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第六回阿賀北ロマン賞受賞作②随筆部門大賞作品 『癒すちから』 水島 育子

 この記事は新潟県の阿賀北エリアの魅力を小説で伝えてきた阿賀北ロマン賞の受賞作を紹介するものです。以下は水島 育子さんが執筆された第6回阿賀北ロマン賞随筆部門受賞作です。2020年より阿賀北ロマン賞は阿賀北ノベルジャムにフォーマットを新たにし、再スタートしています。<詳しくはこちら>公式サイト

 小説創作ハッカソン「NovelJam(ノベルジャム)」初の地方開催を企画・運営しています。「阿賀北の小説 チームで創作 敬和学園大が初開催 筆者と編集者、デザイナー募集へ」 (新潟日報)→ https://niigata-nippo.co.jp/news/local/20200708554292.html」部門大賞作品

『癒すちから』水島 育子

 県外の友人への贈り物、あるいは土産物を選ぶとき、しばし悩む。よく知られるのは、酒、米、米菓子、蕎麦、油揚げ。ざっとこんなものだろうか。いずれも、これは美味、と自分なりに太鼓判を押せる品がある。しかし、酒も米も、持ち帰ってもらう場合には重いのが難点だ。その上酒は好みがあって難しい。米菓子は種類も多いし、軽いので遠来の友人へのお土産品にもちょうどよいが、何だかちょっと平凡に思われる気がする。油揚げはお勧めだが、生ものだから、季節や相手の食生活の状況も気になる。
 ああでもない、こうでもない、と、地元の酒蔵で、空港の土産物店で、何度悩んだことだろう。しかし、ある時気付いた。新潟のお土産品は、いずれも水がきれいだからこそのもの。品物が何であれ、この水の美しさこそ、伝えたい、自慢したいものではないか。
 中国地方出身の私が、東京、札幌、函館を経て移り住んだのが新発田だった。初めて迎えた新潟の春、新発田駅のホームから残雪の山々を望んだ日のことを今も思い出す。雪国には通算七年住んでいたから、雪の景色自体は決して珍しくはなかった。しかし、残雪に刻まれる自然のシュプールがあまりにも荘厳で、そこに人間の力の及ばない、神とか、大生命とかいうべきものを感じたからだ。私は雪解けの季節に二王子岳から福島方面へ延びる山々の雪景が、新発田で一番美しいのではないかとさえ思う。夫を始め、この町に生まれ育った人々には見慣れた光景に過ぎるのか、そう言うといつも首を捻られるのだが。
 冬が和(のど)む頃、雪解け水は沢を下り、沢筋の生物たちを養い、人々のもとへ恵みを運ぶ。白く濁る雪代は養分を多く含み、植物の生長を早めることがある、と聞く。
日々表情を変える残雪の山を眺めながら、私はそこを流れる豊かな水を思うのだ。
思えば、新発田は水のめぐる地に映る。新発田市の中心商店街を、公設市場の付近から新発田川沿いに歩く。加治川に源を発する新発田川は、いわゆる清流という類いではない。汚れている、という批判や嘆きも時に聞く。しかし、よい意味での生活臭さ、親しみ深さを湛えているし、私が知るここ数年、少なくとも見た目にはかなりきれいな川に近づいているように思える。
商店街に面した表通りよりも、車の通行が少なく、歩きやすいこの道を、ベビーカーを押して、あるいは子供の手を引いて、何度散歩したことだろう。水面の虫を指し、空の雲を数え、時折羽ばたく鳥を仰いで、幸福な時を過ごした。水草がゆらめき、鳥のさえずりが聞こえる穏やかな光景に、心癒やされた。
人が水に惹かれるのは、その生命の始まりに、胎内で羊水に親しんでいるからだと聞いたことがある。その水の力を思うとき、新発田の町全体が癒す力を湛えている理由に辿り着いたような気持ちになる。
街なかで、川に渡した手作りの板の上に、住人が植木鉢を並べている様子も好ましかった。川の上は私有地なのか、というささやかな疑念を持つ人もいるかもしれないが、その「緩さ」がむしろのどかな時代へのノスタルジーをかき立てる。
中心市街地に近い場所でも、川へ下りて野菜や庭仕事の道具を洗う人々の姿を今も見る。川で作業をするための足場や簡単な屋根がついた「川戸」の名残のようなものも、時々見かける。むかしからある水と人との関わりが今も息づいている気がして、懐かしい。新発田城を始め、清水園や石泉荘といった遺構も、新発田川とは切り離せない関係にある。
 300トンとかいう、その量を想像すらできない汚れた水のことが紙面に伝えられている。2年前の春、日本人は、当たり前のように享受し、時に侵してきた自然が、かけがえのないものだと痛感させられた。中でも水、なのである。すべてのいのちを育む源である水。果てしない循環の旅を続ける水というものが、私たちは永遠であると信じて疑わなかった。多大な恩恵を与えてきてくれた水は、まだ日本人の手の中にあるのだろうか。
 そんなことを考え始めると、散歩道の新発田川のせせらぎも水面の輝きも、途方もなく尊いものに思えてくる。
 新潟を訪ねて来た私の友人を案内し、喜ばれるのは、静かで真っ直ぐな田舎道を走っていく時、その車窓から見える田園の風景であり、阿賀野川沿いの散策である。
人間が根源にある欲求に素直に耳を傾けたとき、聞こえてくるのは自然を求める心ではないだろうか。高度成長期以降、迷いなく追求されてきた物質的な豊かさの価値が今、揺らいでいると考えたとき、阿賀北地域にはまだ失われていないものが多くあると言えるだろう。マネー資本主義の限界と、新たな価値観の構築は、藻谷浩介が「里山資本主義」(角川oneテーマ)で述べ、広く支持を得始めているところのものだ。新しい文明の中で、阿賀北地域のもつ素材は間違いなく力強い輝きを放つ。
ようやく秋らしくなった十月の上旬、米倉地域にある臼が森山に登った。標高230メートル余りの小さな山だが、林道の脇から30分程度で、百メートルを一気にかせぐ。
 山の上からは湾曲する加治川が光り、その先には日本海の青が待ち構えている。もはや空と海を分かつ場所ははっきりとは分からない。稲刈りの終わった田園は、その感触や温かみさえ感じられそうなほど、何とも言えない慈愛に満ちていた。

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