合いかえ?」と訊ねたので取り敢えず「同じ東京都出身なんです」と言い、これ以上ボロが出ないうちに立ち去った。
「行方不明、か……」
 あのおじさんから得た情報は、荒川聖は僕と同じ東京出身で、二週間前に行方不明になり、そして吉人さんと知り合いである。なら、吉人さんに聞いた方がいいのかなと思ったが、しかし何て言って聞けばいいのだろう。最初に目的を言う時点で嘘を吐いてしまったのだし。
ぼやきつつ、何もない田んぼ道をとぼとぼと歩き出したその時だった。
ぞわりと突然強烈な殺気を背後から感じて体が硬直し、総毛立つ。勢いよく振り向いてみたが、そこには誰もいなかった。
「――――――――何……今の」
 こんな感覚は今まで生きてきて初めて感じた。それは恐怖に近いもので、しかし昨日吉人さんから感じた恐怖とはまた別のものだと思われる。身が竦む悪意ではなく、僕個人に対しての明確な敵意。一体、誰が…………? 分からない。まだ此処に来て二日しか経っていないし知り合いも花岡家の人達だけだ。あの人達が僕に敵意を持っているとは思えない。じゃあ誰なのだと聞かれても分からない。分からないということは何よりも恐ろしい。その出来事に対する対処法が無いからだ。
僕は鳥肌の立った二の腕を引っ掻く様に擦る。とにかく、この場から早く離れた方が良いと判断し、先程感じたものを振り払うように速足で歩きだした。

❀  ❀  ❀

「あらぁ、アンタ花岡さんとこに住んでるのぉ?」
「あ、えと、少しの間お世話になってるんです」
 聞き込みを再開して何人か目に、通りがかりのおばさんに捕まってしまった。僕が荒川聖のことを質問する前に「何処から来たの?」とか「どうしてこんなところに?」等の疑問をシャワーの様に浴びせかける。なかなか質問が出来ず戸惑う。
 一通り僕を質問攻めにした後、おばさんはじゃあねと立ち去ろうとした。
「あ、ちょっと待って下さい! 一つだけお聞きしたいんですけども!」
 数歩歩きだしたところで慌てて僕は引き留める。少し不機嫌な顔を視界に入れないように僕はスケッチブックを開いて見せる。
「これ聖ちゃん? よく書けてるわねぇ。聖ちゃんと知り合い? 同じ学校だったの?」
 再び質問の嵐が始まりそうだったので「彼女を探してるんです。知りませんか?」と被せる様に言った。
「そういえば……花岡さんの家に入っていくのを何度か見たことあるわ」
「ホントですか?」
「ええ、でも一人じゃなかったわ。同い年くらいの男の事一緒だったわね」
「最後に姿を見たのはいつですか?」
「行方不明になる三日前かしらねぇ。聖ちゃん、家出でもしたんじゃないかしら。あまりご両親とも仲良くなかったから。新しい学校にも馴染めてなかったって聞いたわよ。そう言えばその男の子、札付きの不良らしいわよ。あんな顔して結構遊んでる子なのかもしれないわよ、聖ちゃん」
「そう……なんですか」
 とてもそんな子に見えなかったので、少なくともこのおばさんの言葉に僕は衝撃を受けた。
 おばさんがまた口を開きかける前に僕はさっさと短くお礼言って逃げた。その後に腕時計に目をやると、四時を回っていた。
「もうこんな時間かー」
 ぐったりと疲れていた。そして早くも僕は本当に荒川聖が助けを求めているのかどうか疑問に思えた。夢に出てきた少女を探しにこんな田舎に行ったなんて友達に知られたら、きっと物凄く笑われてしまうだろう。
 その後僕は道端の花や風景を数ページほどスケッチブックに描き、花岡家に向かった。

❀  ❀  ❀

「よっ!」という声と共に襖を開いたのは吉人さんだった。何だかご機嫌である。
 その時僕はスケッチブックの荒川聖を描いたページを開いていた。それを焦りつつも冷静に閉じる。このページは、吉人さんには見せない方がいいかもと何故か思った。
「おかえりなさい、吉人さん。……何か嬉しそうですね。どうしたんですか?」
「んー? 別に何でもないさ。それよりお前、スケブ見せろよ、何描いたの?」
 吉人さんが僕の手からスケッチブックを奪い取ろうとする。僕はそれを抱え込み、慌てて別のスケッチブックを差し出た。それを見て吉人さんは「へー」とか「ほー!」とか言う。途中スケッチブックから顔を上げて「凄ぇなお前!」と言われて「そんなことないですよ」と僕は言った。
考えてみれば自分の描いた絵を見せたりするというのはほとんどしなかった様に思う。見せるとしたらせいぜい仲の良い美術部の人か顧問ぐらいだろう。
 気付くと抱えていたスケッチブックが無い。まさかと思って吉人さんの方を見ると、あちゃー、やっぱ吉人さんが持っていた。しかも、荒川聖の似顔絵のページを食い入るように見つめている。
スケッチブック越しに見る目は、もともと釣り上がっていたのに今はこれでもかというほど上がっていた。先程と比べるとギャップがありすぎて物凄く怖い。やはり見せるべきではなかったというかそもそもスケッチブックを出しっ放しにしていた僕の責任でもあるけど。
と、とりあえずどうしよう。スケッチブックを強引にでも取り返すべきか、事情を説明して荒川聖を一緒に探してもらうか。いや、でも近所の住民の情報によると、吉人さんと荒川聖は親しい関係にあったという。吉人さんが三十歳、荒川聖が十六歳とすると十四歳も差がある。一体何処でどうやって知り合ったのだろうか。いやいや、それより早くスケッチブックを返してもらわないと、いやもう一つの情報によると吉人さんは昔、警察のお世話になったそうだ。下手すると殺されかねない……いや、流石にそれはないか。そこまでしないよね、きっと。
とにかく、会話だ。人間話せば分かるものだ。
「あ、あの、吉人さん」
「…………」
 「そっちは駄目ですって。全然上手くないし、恥ずかしいから。返して下さいよ」
 笑顔を心がけるがどう見ても口の端が痙攣しているようにしか見えない。対する吉人さんは無言。会話が続かない以前に成り立ちません。無神教者だけど助けて神様。
と、祈りが通じたのか「お前、聖を知ってんのか?」と突然吉人さんの顔に笑みが溢れた。そして僕は、「はい。同じ学校に通っていました! 吉人さんこそ、あら……聖と知り合いですか?」と元気よく嘘を吐く。仲がいいと見せ掛ける為に敢えて荒川聖を下の名前で呼んでみせ、なおかつ次の質問に移らせないように自分から疑問を投げつけた。
「友達の紹介でな。それより、向こうでの聖ってどんなんだった?」
 ぐっと言葉に詰まる。まさか転校前の荒川聖の様子を訊ねられるとは。下の名前で呼んだ以上知らないでは済まされない。取り敢えず「明るく優しい子」という可も無く不可も無い回答をしつつ、「こっちでの聖はどうでしたか?」と返す。
「こっちじゃあんま上手くいってないと聞いたな。クラスの奴等と馴染めない、とかそんな感じのヤツだけど……」との後、「お前、もしかして此処に来たのは聖に会う為だったりー?」なんておどけた調子で確信を突かれてドキッとしたが、なんとか表情には出さないようにする。僕は照れている表情を作って言う。
「いやぁ、半分は絵を描く為っていうのもあるんですけど、もう半分は聖に会いに行く為なんですよ、ちょっと気になることがあって。実は最近聖と連絡が取れないんです」
「へぇ……。いつから?」
「二週間前からです。吉人さん、何か知りませんか?」
「いや、何も…………」
 言ったあと、沈黙が訪れた。考え込む吉人さんの表情は変わらない。ただ、雰囲気が変わった。ほんの一瞬だけ、何か嫌なものを感じたのだ。背中に冷や汗が流れる。だがそれを顔には出さない。吉人さんの考え込んでいるのはきっとポーズだ。何か言おうと思ったが、体が石になったかのように指一本動かせない。吉人さんが放つ雰囲気に呑まれているからなのだろうか。
唐突に「ご飯よー!」というおばさんの声がして、ビクリと体が震える。沈黙の時間は僅か一分だったが僕は一時間にも感じられた。強く握っていた手を開くと汗で濡れている。
「もう晩飯かー。どうりで腹が減ってるわけだ」
 明るい声音でそう言った吉人さんは立ち上がって伸びをしてスケッチブックを投げ出した。直ぐにもう一冊のスケッチブックと一緒に鞄に放り込む。そして「聖のことはまた後で考えようや」と厚い唇に笑みを浮かべて部屋を出て行く。対する僕はしばらく立ち上がれなかった。
「――――――――怖かったぁ……」
 僕は吉人さんに恐怖を感じていた。本能的が、これ以上荒川聖に関わるなと告げている。
「でも……」
 こんなところで、引き下がれるもんか……!
❀  ❀  ❀

荒川聖探しは難航していた。荒川聖が通っていたという村上の高校を尋ねて同じクラスの生徒に何人が聞き込みしたが、皆黙るか無視するだけだった。吉人さんに何か訊ねようにも前日の夕飯の後直ぐに家を出てしまい、それからまだ戻っていない。おじさんやおばさんはいつものことだと言うけれど。
二日目は捜索範囲を広げ過ぎて迷子になったりした(本当になったのだ)。荒川聖を知る人物は少ない。学校に馴染めていないという情報は本当のようだ。
まだ三日、もう三日。しかし彼女は未だ見つからない。でも、もう少し探したら見つかるんじゃないかと自分を騙しつつ三日目も荒川聖が通っていた学校を訪れ、聞き込みをしたが思うような成果を得ることは出来なかった。長期休みに登校している生徒は皆、部活動をしに来ていたということで、その人数もかなり少なかったということもあるのだけれど。ただ、髪の毛を茶色く染めた一人の男子が荒川聖を下の名前で呼んでいた。サヤバヤシマコトという名前以外大した情報は聞き出せなかったのだが。睨まれた時に感じた感覚が、いつかの記憶を呼び覚まそうとするが今はそれどころじゃない。
三日間、荒川聖を探し続けたがもう畑や民家ばかりのこの町では何の発見も無さそうだった。緑豊かで空気が美味しい、という発見はあったが、本筋と全く関係が無い。
そして四日目の今日。気分転換も含めて僕は花岡家の掃除の引き受けたのだ。部屋や廊下を箒で掃いたり雑巾がけしたりする程度のものだが、僕に出来ることと言ったらそれくらいしか無い。家は広かったがなんとか昼頃には終わらせることが出来た。……吉人さんの部屋を除いては。勝手に人の部屋に、掃除目的とはいえ入っても良いのだろうか。だが、もしかしたら荒川聖に関係する何かが見つかるかもしれないという期待が大きい。
結局好奇心に負けて部屋に入る。中は机や椅子、その上に置かれた新聞やラジオやパソコンがあるだけの殺風景なものだった。
僕は掃除に入った。その名目で襖を開けたりもしたが布団とか枕とか家庭用菜園の道具とか赤いレンガとかそんなものしか無かった。
「こんなところに何かあるはずもないかぁ……」と落胆していると、机の引き出しの一つが少しだけ開いているのが見えた。再び誰もいないことを確かめ思い切って引き出しを開けると、そこには一枚のプリクラと、テディベアのキーホルダーのついた携帯電話があった。テディベアは土に汚れている。携帯電話はピンク色の可愛らしい物で、吉人さんがファンシーな趣味を持っていない限り使うような物ではなさそうだ。しかし問題は、その隣にあるプリクラ――こちらに向けてピースをする誰かとはにかんでいる荒川聖の笑顔だった。しかしその隣でピースをしている人は村上にある高校の男子制服を着ているが、顔は黒く塗り潰されていて誰だか分からない。これは吉人さんが意図的に行ったものなのだろうか。だが何故こんなことを?
 引き出しをしっかり元通りに戻した時「――――――くん、お掃除終わったのー?」という声がして、慌てて部屋を飛び出した。同時に廊下の角からおばさんが顔を覗かせ、「吉人の部屋は掃除しなくていいわよ。勝手に入ると怒るから。それより終わったんならお昼にしましょう」直ぐに顔を引っ込めてしまう。複雑な感情のまま、僕は掃除用具を手に歩き出す。

「これ以上聖に関わるな!」

 庭の方から聞こえた声に驚いて振り向く。僕は掃除用具を投げ捨てスリッパのまま庭へ飛び出した。ブロック塀をよじ登って道路を注意深く眺めると、遠くの方で走り去る人影が見えた。
逃げられたことを確認し、体の力が抜けたのか地面に尻から落下する。結構な高さだったのでそれなりに痛かった。尻を擦りながら、先程の声の心当たりを探すが、咄嗟のことだったのであまり記憶に残っていない。だがその言葉は良く覚えている。聖に関わるなと言ったのだ。名前を呼び捨てにしたことから声の主は荒川聖と親しい関係にある者……。だが、荒川聖は学校では孤立状態だったからそんなに親しい人物がいるかどうか、今の僕にはさっぱりだった。どうも僕は探偵にはなれそうもない。せめて優秀な助手がついていないと、ってこれじゃどっちが探偵なんだか分かんないや。
 しばらくして、おばさんが僕を呼ぶ声で我に返った。体やスリッパに付いた土を払って立ち上がる。
分からない事が多すぎる中で一つだけハッキリしている事。それは、この事件をこのまま終わらせて良い筈が無いということだった。とことんやってやるぞ。
 視界の一番端で、一輪の花が揺れた。

❀  ❀  ❀

その日の晩はなかなか寝付けなかった。頭の中では吉人さんの恐ろしい形相やプリクラの事等がぐるぐるとメリーゴーランドみたいに回っているからだ。それらに加えて今度は『私を見つけて!』という声まで聞こえだした。くそ、こんな時にまでリピートせずともいいじゃないか。明日からまた頑張るから、今日はゆっくり寝かせてくれ。

『私を見つけて!』
 やめてくれ。
『私を見つけて!』
 うるさい。
『私を見つけて!』
 頼むから……、
『私を見つけて!』
 黙ってくれ!

「お願い……助けて!!」

 その声の近さにハッとしてあたりを見回すと、僕は暗闇の中にいた。「僕、ちゃんと蒲団で寝ていたよね。いつの間にこんなとこ……」という呟きも闇に呑まれる。それに、いくら夜だからってここまで暗いのはおかしい。周りは完全な闇なのに自分の体はくっきり見えている。本当に光が差さない闇の中にいるのなら、自分の体が見える筈が無い。これはもしかすると、ひょっとすると……、
「夢でも見てるのか?」
「そう、此処は夢の中よ」との声に振り返ると、そこには一人の女の子がいた。一輪の花を胸に抱きかかえた黒髪の少女。見覚えのある顔だ。
「やっと、逢えた。私の声が聞こえる人。ずっとあなたに呼びかけていたのよ」
 少女は涙と一緒に微笑みを浮かべた。たった一度しか会ったことが無いけど、記憶に焼き付いて離れない顔。そうだ、彼女は――――――
「私は荒川聖。聖って呼んでもいいわよ」
 ああ、この子が夏休み初日に僕の夢に現れ助けを求めた少女。僕がこの町に来てずっと探していた人物。その人に「それより、酷いじゃない。人が助けを求めているのに『うるさい』だの『黙ってくれ!』だのって」と怒られてしまった。僕は慌てて謝るが、その途端に彼女はしょんぼりしてしまう。何か悪いことを言ったのかと心配になったが、彼女は首を静かに横に振った。
「ううん、私が悪いの。あなたをこんな巻き込んでしまったのだから。でも、私はまだ死にたくないの。お願い、私を見つけて」
 最初に夢の中に出てきた時と同じことを聖は言う。そこには切ないほどの必死さがあった。しかし、僕には彼女の言っていることが半分も理解出来ていない。
「そうしたいのはやまやまなんだけど、僕は何がなんだか全く分からないんだ」
「ああ、そうね。ごめんなさい取り乱して」
 聖は一息吐いてその場に座り込んだ。僕も倣って闇の中に腰を下ろす。何も感じない、空虚さがそこにはあった。
 聖が深呼吸をした後、重々しく語り始める。
「私は去年の秋まで東京の高校に通っていた。でもお父さんの仕事の都合でこんな田舎に引っ越すことになったの。私たちは父方のお爺ちゃんと一緒に住んでいた。聖篭はあまり好きじゃないけど、お爺ちゃんは好きだったの。そのお爺ちゃんはハマナスの花が好きだったわ」
「だから、それを持っているんだね」
僕は聖が抱えている花を指差す。彼女はふっと笑って「此処にいた時からあったの。お爺ちゃんが守ってくれる気がして、ずっと持ってるんだ」と言った。
「私は近くにある高校に転校したのだけど、なかなかクラスに馴染めなくてその内こっちから話しかけてもシカトとか物がなくなって、っていうイジメに遭っちゃってさ。しばらくすると今度は机の上に落書きされていたりとか教科書がゴミ箱に捨てられていたりとか酷い方に発展しちゃってさ。辛かったな」と言う聖の口調こそ明るいものの、その表情は暗く苦しそうだった。
「お父さんやお母さんには言えなかった。絶対分かってくれないから。でもお爺ちゃんは分かってくれた。私の苦しみを理解して、慰めてくれて。お爺ちゃんがいたから耐えられたの。でも、春に入る前、お爺ちゃんは亡くなってしまって……」
 聖は語り続けた。祖父を亡くした悲しみやエスカレートするイジメ、何も分かってくれない両親や自分をイジメる同級生への激しい憎しみ。そして自殺を決意するまでの絶望、虚無感。
「そして梅雨に入った頃、私は自殺することにしたの。この世界にいるのが苦しくて、こんなことがこの先一生続いていく気がして耐えられなかった。全てを捨てて楽になった方がマシだと思ってね。遺書を書いて、どこか死に場所を探して彷徨っていた。結局死に場所に選んだのは学校の屋上。町のことはあんまり知らなかったし復讐にも丁度いいと思っていたの。そしたらさ、先客がいたのよ」と、微かに微笑んだ、気がする。
その男は学校の屋上にいた。丁度その日は大雨だったらしい。彼は雨の中、傘も差さずに屋上にあるベンチに座っていたという。制服が同じ物だったのでどうやら同じ学校の生徒らしいということは分かったのだが、面識は無かったとのこと。
どうやら彼は親と喧嘩をして家を飛び出したのだという。そんな彼に、聖は自分の境遇や今からしようとしていたことを全て話したらしい。どうしてそんな気になったのかは分からないが、彼はきちんと聖の話に耳を傾けた。そして不思議と自殺願望は消え失せていた。
「最後に、『死んだら負けだぞ、悔しくないのか?』って言われたの。遺書も雨に濡れて読めなくなっちゃって使いものにならなくなったしね。自殺は諦めた。ちょっとでも生きたいと思ってしまったから」
 そして彼と再会を約束して別れた。一週間後、二人で街の方へ出掛けたという。新潟の中心の方へ行くと結構色んなものがあるらしく、そうやって彼とデートしている内に二人の仲は深まった。
初めてのデートの高揚感、そこで見た映画のこと。他にも聖は、彼の歳の離れた友達(同じ高校の卒業生、つまり先輩に当たる方なのだそうだ)の家に行ったことや、その友達の悩みを聞いてあげたりしたり、ある日を境に突然イジメが無くなったが無視は続いていることを語った。……彼の為に生きよう。それが、今の自分が出来る精一杯の恩返しだと信じて日々を生きた。その想いが愛情に変わるのにさほど時間はかからなかったという。
そう語った聖の顔はとても輝いていたが、しかし、唐突に暗い顔をした。彼の良くない噂を聞いたからだと言う。『彼は地元では名の知れた不良で、暴力行為や窃盗行為なんて平気でやる』、『少し前まで少年院に入っていた』等である。彼の友達についての噂も耳にし、聖は不安に思った。そしてその頃から学校をサボっていたり小金をせびるようになった。それでも彼のことを愛していたしイジメが減ったのもきっと彼が何とかしてくれたからだと思った聖は彼と付き合い続け、金を渡し続けた。そして時同じくして、彼を通して知り合った先の友達にしつこく強引に言い寄られるようになったのだ。
「何回か三人で一緒に遊びに行ったりもしたけど、最近になって私が彼と一緒にいない時を見計らって近寄ってきたり、二人だけで遊びに行こうって誘われたり。勿論断った。でも追いかけられたりもして凄く怖かった。その時は一目散に家へ逃げ帰ったの」
 そして聖はその日、とうとう彼に相談を持ちかけた。彼は何でもっと早く言わなかったのだと怒ったらしい。
彼の行動は早かった。直ぐにその友達を呼び出して三人で話し合ったそうだ。友達は素直に謝り、以後しつこく付きまとうようなことは無くなった。彼の優しさ、愛情を再確認出来たと聖は言う。
そして問題は解決したかのように思われたその数日後、彼の友達からメールが来た。
「それは、この間のお詫びに家に来ないか、DVDを借りたし彼も誘ってあるから是非来てくれっていう内容だったの。正直、あんなことがあった直ぐ後だったから彼に警戒するように注意されたけど、ずっと見たいと思っていた映画のDVDだったし何より彼も一緒に来るなら安心だと思って行くことにしたの。学校が終わった後、一応彼にメールしてみたのだけど返信は無かった。でもそんなことしょっちゅうあるから気にしなかったの。それに、最近忙しいからしばらく会えないかも、って言われていたから」
 その家には何度かお邪魔したことはあったそうだが、例の話し合いの後にその家に入るのは初めてだった。家に入った時、おかしいと思ったのだそうだ。まず玄関に靴は三足くらいあるのに見慣れた彼の靴は無かった。聞くと、前に履いていたのは相当古いヤツだったから自分が新しいのをあげたんだと言う。それにしたら彼の姿が見えないわ、と言ったら庭の方にいるよって返され、そして友達は聖に、君にどうしても見せたいものがあるから庭まで来てほしいと言った。最初は警戒したが庭なら外から大声で叫べば誰か来てくれるだろうし、彼もそこで待っていると思ったからついていったのだそうだ。
「あの時直ぐ彼に電話とかすれば良かったの。もう少し深く考えれば、そうすればあんなことにはならなかったのに……」
 その時の恐怖を思い出したのか、聖は体を震わせて泣いていた。数滴の涙は闇に吸いこまれ、小さな波紋を描いて消え、数滴の涙はハマナスの花に吸い込まれる様に落ちた。
 その友達について庭に入ると、庭の隅に一輪の花が落ちていた。それは聖のよく知っている花だったのだ。
「私はそれを拾い上げて、どうしてこんな処にこれが落ちているのか聞こうと思ったの。そしたら突然頭に強い衝撃が襲ってきて、遅れて痛みが走って。何がなんだか分からないまま私は倒れたの。目の前が真っ暗になって何も見えなくなったけど、音や感覚だけはやけにはっきりしていたわ」         
 荒い息遣いや土を掘る音、自分の体が土の上を移動する感覚や何かが被せられる音、そして嗚咽に混じって自分の名前を呼ぶ声。
「だんだん息が苦しくなってもう駄目だって思った時、いつの間にか私はこの闇の中で、この花を抱えていて倒れていたわ。どうやって此処に来たのか分からない。私は一人ぼっちだった。もう痛みは無かったけど暗くて怖くて寂しくって、どうしようもなくって。でもその時、光が見えたの。その光を辿って行くと、人がいた。私は叫んだ。『お願い、助けて!』、『私を見つけて!』って。でも、その人は気が付いてくれなかった。光が消えると、私はまた闇の中に取り残されてしまって……」
 それから聖はずっと光を見つける度に叫び続けた。その光が消えても、また別な光を探し、そこにいる人に助けを求め続けた。声も涙も枯れることは無かった。だた、空虚さと寂しさだけは続いた。それでも彼女は希望を捨てなかった。絶対誰かに見つけてもらえると、そして自分は生きるのだと。そして、
「そしてあなたと出会った」
 僕はその声を聞いて夢の中で助けを求めてきた少女を探しに見知らぬ土地にやって来たのだ。聖は光が消えた後また闇に取り残されたが、不思議と虚しさも寂しさも薄らいだのだという。それから僕が荒川聖探しを行動に移した後何度か呼びかけていたそうだが僕は今日まで気付かなかったらしい。だから今日、こういう形でもまた逢えて嬉しいと聖は微笑む。暗闇の中でそれが眩しく思えて、僕は目を逸らしながら問う。
「それで、一体此処は何処? 君は今、どういう状態なんだ?」
「多分だけど、私はまだ死んでない。仮死状態っていう感じかな? きっと体は今土の中だと思う。彼が私を埋めたのは、私が死んだからだと勘違いしたのでしょうね。そして此処は私の夢の中。此処で私が見た光はその人の夢に通じていたのだと思うの。
長い時の中で、と言ってもこの暗闇の中でどれ程時間が経ったのかは分からないけれど、私はあなたの夢に通じている光を何度も探して呼びかけた。なかなか気付いてくれなくて歯痒かったけど、今、こうして私はあなたと話せることに成功した」
「つまり、僕は今、君と夢を共有している……」
「でもこれはあなたにとっての夢であり、私にとっての現実でもある」
なら、もし聖がこのまま一生この『現実』から目覚めなかったら、彼女は此処に閉じ込められたままなのだろうか。今は大丈夫だと言っても、仮死状態というのは常に死と隣り合わせだ。行方不明になってからもう二週間も経っているしそう長くは保つまい。放っておけば誰にも見つかることなく死んでしまうだろう。この閉じ込められた空間に囚われたままなのだろうか。この孤独な暗闇の夢の中に。
「僕は、君を見つければいいのかい?」
 そう言うと、聖は必死に僕にしがみついてきた。
「私を見つけて、起こしてほしいの。一度は捨てようとした命だけど、私、まだ生きたい。そして、彼に会いたいの。死にたくないのよ……っ」
 僕の服から手を離し、震える肩を抱いて俯いた。僕はその肩に置いてある手に自分の手を重ねる。
「見つけるよ、君を」そう言うと、ぱっと顔を上げたその目が驚きに見開かれた。「本当?」という声は今にも消えそうだ。それに、僕は力強く頷く。
「でも私、あなたに何もしてあげられない」
「見返りなんかいらない。僕はただ、もう中途半端でいたくないんだ。それに、目の前で泣いてる女の子をほっとくなんて、男が廃るってもんさ」
 聖の頬に涙が流れ、しかし次の瞬間には花の様な笑顔が咲いた。僕はその笑顔を、現実の世界で見たいと強く思う。こんなにも何かを願うなんて、今まで無かった。
 その願いの為に僕は訊ねる。
「君は、何処にいるの?」
「きっと、私は――――――」
 彼女は、その場所を口にする。僕の知っている場所を。


❀  ❀  ❀

そしてあの日から三日後。遂にその時が来た。僕はいつも通りに外出の準備をし、玄関へ行く途中、食事中の吉人さんに挨拶をした。今日は朝からおじさんとおばさんは出掛けている。僕と食卓の吉人さんは笑顔で手を振り合う。家を出るとそのまま近くの角を曲がって立ち止まり、様子を窺う。この三日間ずっと同じことをしていた。緊張で、意味も無くバッグの中身を確認。スケッチッブクや鉛筆、携帯電話とスコップとカッターナイフ……よし、準備はOK。
 十分後、三日間一歩も外出しなかった吉人さんが、数十分後に家を出てきた。僕とは反対側の角を曲がる。五分待ち、吉人さんが戻って来ないのをしっかりと確かめてから裏口へと回り、塀をよじ登って地面に着地する。そこは花岡家の庭だ。
「此処か……」と静かに言いつつも心臓が暴れている。深呼吸し震える手を必死に動かしスコップを取り出す。庭の隅っこ、一輪のハマナスの花が手向けてあるところを僕は掘り返した。日の当たらない所為かそこだけが非常に冷たく感じる。それなのに噴き出る汗が止まらないのは不安と緊張、もしかしたら、誰か家の人が帰ってくるのではないかという恐怖なのだろうか。それらと戦いながら土を掘る。本当に此処であっているのだろうかと思いつつ僕はスコップを持つ手を動かし、土をすくっては放り、すくっては放ってという作業を繰り返した。
その作業の途中、土の中に何か手応えを感じてまさか、と口の中で呟く。動悸が止まらない。さらに土をすくうと、白い何かが見えた。「……あ」という声が漏れる。
ゆっくりと、慎重にそれを傷つけないように土を退け、見えた白いそれは組まれた人の手だった。それの下の方から土を払い退けていくと、紺色のスカート、白い足、茶色のローファーが、まるで化石の一部の様に掘り起こされる。次に、手から上の土をゆっくりと払う。そこだけ土の量が少ない。白い喉、薄く開いた蒼白い唇、そして色素の薄い、だが整った顔が現れた。それは紛れも無く、夢の中で出会った、しかし現実の荒川聖。
さっきまであんなに暴れていた心臓が止まってしまったみたいに静かだった。世界から音が消え失せた感覚に胸が苦しくなる。眠っているように横たわるその、見るからに血の気が失せた蒼白い顔は土で多少茶色くなってはいるものの汚いとは思えなかった。胸の中で小さな感情が渦巻く。その感情の名を、僕は知らない。
また心臓が暴れだすのを意志の力で押さえつけ、口に手をかざすと僅かだが浅い呼吸を繰り返しているのを確認出来た。大丈夫、生きている。生きている!
 流れる汗を拭うこともせず、僕はしばらく放心状態から抜け出せないでいた。未だに死んでいないのが信じられない。一体この土の中でどうやって小さな呼吸を続けていたのだろう。土が冷たかった所為か、顔に乗っていた土が少なかった所為か。分からないけれど、きっと奇跡か、神様が助けてくれたのだ。
 やがて我に返り、鞄の中から携帯電話を取り出して一一九番を押そうと――――――
 ハッとなって土を踏みしめる音に気付いた時には遅かった。振り向くと同時に目の前が真っ暗になる程の衝撃に襲われ、なす術もなく死んでいるように眠っている聖の上に倒れる。衝撃が走った頭に手をやると、その手は見た事も無い鮮やかな色に染まっていた。自分の身に何が起こったのか理解出来ず、赤く染まった手を見つめ、「…………ッ!?」激痛が走り、声を上げることも出来ず唇を噛み締めた。聖の柔らかい腹の上に重くなった頭が落ちる。流れ落ちる鮮血がセーラー服を紅に染めてゆく。
 制服を汚して申し訳ない気持ちになっていると、背後で荒い息遣いが聞こえた。なんとか上半身を起こし首を回すと、そこには化け狐の様な男がいた。ちかちかと明滅を繰り返す目を凝らして見ると、それは僕の良く知る人物で……。
「よし、と……さん?」と、その名を呼ぶ。化け狐だと思った人は、さっき出掛けたはずの吉人さんだった。狐を思わせる様な目が今までに無い程釣り上がっている。厚い唇は噛み締め過ぎて血が滲んでいた。手には襖の中で見た血に塗れたレンガを持っている。
吉人さんが落とした僕の携帯電話を踏みつけて壊しまった。これで警察にも通報出来ないな。出血は止まらない。頭からの出血ってなかなか止まらないんじゃなかったっけ。でも今考えるべき事柄はそれじゃない。
「吉人さん、痛いじゃないですか」どうにかこの場を乗り切らなければと思い、上手く回らない舌でどうにか言葉を紡ぐ。それに吉人さんは石を地面に落とすと僕の胸倉を掴んで引き揚げ、「なんで、お前が、此処にいる」と顔を近づけて一言一言区切る様に話す。僕の質問に答える気は無いらしい。その眼の奥には様々な負の感情が押し込まれていた。僕は今までこんな暗い瞳を見たことがない。それに呑まれそうになりながら疑問を疑問で返すことにした。
「吉人さんこそ、何で此処に……?」
「お前の行動が怪しいから見張ってたんだ」
 見張られたのは僕の方だったのか。詰めが甘かった。吉人さんは顔を歪ませて、吐き出すように喋りだす。
「聖の似顔絵を見た次の日からな。そしたらお前は絵を描くより聞き込みしたり何かを探す様に歩いてることの方が多いじゃねぇか。これはやっぱ聖を探してるなって思ったんだよ。今日も家を出た後角で見張ってたら案の定庭に向かってくじゃねぇか。お前を大人しくさせる物を探すのに手間どっちまってよ。此処に来た時にはお前が聖を掘り返してたから、ホント、ビックリだわ」なんていつも以上に饒舌に語る吉人さん。背後に渦巻いている狂気がその瞳に凝縮されている様で恐怖を感じた。ただその恐怖も今の状況も全てが遠く他人事の様な気がする。ズキズキと痛む頭だけが僕の現実の感覚で。だからいつもより少しだけ冷静になれる気がしたが、頭の中で言葉を考えようとすると口が勝手に「吉人さん、何で聖を殺そうとしたんです? 嫌いだからですか?」フライングした。
「嫌いなわけがないだろ!!」
 鼓膜を震わす程の大音量。その怒声に一瞬だけ僕は現実の感覚に引き戻された。口は災いの元とはまさにこのことだろうな。吉人さんは更に愛憎の入り混じった言葉を吐き出す。
「最初に会った時から俺は聖を愛していた! あいつは俺が何を話しても受け止めてくれた。俺が東京で傷害事件を起こしちまって此処に帰ってきたんだっていう話をした時も、大変だったんだねと優しく微笑んで慰めてくれたんだ! 聖は、俺にとっての救いだった。でも、聖はマコトのもので、聖もマコトのことが好きで、だから俺の愛は受け取ってくれなくって。俺はこんなにも愛しているのに、聖は俺を愛してはくれないっ。聖が俺の傍にいてくれない、俺を愛してくれない。なら、なら――――――」
 吉人さんの顔からみるみる表情が無くなる。その後に表れた表情は、あの意味不明の恐怖を感じさせる笑み。僕は凍りついた。その目は僕を見てはいない。僕を透かして眠っている聖を見つめている。あの日、庭の隅でハマナスの花を愛おしそうに眺めていたその顔で。

殺してしまえばいい。マコトではなく、俺だけを見るように。
そして、自分の傍にいてくれるように、埋めてしまえばいい――――――

例えるならば、それは狂気。愛に狂った男の瞳。
あの日、その狂気に僕は恐怖したのだ。

吉人さんは再び能面の表情に戻り、「お前も、俺から聖を奪うのか?」と、喉から絞り出すような声で問うその瞳が揺らいだ。大切なものが奪われる悲しみと痛み、届かない想い。切なさと共感を抱きながら、それでも僕は言う。
「聖は、他の誰のものでもない、聖自身のものだ。吉人さん、あなたのしていることは間違ってます。だから」 

 どうかもうこんなことは止めて下さい。
これ以上自分を追い詰めないで下さい。

 そう言う前に、僕は地面に放り出された。
吉人さんまで赤く見えるのは目に血が入ったからかな。
 
遠くなっていた感覚が徐々に引き戻される。現実を再確認。
吉人さんの息遣いが聞こえる。頭が痛い。ズキズキと脈打つ様に。

吉人さんが石を取り上げた。僕を殺す為の凶器を。
 僕は、死ぬのだろうか。

狐がこいつも殺すよ、と聖に呟きかける。
 ――――――嫌ダ、嫌ダ。

蘇る聖の涙と笑顔。
 
まだ……死にたくない!

 口を開けて手元に放り出されていた鞄の中に手を突っ込み、握った物を咄嗟にその足に突き立てた。肉を突き破り骨にまで届く感触。一呼吸遅れて紅い空に悲鳴が轟いた。レンガが頬を掠めて地面に落下し、吉人さんはしゃがみこんで足を押さえて呻く。その手が僕と同じ様に赤くなる。足に突き刺さっていたのは僕のカッターだった。
 吉人さんは怒りの形相でそれを引き抜き、反対の足で僕の腹を蹴り上げる。僕は無様に転がり、喉にせり上がってきた血の混じった胃の内容物を吐き出す。きったね。
 カッターを放って吉人さんが毒吐くが何も聞こえない。吉人さんが首を絞めてくる。動けない。逃げられない。逆らうことも出来ず意識だけが遠退いていく。でも痛みも苦しみも無く死ねるのはきっと幸せなことなのだ。
生きる意思が血と一緒に流れていくの感じながら、僕は静かに目を閉じたら、

『死なないで!!』

 聖の声が聞こえた。

カッと見開いた目と数瞬間だけクリアになった意識。そこに怒声が入り込んだ。首を回すと、さっきまで僕に馬乗りになっていた吉人さんが誰かと対峙していた。憎々しげな声が響く。
「こんなところに聖を隠してやがったか、吉人ぉ」
「マコト……何故此所に!? いや、その前にどうやって入ってきた!」
「ピッキングなんてお手のものだっつの」
 縁側で金属バットを肩に担ぎ、不敵に笑う茶髪の青年。その彼がこちらを睨みつけ、「そんなところで寝てないで早く聖を起こさんかい!」と僕を叱った。それに吉人さんが慌てた様に叫ぶ。
「さっ、させるか! 聖は渡さない!」
「テメェのもんじゃねぇぞボケがあ!」
 青年が縁側から吉人さんに飛びかかるのが見えた。物同士がぶつかる音を聞きながら、僕はナメクジ並の速度で聖の元へ這う。ようやく辿り着いた時にはもう息も絶え絶えになっていた。それでも僕は聖の白い手を握り、何度も何度も呼びかける。聖が闇の中でそうしたように、諦めず、信じて。
「聖、起きてくれ。頼む……目を、醒ましてくれ」
 喉が渇き、声は枯れ、とうとう体を起こす気力が尽きて意識が混濁する。今度こそ死ぬのかな。ああ、頼む聖。起きて、もう一度笑ってくれ。
 ピクリ、と手が動く。血塗れの僕の手が握った白い聖の手が動く。続いて呻き声が咳に変わった。ひゅーひゅーと喉の奥で空気が二重合唱。一つは僕ので、もう一つは聖のものだ。
「わ、私……生きてる?」
 最後の力を振り絞り、腕を立てて上半身を起こす。見ると、聖も仰向けの状態から上半身を起こし頭に片手を頭に当てていた。すっかり乾いた血液が土と共にぱらぱらと落ちる。
寝ぼけ眼で辺りを見回していた聖だったが、血だらけの僕と目が合った途端、焦点が定まった。とんでもない流血シーンを見て小さく叫ぶ。
「たっ、大変! 大丈夫!?」
「全然、大丈夫じゃな……」
「そうよね、当たり前よね。どうしましょう、救急車……あ、ケータイが無い」
 とても先程まで死にかけていた様に見えない聖が、あたふたと慌てながら僕を抱き締める。微かに感じる温もりに安心した。
 横を向くと、吉人さんと青年が動きを止めてこちらを凝視していた。二人共僕に負けず劣らず血だらけ怪我だらけである。殺気だっていた青年の顔に安堵の笑みが浮かんだ。
「良かった! お前生きて」
「殺してやる!!」
 青年の言葉は吉人さんの奇声に遮られた。血塗れの石を振りかざしてこちらに走ってくる。青年が慌てて追うが、間に合わない。
「逃げて聖!」という渾身の力を込めて発した警告を無視し、聖は逃げるどころか僕をさっきより強く抱き締め、その足を動かした。それが何かにぶつかる音と吉人さんの悲鳴が再び上がったのは同時だった。聖が、先程僕がカッターを突き立てた足を蹴り飛ばしたのだ。次の瞬間にはその後頭部に飛来してきた何かが鈍い音を立てて直撃する。それは、彼が投擲した金属バッドだった。しかも横回転付きで。
――――バットと共に、吉人さんが声もなく崩れ落ちた。
 あっけない事態の終わりに、しばらくの間誰も動けなかった。バッドを投げた本人でさえ口をぽかんと開けている。荒い息遣いと心臓の音だけが聞こえた。
 上空を飛ぶ一羽のカラスの鳴き声が、静寂を破る。ハッとしたように彼は聖に駆け寄った。そうだ、彼は確か、僕が村上の高校で聞き込みをしていた時に出会った、茶髪と睨みつけられた雰囲気が印象的な学生、サヤバヤシマコト。聖の命の恩人で……彼氏だ。
 彼は僕ごと聖を抱き締め、何度も聖の名を呼んだ。二人共泣いている。僕だけが一人、呆けていた。
「……あ、何だコイツ」と言って、洟を啜った彼は聖に抱かれている僕を睨む。あの日田んぼ道で感じた敵意と同じだ。
「そうだマコト、救急車呼んで、早く!」
「お、おうよ」
 そんな会話を聞きながら僕は思った。結局、何も出来なかったな。情けない。やっぱり僕は中途半端だ、と。
「本当に、助けてくれた」 誰かが呟いたが、反応は無かった。
聖が怒った様に、「ねぇ、聞いてる?」と寝ている僕の顔を覗き込んだ。それに僕は間抜けな面で「え、僕?」と訊ねると、「あなたしかいないじゃないのよ」と返され、「しっかりしてよ、男の子でしょ」と続けられた。
顔には花の様な笑顔。願いが、叶った。
 フェードアウトしていく意識の中、優しい声が僕を包んだ。

「ありがとう、私を見つけてくれて」

 それが花岡家での、僕の最後の記憶。 

❀  ❀  ❀

 あの後、騒動を聞きつけた近所の住民が意識を取り戻して狂った様に暴れる吉人さんを取り押さえ、警察と救急車を呼んだそうだ。吉人さんは今、殺人未遂や傷害の容疑で警察のお世話になっている。僕とサヤバナシマコトが吉人さんに負わせた怪我は正当防衛になるそうだ。僕達三人の怪我はとりあえず命に別状はないらしいけど、聖は肉体の衰弱が酷かったそうだ。それでも入院は数週間で済むらしい。その間、僕は病院のベッドで眠り続けていたという。目が覚めると傍には姉貴と聖とサヤバヤシマコトがいた。
「ホントにごめんね、こんなことに巻き込んで大怪我させて……」と聖は涙目で俯く。僕が口を開きかけた時、サヤバヤシマコトがそれを遮った。
「馬鹿言うな、聖。こういうのを自業自得って言うんさ。聖の件に関わるなっつったろ」
 やっぱり君だったのか、と言うと、彼は仏頂面で説明モードに入った。
彼は最初から吉人さんを疑っていたらしく、もともと吉人さんをマークしていたが、その吉人さんが僕を尾行していたのだそうだ。だが僕が聞き込みと絵を描いているだけだと知り僕への警戒は解いたそうだ。そして、僕にこれ以上吉人さんと聖に関わるとろくなことがないから早く帰れ、と釘を刺すつもりで叫んだらしい。しかしその忠告を無視された為、やむなく吉人さん宅の張り込みを開始した。もし僕が吉人さんの逆鱗に触れたらただでは済まないだろうという彼なりの心遣いだった。あの日も僕を金属バット片手に尾行しようとしたら家の直ぐ側で立ち止まり、吉人さんが出てった後また家に入ったのを不思議に思った。僕は放っておかれて吉人さんを尾行したのだが上手くまかれてしまったらしい。そして再び花岡家に戻ってみると吉人さんの怒声が聞こえたのでこれはチャンスと鍵をこじ開けて家の中に入った……。以上が彼の証言である。
「そうか、ありがとう。助けてくれて」
「俺は聖を助けたのであってお前を助けた覚えはない」
 お礼を言ったのに、彼は「これだから都会っ子は軟弱で嫌いなんだ」と呟いた、と思ったらそしてハッとしたように俺を睨んだ。そして「お前何で聖を下の名前で呼んでんだよ。会ったのは今が初めてだろう? そうだろう?」と凄まれる。僕が何て答えていいか逡巡していると、「私がそう呼んでいいって言ったのよ」と聖が有無を言わさぬ口調で口を挟んだ。彼はまだ不服そうだったが、「聖がそう言うんならいいさ」と舌打ちをしてそっぽを向いた。
「あのさ」
 その横顔に僕は喋りかける。彼は面倒臭そうに再びこちらを向いた。
「あんだよ」
「サヤバヤシマコトって、どういう字書くの?」
「……剣の鞘に林、マコトは新撰組に出てくる誠だ。どうだ、良い名前だろ」
 つっけんどんにそう言ったと思ったら、次の瞬間には少し誇らしげな顔をして胸を反らしている。「うん、かっこいいと思う」と言って僕は頷いた。鞘林誠はヤニで黄色くなった歯を見せて笑う。僕の方も自然と笑みが浮かんだ。
 しばらくして聖の両親がやってきてお礼を言い、病室を出て行った。姉貴も両親を迎えに行くと言って出て行く。一人残された病室で、溜息を吐いた。
何はともあれ、これで事件は終わったらしい。そう安心して僕は再び眠りに落ちた。

❀  ❀  ❀

「ありがとう」
 聖は僕の手を握ってそう言った。付添いの誠は僕を視線で射殺そうとしている。懐かしい恐怖を覚えつつ、僕は手を握り返す。
荒川家は、あんな事があったからもしかしたら東京に帰るかもしれないのだそうだ。だが、誠との交際は続けるつもりらしい。
「離れたって、私は誠の事が好きだから。もし、東京で会ったらその時は宜しくね」
 悪戯っぽく笑う聖。顔が赤くなるのを感じたが誠の殺気の威力が増したのでむしろ蒼くなる。
 新幹線がもう直ぐ発車するとアナウンスが聞こえた。
「それじゃあ、行くね」と言うと、聖は名残惜しそうに「うん、ばいばい」と答えた。
「もう変なことに巻き込まれんじゃねぇぞもやし。あと東京で聖に手ぇ出したら殺しに行くかんな!」という誠の言葉には、あっかんべーをして返した。小突かれる前に、此処に残りたくなる気持ちを振り切って新幹線に乗り込んだ。窓の外で聖が手を振り、誠にあっかんべーをやり返された。僕は笑って手を振り返す。
 扉が閉まり、新幹線が発車した。ホームがどんどんと遠ざかり、二人の姿は見えなくなった。
「……さようなら」と僕は誰にも聞こえない声で小さく呟く。
「あんたよく新潟まで行く気になれたわね。あの子に恋してたんじゃないの~?」
隣に座っていた姉貴が突然そんなことを言ってきた。顔に意地悪い笑みを浮かべている。
「はぁ? 何言ってんのさ」と取り合わなかったが、しつこく喚くので僕は耳を塞いで緑ばっかりの窓を見ることにした。
 ……きっぱりと、否定は出来ない。出会ったばかりの聖に恋をしたと自覚していたから。死んでも彼女を救いたいと、そう思ったのだ。そうでなかったら最初からこんな危険な真似はしていない。結局、僕は告白することもないまま身を引いたのだけど。あ、そうか。僕は失恋したんだな。ちょっと切なくなる。 
ふとポケットの中に何か入っているのに気が付いた。それは、可愛らしいピンクの封筒で、中には一枚の便箋とハマナスの花びらが数枚入っていた。

『助けてくれてありがとう、へなちょこナイトさん。いつかまた、三人でもう一度会おうね。 プリンセス聖』

「いつかまた、三人で……か」
 僕はハマナスの花びらを指で摘む。目を閉じると聖の笑顔が浮かんできた。もう孤独と恐怖の所為で泣いてはいない。その隣には誠が仏頂面のまま聖と手を繋いでいた。でも心なしかその表情は柔らかい。そして、二人は僕に向かって笑いかけてくる。
「一度なんて言わずにさ、何度でも会おうよ」
 そしていつか、あの日のことを笑って話そう。
 流れゆく景色に、僕は呟いたのだ。

❀  ❀  ❀

 僕はどこにでもいる普通の高校生だ。そんな僕が、一人の女の子に恋をして、行ったことの無い土地に彼女を探しに行き、死にかけもしたけど彼女を助けることが出来た。どれも一人では出来なかったことだ。
 僕はそこで愛情が狂気に変わるのを見た。吉人さんの中の狂気は誰しも持っているもの。もしかしたら、ああなっていたのは僕だったのかもしれない。もう一つの未来の自分を見せ付けられたようで恐ろしくなる。
けれど、僕は一生色褪せない思い出と友達を手に入れた。
この出来事はずっと忘れることは無いだろう。
 
僕の物語はこれお終い。
でも僕の夏休みはまだ始まったばかりなのだ。

 そうだ、今更だけどまだお互い自己紹介をしていなかったね。人の名前を聞く時は自分から名乗るのが礼儀らしいから、僕から始めようか。

 僕の名前は――――――

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