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第七回阿賀北ロマン賞受賞作②小説部門 『方舟は滑る』 しば しょう

 この記事は新潟県の阿賀北エリアの魅力を小説で伝えてきた阿賀北ロマン賞の受賞作を紹介するものです。以下は しば しょうさん が執筆された第7回阿賀北ロマン賞小説部門受賞作です。2020年より阿賀北ロマン賞は阿賀北ノベルジャムにフォーマットを新たにし、再スタートしています。<詳しくはこちら>公式サイト

 小説創作ハッカソン「NovelJam(ノベルジャム)」初の地方開催を企画・運営しています。「阿賀北の小説 チームで創作 敬和学園大が初開催 筆者と編集者、デザイナー募集へ」 (新潟日報)→ https://niigata-nippo.co.jp/news/local/20200708554292.html

『方舟は滑る』しば しょう

二騎の武者が、燃える城を出た。
父子であった。
は、大将である父と共に、ひろがる越後北蒲原の湿地帯を、見つめた。
 湖や川に、白い雲が映っている。昼の白い光を反射した、いびつな大小の鏡であった。
 その合間々々に、黒い人影たちが、幾重にも並んで前進してくる。手に手に刀や槍、鉄砲を抱え、馬もいるし、旗指物も揺れている。
 上杉の大軍であった。
 もう、こちらの負けは決していた。
 背後の城は、ぶすぶすと黒煙をあげている。
 朝から城に取りついた敵の攻めを、ようやく追い返しはしたものの、もう第二波がやってきている。ここまでであった。
 だが、父・新発田の顔は、悩みなく、晴れ晴れとしていた。
 ゆうべ、残った糧食をかき集め、陣中の宴を開いた。最後の酒宴であった。
 重家は、率先して皆に冗談を言い、滑稽な舞を舞って、口も体も重い家臣どもを笑わせようと努めていた。
 今日の父は髭を剃り、髪をきれいに結ってすっきりしている。
 だが治時の胸中は、奮戦に疲れ、黒かった。
 今日で死ぬのか。討死か―。
 若い治時にしてみれば、当然である。
「のう治時」
 父重家は、痒いところでもあるのか、鎧を揺すって声をかけた。
「お、いくつじゃったかの」
声を励まして、治時は答えた。
「は。数えで、十八に」
「ふうむ」
「この七年、天下に些かなりとも名を馳せた、我ら、新発田、五十公野氏一門。今日はその家名に恥ずかしゅうないよう…」
「よせ、よせ」
重家は、笑って遮った。
「戦をおッ始めて六年。主家上杉のため、長年あれほど命を懸けたのに、恩賞が無いも同然なのを腹立てて、なら俺は俺で勝手にやるわと始めた、謀反の喧嘩じゃ。信長をはじめ、後ろ盾も多くいて、火の手が広まるのが面白くもあった」
「はい。我らが起つのも当然のこと。越後のみならず、他国の諸大名たちも、当家に腹の底では、みな賛を。立場上、表立っては動けなくとも、ひそかに手助けしてくれた者も多うございました」
「しかしのう。数年で、時勢は変わったのじゃ。信長も死に、要は木下が、秀吉が、天下に号令する国になるようじゃ」
「そんなものッ―」
 猛ってみせる治時であったが、重家は、ふッと息をついた。
「そういう時勢に移るのを、わしは気づいておらなんだ。近頃ようやく気付いたが、もう遅い。世の流れに通せんぼして、領民やお主ら家中の者に、迷惑をかけただけのこと。まこと、相済まんと思っておる」
 馬までが、ぶる、と悲しげに唸った。
「そういう定めであれば、なおのこと、この治時も今日を限りに討死と―」
「やめいと言っておる」
 治時は黙った。重家は続ける。
「秀吉の世がどんな世になるかなど、皆目見当つかぬから、わしはここで昔風の土豪として、討死する心積りじゃが。治時、お主は逃げよ」
 いま重家は、無表情であった。
 上杉の兵は、顔がわかるくらいに迫ってくる。
「何を―」
「逃げて落ち延び―あとはで考え、決めるがよかろうさ。どこかに仕えるも良し、鎧兜を捨てるも良し。ただ、御家再興などとは考えるなよ。無駄なことじゃッ」
 治時は混乱していた。
 混乱から我に返ったのは、一発の銃声であった。乗った馬が強くいた。
 馬も、決めろと言っている。
 さらば、と叫んで、重家が馬に鞭をくれ、突き進んだ。抜刀の前に、一瞬笑ったようである。
 背後から、わずかばかりの味方がわらわらと走り出て、重家に続いた。
 治時は、動けなかった。
 重家の声がする。
「やあやあ、我こそは天下を騒がす謀反人、は一騎当千の地侍大将、五十公野、またの名を新発田重家。見事この兜首、獲って手柄にされい。しかし易々とはゆかぬと心得よ」
殺到する敵兵と、重家が切り結びを始めた。血飛沫が、ぱっと紅く散ったようであった。
 ―芝居がかっておる、な―
 思って治時は、はっとした。
 父の言う事は正しい。
あのような、軍記物じみた合戦の時代は終わるのだ―。
 治時は、馬を回頭し、一散に駆けさせた。
 若殿、治時殿、どこへ、どこへ行かれる。
その者、逃がすな。勝負勝負。
敵味方の声が追いすがる。
 うるさい、と叫んだ治時は、迫る敵一騎に、しゅッと小刀を打ち込んだ。敵は額の小刀を握って落馬し、半身を泥に突っ込んでいた
「けい、どけい」
行く手をふさぐ雑兵を、刀をぶんぶんと振り回して追い払う。
 逃げおおせてやるわい。どうせ、落城。
今日で仕舞いじゃ、終わりなのじゃ、どれもこれも―ええい。
行く手には、初冬の青い山々があった。
 年。「新発田重家の乱」と世にいう。
 正史では以後、治時の行方がわからない。

 川は濁流となっていた。
数日降り続いた秋雨が、天地を押し流すような勢いの洪水を起こしていた。
 越後の山中。越後新発田藩や奥州会津藩、天領や諸藩の飛び地領が、複雑に入り組んで接したである。
山に住むは、自分の炭焼き小屋が心配で、雨をおして調べに行った。
 それがいけなかった。
 山の上から、泥や石、岩に倒木が恐ろしい勢いで噴き出した。鉄砲水であった。
 重助は、もう年寄りであった。避けようとして転倒し、川に転落した。
 あがいたが、なすすべも無い。濁流は恐ろしい圧力で、重助を押し流した。泥水が、重助を潰し殺そうとしている。
 このまま死ぬのか―。
 かまわぬ、と重助は思った。暮らしは独り。長々生きて、とっくに飽いた。今後どうせ面白いこともあるまい。
重助は、無抵抗になっていた。
 浮いたり沈んだり、時々流木や岩に強く打ちつけられて、視界に火花が散った。
 その視界に、人影が映った。
 若い女のようだった。
 を増す川べりの、崖のようになったところに、女が急いで進んできた。
 そして女が、何か叫んだ。
 いま助ける、という意味の言葉だ。
 ばかな―。
 女は濁流へ飛び込んだ。そして重助のほうに泳ぎ進んでくる。
 ばかな。助けずともよい、戻れ、戻れ。あぶない。
 重助は手を振ってそう示そうとした。
 そして案の定、女のほうが濁流に呑まれた。
 それ見たことか。
 重助は、可笑しくなった。
 できもせぬことを―。
 しかし、笑ったとたん、手足に力が戻ったようだった。
 二人は泥水に浮き沈んでいたが、重助のほうが先に女の腕をつかんだ。

 重助は、失神している女を、自分の小屋に息も絶え絶えおぶって行った。
 火を焚いて衣を剥ぎ、乾いた蓑にくるんだ。嫁入り前、十三、四の体と貌に見える。
整った目鼻で肌は白いが、髪が妙に赤い。落ち葉か、獣毛のようであった。
 小さな木箱を肩に結び、背負っていた。
 開けてみると、木彫りの観音のような小さい仏像が一体と、石がいくつも入っている。さまざまな色と形をしているが、重助にはよく分からない。
 のものかも知れぬ―。
 なことを思って重助は、箱を小屋の積み藁の中に隠した。
自分もぐったりと座って、重助は女を見つめた。
 それにしても。なぜ大雨の山の中に、このような若い女が―。
 何かのか、百姓仕事から逃げた者というところであろう。
 わしのようにか―。
 重助は自嘲した。そして、山中に隠れ棲む、自分のは思い出すまいとした。
 女は目覚めると、自分が服を脱がされているので身を固くした。
 重助は笑った。
「ひどい目にあった上に、この齢じゃ。お主に何かする力は、残っておらんよ」
「に、私が助ていただいたの―」
「なんの。お主に声を掛けられねば、わしとて泥に呑まれていた」
「父や母に、教えられました。我が身より、他人を大事にせよと」
「それは殊勝な心じゃが」
皮肉半分の笑みを、重助は浮かべた。
「あのう、…箱は」
 何だそれは、という顔を作って、重助は首をかしげて見せた。
「背負っていたのです。大事な箱を―」
「知らんな。流されたのではないかな」
 女は、ひどく落胆して黙り込んだ。ぼろが出ては困るので、重助は黙った。
 女は、おもむろに口を開いた。
「独りで暮らしてらっしゃるのですか」
「むかし、でな」
説明する気は無かったのに、つい話してしまったのは、久しぶりの来客に、重助が動揺しているせいであった。
「妻は親戚のところに預けたきりじゃ。子供はおらなんだ。妻も、どこぞへ嫁ぎ直したことじゃろうて」
「それなら」
 女は勢い込んで言った。
「炊事洗濯くらいはしますゆえ、しばらく置いていただけませぬか。私は、あの箱を探さねば―」
「探す?」
「雨が止んだら、川に入って探します。重い箱ゆえ、遠くには流れて行かぬはず」
 むう、と唸った重助に、女は、繰り返して頭を下げる。
 強引な娘だ、と重助はした。
「冬が来る前に、出て行っておくれ」
「有難う存じます」
 女は顔を輝かせた。
 暗い小屋に梅の花が咲いたようで、重助は眩しさに目を逸らした。
わしは、礼を言われるような男ではない―。

女は、名乗らなかった。
 やはり後ろ暗いところがあるのかと、重助も訊かずに、「赤毛」と呼んだ。
 約束通り、赤毛は箱を探し始めた。
 朝早くから掃除をし、昼間は岩だらけの川岸を歩いたり、時には川に潜ったりして、長時間を費やす。
 憂いと焦りが浮かんだ顔を見るたび、重助は最初についた嘘を後悔した。
 が、今さら真実を言って詫びることも、重助にはできない。
若い女への、つまらぬ見栄であった。
 赤毛は昼前と夕刻前に戻ってきて、また飯の支度をする。木の実や山菜を持ってくる上に、重助は重助でいつも通り魚や獣を獲るので、が増えた。
 赤毛は重助を、「上」と呼ぶ。父でないならそうなるか、と納得した。
 赤毛の話は、重助の知らぬことばかりであった。
 北越後の峻厳な山の中、引き籠って暮らす重助には永久にわからぬような情勢を、赤毛はわかりやすく語るのだった。
 国が豊臣から徳川の治世になって久しいとは知っていたが、戦のない世の経済的な栄えと、徳川の専横は、聞いて驚くばかりであった。上杉ですら、その軍門に降って、今はすっかり大人しいという。
 やはり世は移る、わしの出る幕ではない、と重助は思った。
 重助をとりわけ驚かせたのは、海の向こうの国々のことであった。
 天正のころ、南蛮人というのがいると聞いたことはあったが、重助には唐国と区別がついていなかった。
 南蛮人の、。という都。この世の果てまで船を出して探検するそれらの国々の船乗りと商人。
が天竺ではない、ということを重助が納得するまで、赤毛は熱を込めて語り、どうだわかったか、という顔をして澄ましている。
寝支度をするまで話は続いた。
 広いようで狭い越後、それも北側しか知らなかった自分を、重助は小さく思った。そして、久方ぶりに「おもしろい」という感覚を持った。
もっと赤毛の話を聞いていたい。
そこで胸をつかえさせるのが、箱であった。
 もう、箱の中身が金になるかどうかなど、関心はない。
 しかし、箱を返せば、赤毛は去っていくだろう。
 もう少しだけでも、赤毛と―。
 冬が過ぎ、春になるまで、ならば。
重助は思った。
 冬になれば、赤毛も箱を探せまいし、春が来たらその時、さもそこいらで拾ったような顔をして、箱を赤毛に返せばよい。
それまでは―。
期限つきの嘘という、奇妙な思いつきに、重助は自分を納得させようとした。
重助は、樹を切り倒して板にし、小舟を造り始めた。
赤毛には、これを川に浮かべて箱を探してはどうだと言った。
赤毛は喜んだが、重助は内心、恥じた。
自分はただ、赤毛と舟遊びがしたいだけなのだ。この齢でか―。

舟が間もなく出来上がるというとき、顔見知りのが訪ねてきた。
椀や盆を作る、旅の職人男である。
赤毛の使う、感じの良い椀など作らせようと、重助は木地屋を小屋に入れた。
木地屋は、会津、棚倉、磐城平、三春のほうまでを股にかけている男である。重助の数少ない情報源であった。
で、椀に牡丹模様を彫りながら、時々酒を口に運んで、旅先で聞いた噂話を語った。
「山を越して、会津から先ではな」
木地屋は、山の中だというのに声を潜めた。
「どの藩も、狩りが激しゅうなって」
「切支丹か。南蛮の」
「邪宗じゃな。やつらは、南蛮の神をあがめておって、信心を捨てろと言っても捨てぬのだ。こう、十文字の、というのを紋にして、拝む」
「会ったことがあるのか」
「それは―訊くもんではない。聞いただけじゃ、噂じゃ」
「信心を、捨てぬとどうなるのだ」
「殺される」
「…」
 木地屋は、また酒を口に含んだ。
「ただ殺されるのではない、責め殺されるのだ。や生き埋めはもちろん、親子全員、水に落とされて、溺れるまで棒で突かれたりのう。それでも、死ぬまで、南蛮の神に祈っているそうじゃ。むごたらしい」
「そやつらは、一揆でも企てたのか」
「何もせんよ」
「何もか」
「何もせん、何もいせんで、逃げる。ただ逃げ、隠れるのを、藩のさむらいが見つけ出して、殺す」
「なぜじゃ」
「それこそ、一揆でも起こされてはかなわんからじゃろう」
「責めれば、恨まれて、なおのこと一揆を企てるのではないかの」
「そうならんように、根絶やしにするんじゃろう。南無」
 重助は、吐き気のする思いだった。
 そこに赤毛が、濡れ髪を振り乱して帰ってきた。
 赤毛も驚いた顔をしたが、木地屋の顔も、ぱっと青白くなったようだった。
 重助は「親戚の子じゃ」と赤毛を紹介し、南蛮の物語でも聞かせてやれ、と赤毛に促した。
「できませぬ、知りませぬ」
「何を言う。いつも話しておるではないか」
 赤毛が恐ろしい表情になった。
 結んだ口が、黙れと言っている。
 木地屋も、黙って鑿を使った。
 まずかったのか、と重助は黙った。
 夕飯もそこそこに、三人は寝た。

 深夜、重助は目を覚ました。
 木地屋が、暗闇の中で荒い息をしていた。赤毛を、組み敷いていた。
 赤毛は、恐怖で声も出ないようであった。
「あちらの役人には、黙っておいてやる。じゃから―あの爺さん相手では、お前もさぞ―」
 木地屋が、小声で早口に言っている。
 赤毛の衣の下に手を入れようとしていた。
 重助は、を投げた。鉈は、重い音を立てて床に刺さった。つづいて、木地屋を蹴飛ばし、手を踏みつけて山刀を当てた。
「指を欠いてやるか。今日で木地屋も仕事納めじゃな」
「わ、わしが悪かった、やめ…」
「それとも、首をとるか」
 やめて、と赤毛が叫んだ。重助は息をついた。
「出て行け。二度とうな」
「そ、その娘は―」
「行かねば、殺す」
 木地屋は、荷をひっつかむと小屋を転げ出て、山の闇に駆け去った。
 びゃあ、と野猿の怒る声がした。
 赤毛は、震えてうずくまっていた。
 手を額や胸に当てる奇妙なしぐさをし、額を組んで、よくわからない念仏のようなものを低く唱えていた。
 「お主、南蛮の―切支丹の一門か」
 赤毛は、うなずいた。
 

赤毛は、奥州から会津街道の脇道を抜けて、新発田藩領にのがれてきた。
逃亡者であった。
南蛮人の血が混じっているらしかったが、詳しくは自分もわからないという。
戦国時代後期以来、会津や磐城をはじめ、奥州には多くの外国人宣教師が訪れ、武士にも農民にも、となるものが多くいた。
それはキリスト教王国とも呼べる規模であった。会津猪苗代では、二十七もの村が、くキリシタンとなった時期すらあったのである。
 そして、徳川の世になると、キリシタンへの苛烈な弾圧が始まったのである。
 取締と称した厳しい暴力のもと、逆に奥州でのキリシタンたちの信仰熱は高まり、それがまた弾圧を強める。恐ろしい循環であった。
奥州に散らばった、外国人宣教師の従者か何かが、赤毛の父親と思われた。どういう経緯か、切支丹である村役人の夫婦に、赤子のうちに貰われたようであった。
私の実の父は、と赤毛は言った。
「切支丹禁令を逃れて、どこかに身を隠したのでしょう」
「養い親はどうなされた」
「に行かれたと思います」
「殺されたということか」
 おそらくは、と赤毛はうなずいた。
「別れのに、養親ふたりは、私にあの箱を託したのです。これで、信者たちを救えと」
「箱の中身は―」
「徳川の世になってから、鉱山の開発が重視されているのだそうです。そして、鉱脈を探す者は、幕府から諸国往来御免のお許しが出ているのです。そうした者は、のを持ち歩くことで、身分の証とします」
 山例五十三箇条なる、家康の鉱山技能者保護策であった。
「お主には、密命があるのだな。鉱脈を探さねばならんか」
 赤毛は、暗く厳しい目で答えた。
「山々を巡って、私は鉱脈を見つけねばなりません。鉄や銅、鉛、あわよくば金銀を手に入れ、お金で命をます。殺されてゆく切支丹たちの安全を、役人たちから買うのです」
「望み薄じゃな。小娘一人の、しかも当てずっぽうでは―」
「箱の中には、鉱脈があると噂される場所の、地図も入っています」
 重助は眉を上げた。
あの観音か―。観音仏の中に、地図が仕込まれておったとは。
「切支丹弾圧の始まる前から、宣教師たちは全国に網を張り、下調べをしていたのです。いつか、のような、切支丹の国を、奥州に―」
「なるほどのう。ちょっとした企てじゃな」
重助の目が、冷徹に赤毛を射た。
「お主の密命、仲間を救うだけではなかろう」
 重助は、赤毛の奥底にひそむ、危険で獰猛なものを感じ取っていた。
それは復讐心であろうと、重助は思った。
「仲間を救い、ひとつに集めて、一揆のいくさを起こす気ではないのか。奥州各藩に、徳川に、弓を引こうとな」
 赤毛はぎくりとして、頭を垂れた。
「極楽のような切支丹の国か。南蛮人とて、何の得もなしに、遠い日本に来るものではあるまい。狙いは、金もうけと、領地領民を増やすことじゃろう。違うか。切支丹であれば、信者を増やすのが得となろうかな」
 赤毛は首を振った。
「いいえ、切支丹は、損得で動くものではありません」
重助は続けた。
「南蛮人と交易が盛んに行われていると、お主が自分で言ったではないか。仲間の命を金で買うと、お主がいま申したではないか―」
重助は、残酷な気持ちになっていた。小娘相手に、自分の憤懣を叩き付けていた。
「人を動かすのは損得じゃ。その勢いを伸ばしたいという、欲じゃ。勢力を伸ばそうとする中で、天下と対決することもあり得ると、奴らも承知しておったはず。かつての大名たちと同じことじゃな。とどのつまりは、喧嘩よ、いくさよ。むかしと変わらぬ」
「…」
「わしなら、そのまま静かに隠れているほうを選ぶがの。こうして、山の中にでも」
 赤毛は、じっと聞いていた。悪罵に近い重助の言葉も、受け入れようと耐えているようであった。
「わしも戦に関わったばかりに、いろいろなものをのうて―今はこのように、何もない。くだらぬ。人を集め、つなど、さわぎを起こすなど、くだらぬことじゃ。どうせ何も残らん。ばかばかしい」
 そこまで言って、重助は我に返った。
 ばかな。
 この娘は、わしに関わり合いになれと、頼んだわけではない。ただ問われて、説明しただけではないか。八つ当たりじゃ。爺の愚痴じゃ。
 それともわしは、この娘の、になりたいのか?あるいは、身を案じてか?
家族でもあるまいに。
 わしと赤毛は他人ではないか―。
 重助は息をついた。
「すまぬ―」
 ややあって、赤毛は、ぼそりと言った。
「父に」
「うむ?」
「会いたいのです、実の父に。どこかに、まだ生きているのではないかと」
「南蛮に帰ったかも知れぬ」
「いつか南蛮に行ければ、などと考えております」
「南蛮だと」
「南蛮人が来れた以上は、逆に行くこともできるかと。おかしいでしょうか」
 旅、あわよくば南蛮まで、とはではあるが、不可能とは言い切れない、と重助は思った。
 に関わる者が、諸国往来を許されているのなら、切支丹であるとばれぬうちは、捕まらずに済むかも知れぬ。
 いや。
 こんな小娘が諸国を一人で旅するなど、世間から見ておかしいのだ。人目につかぬはずはなく、ほどなく怪しまれ―。
「旅ゆくうちに捕まり、今度こそ殺されるかも知れぬぞ」
「それならそれで―かまいません」
 赤毛の口調は投げやりなようで、覚悟もあるようだった。
「…そうさ、な。旅をしておれば、もしやどこかで、巡り会うやも知れんのう」
 赤毛は、すっと座り直し、一礼した。
「夜が明けたら、出てゆきます。ご迷惑をこれ以上は―」
「そうか―それなら―」
 重助は、積み藁の中から、木箱を取り出した。
 あっ、と赤毛が、小さく叫んだ。重助は深々と頭を垂れた。
「わしは、嘘をついておった。箱を渡せば、お主がいなくなってしまうと思うと―」
 さみしゅうて、という言葉を、重助はかろうじて呑み込んだ。
 赤毛は、箱にとびついて、と観音を取り出した。
 観音の体がふたつに割れ、中から諸国山々の地図と、のようなものが出てきた。「じゅあん」だの「しもん」などと書かれた、切支丹人別帳であった。
「これで、てます」
 夜が明けてきた。

赤毛は去った。
重助を許すとも、許さないとも言わなかった。
悲しい微笑と、決意のまなざしであった。
茫漠たる行く手の運命を、受け入れているようであった。
諸国往来御免、鉱脈地図を持っていると言っても、どれほどあてになるものか。
どこぞで捕まり、役人に殺されぬまでも、誰かに地図を奪われたり、あくどく利用されたりするかもしれぬ。
それでも、ゆくか―。
それが切支丹というものか、と重助は思った。
なるほど、赤毛の言ったのは正しい。切支丹は損得で動くものではないのだ。あの洪水の中でも、赤毛は損得を考えず、手を差し伸べてきたではないか。
重助は、虚脱していた。
ほぼ出来上がっていた小舟にもたれ、ろくに飯も食わず、とりとめもなく考えていた。
自分には関わりのないことと打ち消し、打ち消せば次には、はどうなのだ、何なのだという、重助には難しすぎる疑念がわく。
重助には、どれもよくわからない。
秋が急速に終わろうとしている。
風の冷たさで、背後の山に薄白く雪が降ったのが、見ずともわかった。
荒い息が聞こえてきたのは、三日目の夕刻であった。
はあはあ、と小さな息が、はずんでくる。
聞き覚えのある足音。
そんなはずは―、と重助は身を起こした。
誰かが、転げるように小屋に飛び込んできた。
赤毛であった。あの箱を背負っている。
「お、お主―」
「重助さま」
 赤毛は、安堵の叫びをあげた。
「どうしたのじゃ、お主は旅に―」
「い、今しばらく、置いていただけませぬか、重助さま」
 赤毛は、頭を下げた。
「小父上、で良いわい」
 
 箱を下ろし、重助の汲んだ水を飲み干し、赤毛は語った。
「街道にも、脇道にも、役人らしい人影があるのです。刀や棒を持って幾人も―」
 しまった、と重助は舌打ちした。
 あの木地屋を、生きて逃すのではなかった。
 どこかで、切支丹狩りの役人に密告したのだ。
「ここは新発田藩領じゃでな。追手の連中も、を越えて、手は出せぬ。こちらの藩は、詮議も厳しくはないしのう」
「でも、私は―」
「連中とて、いつまでも網を張ってはおるまいて。まして、もうすぐ冬じゃ。春の、いい折に出立すれば安全じゃろう」
 赤毛は、しばらく黙って、考えていた。
 そして、おもむろに言い出した。
「―」
「かなん?」
「切支丹の教えにある、『約束の地』」
「なんじゃそれは」
「げられ、追い詰められた人々が、という人に連れられて、旅をして、旅の果てにたどり着く、美しい土地です」
「わからんが―いくさのない土地ということかの」
「おおむね、そうです」
「ここがそうだと言うのか」
「そうかも、知れませぬ。逃げ散った切支丹たちが、ここでみんなで暮らせたら、どんなによろしいことでしょう」
 まったくこの小娘の言うことは、おもしろい。重助は、はは、と嬉しく笑った。
 ゆっくりと赤毛は、小屋の外に出た。重助も従った。
 赤毛は、山を見つめた。紅葉と、夕陽と、雪とで、何色にも染まった山脈であった。
「ああ、綺麗。あれはきっと、山」
「の山じゃよ」
「様が、乱れた人の世を作り直そうと、を出したの。そのとき、という人と、奥方と、たくさんの動物たちがに乗って」
「おうおう。お主と初めてうたのも、大水の日じゃった。あんな大水か」
「いいえ、もっと、もっと」
「もっとか」
「はい。そして方舟が、最後に流れ着いたのが、山」
 重助は、またこれからも赤毛から、たくさんの話を聞けるのだ、と思った。
 そのとき、向こうの茂みから、山鳥がざっ、と急いで飛んだ。
 重助の口の中に、苦い緊張の味が走った。
 数人の男たちが、小道の藪をかき分け、姿を見せた。
 や、その部下のたちであった。
 赤毛の足跡を、読まれていたか―。
らしい固太りの男が、横柄に問うた
「炭焼きか」
「さようで」
「そこもとの、娘か」
「さようで」
「山向うからの、我らでな。を追って来ておって―」
「存じませぬ」
 罪人と聞いて赤毛が、きっ、と男を睨んだ。
 そのまなざしを隠すように、重助は赤毛を背中に庇った。
「それはを越えて、御面倒で」
「うむ、ただ今ようようここまで、の」
「御役目ならば、こちらの藩に断りをお入れになりましたかの」
「無論―」
「今しがた、山向うから来たばかりと仰せられたが」
「何をッ」
 中間の一人が、棒で突いて出た。
 重助は、棒の端を手で受けると、ぐいとひねって、脇腹を突き返した。中間が、地に転がった。うふぅ、と悲鳴じみた咳をした。
「やれ、ついつい―お許しくだされ」
「貴様ッ―」
「お役目であれ、ことを構えるなら、藩の山役人なりに届け出てからがよろしかろう」
侍たちは、刀に手をやったが、踏み込めない。藩と聞いて気後れしたのと、重助の腕力への恐れであった。
「貴様、もとは武士か」
「御免」
 重助は、赤毛を促して、小屋に入った。
 ふふ、娘か。重助は自嘲した。
 赤毛を、娘と紹介することがあるとは。
 重助は、山刀を取って、砥石で研いだ。斧と鉈を山刀の傍らに並べる。
つづいて、小屋の隅からを出し、蓋を剥いだ。と油紙にくるんだ、刀であった。
「それは―」
「若いころから、今の今まで、棄てられなんだ。まったく、お笑い草じゃて」
わずかに錆びた刀身を、これも研ぎ始めた。
「あ奴の申した通りでな。わしは昔、武士じゃった。大昔の話じゃが。ふふ、あんな小僧どもに、負けはせんよ」
「重助様―」
「その名は嘘の名、偽りじゃ。小父上でよい」
「小父上―」
「あ奴ら、囲んでおるな」
 七つの気配が、小屋の周囲を固めているのが、重助には知れた。
あの時と同じだ。わしは、そういう定めのようだ。
「どうするのです」
「連中、目的はお主じゃ。切支丹狩りが役目じゃろうが、ここまでわざわざ追ってきた。してみると、その箱も欲しいのだろう。山役人に正直に届けに行けば、お前を取り逃がしてしまうから、今すぐかたを着けようとするじゃろうな」
「私が大人しく捕まれば―」
「いかん。たとえそうしても、国境を勝手に踏み越えてしたのを、こちらの藩に知れれば面倒になる。わしを殺して口を封じようとするだろうて。ほれ」
 火と煙の臭いが、外から漂い始めた。
「いぶり出すつもりじゃな。案ずるな、お前は、わしが逃がしてみせる」
「七人もいます」
「手はある」
 重助は、入り口に立てかけておいた舟を横たえた。
「船の中に、入るのじゃ」
「―」
「言うとおりにしておくれ」
 赤毛は、従った。船の中にすっぽりと入る。
「お棺のよう」
「はっは、方舟というやつじゃな。お主、海を見たことが、あるか」
「いいえ、まだ」
「それはもう、広いのじゃ」
 重助は、藁をつかんで、赤毛の体と舟板の間に詰め込んだ。
 そして囲炉裏の周りの床板を外して割ると、舟の上に釘付けして、蓋とした。
 打ちながら、重助は尋ねた。
「赤毛よ」
「はい」
「名を聞いておらなんだな」
「福と申します―・福」
「良い名じゃ。わしは―」
 福の顔の上を覆うように、最後の板が打たれたので、福には重助の言葉が届かなかった。
 船はすっかり、六方を覆われた方舟となった。
 小屋はもう、炎に包まれている。
 ようし、と手を打つと、重助は斧と刀を腰に差し、舟を引きずり出した。
 異様なものを縄で引きずる重助の姿に、侍たちはぎょっと怯んだ。武器かも知れぬ―。
 笹の密集した山の斜面に来ると、重助は舟を勢いよく押し出した。
 侍の一人が、短刀を投げた。
 それが重助の背に突き刺さったとき、方舟は勢いよく斜面を滑り始めていた。
赤毛が、何か叫んだようであった。
あちこちにぶつかっても方舟は、砕けはしない。どんどん小さくなっていく。
 走れ、滑れ、方舟。
 国を超え、海に出て、南蛮までも、滑ってゆけ。
 約束の地とやらに届くまで―。
 方舟は、ぐんぐんと速度を上げていく。
 小屋に飛び込んだ侍の一人が叫んだ。
「娘が、おらぬ」
「き、きさま、あの箱に―」
「追えまい」
 重助は、背に痛みをさほど感じなかった。
 いくさの時は、いつもこうであった。
「おい、追えっ、麓に―」
 固太りの侍に指差されて、年若の侍が走り出した。
 その首に、重助の斧が無音で刺さった。
「おのれは」
「お若いの、新発田重家の乱というのをご存知かな」
 重助が抜刀する。朗々と名乗った。
「過ぐる天正十五年、天下を騒がせた謀反人、猛将新発田重家が、新発田とはこのわしのことじゃ。かの方舟を追わんとするなら、貴公ら、この首とってからにせい。だが、ちと戦慣れした爺じゃ、心するがよいぞ」
「なことをッ―」
 そうとも。なことじゃ。
 わしは古いの男じゃ。
 しかし、古い者が、次のにをつなぐ。
わずかでも、をつなぐ。
親から子、孫へとつながる家族と同じじゃ。
 赤毛は、娘だか嫁だかわからぬが、たしかにわしの家族であったのだ。
 あの日父を、皆を置いて逃げたわしにも、臆病で卑怯な男にも、このくらいのことはできるのだ。これは愉快。
 は、七人と激しく切り結んだ。
 体が、若いころと同じように動く気がする。
 治時の影が、武神となって跳躍し、叫びが深山の夕闇を裂いた。
(了)

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