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ジブリ映画『風立ちぬ』が10倍面白くなる話

今週の金曜ロードショーは風立ちぬ!

ということで、公開記念に&たくさんの人に風立ちぬを好きになってほしいので、個人的に思う風立ちぬの注目ポイントを紹介したいと思います。

といっても、考察というよりは考察のための手がかり、具体的には当時の事情などをメインに書こうと思います。

このnoteが、風立ちぬという作品を深く理解するきっかけになれば嬉しいです!
※どう考えても長くなるので、前書きの次に忙しい人用まとめを作ります。

前書き このnoteを書いた経緯


映画に限りませんが、創作物はなにかと知識があった方が色々な所に気づけるので、より深く作品を楽しめますよね。

で、今回の風立ちぬについてですが、時代背景や大正・昭和期特有の文化があるので、どうしても解釈の難しい点、スルーしそうな点が出来てしまいます。

時代物はそこが楽しくて難しいのですが……。

でも1ファンとしては、「難しい」だけでこの物語を放置してほしくありません。

そんなわけで、私なりに当時の文化等々を紹介しようと思い立ったのです。

【忙しい人用】この記事のポイントまとめ

・あの人格が育つのも納得できる、裕福で自由な家風の堀越家
・いつだって社会の勝ち組だった二郎
・ひと目で経済状況(社会的地位)に察しのつく「列車の等級」
・亀(欧米列強)には絶対に追いつけないアキレス(日本)
・国民病で死病だった結核

・他人と同調できない性格の二郎
・人と人の繋がりを描いた従来のジブリ作品、自分の道にしか目を向けなかった二郎を描く『風立ちぬ』

ポイント1、堀越家の家風

最近風立ちぬを見てやっと気づいたことなのですが、堀越家って当時にしてはかなり裕福で常識に縛られない家風なんだと思います。

その自由さが、最終的には「アバンギャルドな」九試単座戦闘機、そして零戦を作ることに繋がるのだと思います。

(これは考察になるので詳しくは1番最後の段落に書きますが、作中、二郎は周囲に同調しない人、同調できない人として描かれています)

で、私が堀越家の家風についてこう判じる根拠は2つあります。

1つ目は二郎に特に結婚を急かされているような様子がなかったところです。

当時はお見合い結婚が主流、かつ男が結婚して1人前というような風潮が強かったです。

そんな時代にもかかわらず、(一応作中で)二郎が結婚を強要されたシーンはありません。

それどころか、二郎の両親は突然の結婚、しかも相手はいい所のお嬢様で病気持ち、も最終的には認めてくれます。もしかしたら諦められているだけかもしれませんが、それにしたってです。

ご両親の寛容な性格を伺わせます。実際御母堂に関しては、器の大きい人として描かれています。二郎少年が語った「美しい飛行機を作りたい」という夢を、彼女は否定しませんしね。

2つ目の根拠は、妹・加代が女性の身ながら医学生として勉強できたことです。

戦前、女性の進学率はめちゃくちゃ低いです。当時の女性の高等教育機関進学率はだいたい1%だとか。

本人の意思と関係なく、家の都合で学校を途中退学し、結婚するなんてこともよくあったようです。

そんな社会の中で、加代は医者になります。話を聞く限り、なんとひとり暮らしをして学校に行っていた様子です。

平成・令和の時代でも若い女性の一人暮らしにいい顔をしない人はいますし、戦前はもっと男女関係に厳しかったことを思うと、破格の対応と言えるでしょう。

以上の様子から、堀越家は家父長制の力が比較的弱く、自由を尊重するようなお家だったと伺えます。

ポイント2、人生勝ち組だった二郎

大正時代に生まれ育ち、各種恐慌が起こり銀行が倒産した不景気の時代を生きた二郎ですが、彼はどう考えても勝ち組です。彼の状況を簡単にまとめました。

・お手伝いさんのいる実家
・本人は帝大卒業、妹も東京で学問をできる金銭的余裕がある
・列車に乗る金がある
・財閥系の会社に「期待の新人」として入社する
・軽井沢へ避暑に行く

現代の事情に翻訳するとこんな感じですかね?

・家事代行やベビーシッターを雇っている実家
・兄妹そろって大学を奨学金なしで卒業
・帰省や旅行は新幹線で、夜行バスなんて使わない
・大手企業にコネ入社
・軽井沢へバカンス

分かりやすいよう、作中にあった庶民(貧乏人)の様子もまとめてみました。

・荷物の移動手段は大八車程度
・歩いて出稼ぎに行く
・銀行倒産の余波をもろに食らう
・徒歩通勤
・共働きしないと食べるに困るだろう家庭
・継ぎ接ぎした着物

ポイント3、列車の等級

私、このnoteで一番書きたいのが、これから書く列車の等級についてです!!

たいそうな話じゃありませんが、この映画で一番最初に「あっ!!」と気づいた思い入れの深い場面なんです笑

閑話休題。

列車の等級制度は、現在の飛行機座席にエコノミー・ビジネス・ファーストがあるのと似ています。

乗ってる列車の等級によって、その人の経済状況及び社会的地位が類推できちゃうんですね。

当時の列車は、一等二等三等の3つにクラス分けされていました。一等は皇族などごく小数の人しか乗れません。逆に1番安い三等にはたくさんの人が乗ります。

風立ちぬ本編に戻ってみると、冒頭大震災のシーンで、二郎は三等、菜穂子は二等にいます。

連結部分で2人は一瞬交わりますが、その後お絹によってドアが閉められ、一度は交渉が絶たれました。

しかし後半になると2人の立ち位置は逆転して二郎は二等、菜穂子は三等に座ります。それも冒頭の2人が連結部分という境界近くにいたのとは違って、二等車もしくは三等車の中央部分に座るよう変化します。

実は、ここをどう読むかって個人的には悩むところなんです。

お互いを思って相手の世界に立てるようになったとも取れます。

あるいは飛行機設計の稼ぎのために菜穂子の世界(二等車)へ行けた二郎と、二郎への想いだけで未知の世界(三等車)へ乗れちゃった菜穂子という、微妙にかみ合わない2人の様子を描いているとも取れます。

個人的には前者、お互いがお互いに歩み寄った、と取りたいです。飛行機しか頭にない男が、大事な設計書を涙で濡らしながら喀血した恋人の元へ向かうので。

ちなみにこれは長距離を移動する列車の話で、現在の電車とは勝手が違います。どちらかというと、新幹線をイメージしてもらうのが良いかと。

当時の電車は今でいう路面電車(トラム)で、列車とは違い、その人の身分を象徴するような座席の等級制度はありませんでした。

ポイント4、結核

風立ちぬを語る上で絶対に外せないのが結核です!!

結核というのは結核菌によって引き起こされる感染症で、病変を作り主に肺を破壊します。

現在は治療法が確立しているのですが、医療の発達していなかった当時はかなり深刻な病で、国民病と呼ばれるほど多くの人が結核で亡くなっています

有名人だと沖田総司や正岡子規、中原中也、そして小説『風立ちぬ』の作者堀辰雄が、結核を死因としています。

文学作品にも結核患者はよく登場しますね。カストルプさんが言っていたトマス・マンの『魔の山』も、舞台は結核患者のための高原病院(サナトリウム)です。

・死病という悲劇性、運命・世界の残酷さ
・病気による熱っぽくて青白い顔の美しさ、儚さ

こういった要素が、文学と相性がよかったと言われています。

なお結核は伝染る病気なので、周囲の人からは相当嫌われます。だからキスしたシーンで菜穂子が「伝染ります」って言うし、肺病(当時の結核の言い方)を患っていた菜穂子と結婚して肉体関係を持った二郎は、ある意味すごい奴です。

ポイント5、アキレスと亀

私は昔、うさぎと亀みたいなもんかなーと思ったのですが調べてみると全然違うんですね。

アキレスと亀とは、古代ギリシャの哲学者・ゼノンの言った逆説のひとつです。

俊足のアキレスが鈍足の亀を追いかけるとき、アキレスがはじめに亀のいたところに追いついたときには、亀はわずかに前進している。ふたたびアキレスが追いかけて亀がいたところに追いついたときには、さらに亀はわずかに前進している。これを繰り返すかぎり、アキレスは亀に追いつくことはできないという説。(デジタル大辞泉より引用)

映画に関わる点だけざっくりまとめると、この論においては、アキレスは絶対亀に追いつけないと証明されています。

作中ではアキレス=日本、亀=欧米列強です。

ここでちょっと面白いのが、二郎は小さくても亀になれないか模索しようとしている点です。

二郎の言っている「亀になる道」は、アキレスの自分を根本から変える行為です。思い切りがいい所の話じゃなくない?と個人的には思います。

それと、日本が西洋に追いつけ追い越せで奮闘し破裂した時代を描いた作品に持ってくるモチーフにしては、皮肉が効いてるなと。

その他、着目すると面白そうなポイント

色んなものが読み取れそうだったり、こだわりを感じられたりするシーンを箇条書きにしてみました。

(ここら辺まで考察していると、放映に間に合わなかったとも言う)

・他の宮崎作品ではあまり見ない、同じフレーズが、手を替え品を替え登場するBGM
・戦争(ラストシーン)が終わって戦後になると消えるBGM
・びっくりするくらい丁寧で綺麗な言葉遣いや仕草、所作
・リアルな近眼用眼鏡の描き方
・時を経るごとに薄くなるカプローニの服の色
・地獄も夢の王国も同一の、「設計士になって美しい飛行機を作る」という夢を抱いた草原

『風立ちぬ』の考察

最後に、私なりの考察を書いて終わりにしたいと思います。

宮崎駿監督が『風立ちぬ』で描きたかったことは、夢を追いかける狂気が持つ美しさ、そしてエゴイストの見せる美しさではないかと考えます。

この文章を読んでいる人のうち、小学生時代の夢を追いかけ続けている人は何人いるでしょうか?

たいていは途中でもっと面白いものを見つけたり挫折したり夢の非現実さを知って諦めるでしょう。

でも二郎はずっと、ずーっと「美しい飛行機を作りたい」という夢を追いかけます。なんならカプローニの夢を見る以前から飛行機に興味を持っているので、筋金入りにも程がある、と言いたくなってしまうほど一途です。

全てを投げ出すほどの一途さは、傍から見ると恐ろしさを感じるほど。でもこういう一途さが、ある種の美しさを持っているのも事実です。

この一途さは、他人と同調できない二郎の性格に由来しているでしょう。というか、彼は同調という機能を最初から備えてない人間です。

下級生が虐められている所に堂々と割り込める少年ですよ?震災のシーンも菜穂子を駅で迎えるシーンも、その他のシーンも含めて多数派の流れというものに乗らない男ですよ?妹との約束は軽率にすっぽかすし……。

二郎の非常識っぷりは、すぐ側に本庄という常識的な存在がいることによって、一層浮き彫りにされます。

早々に結婚(たぶんお見合い結婚)をした本庄と30過ぎてから恋愛結婚した二郎、とかね。

他人のことは歯牙にもかけませんから、自分本位に好きな道だけを進んでいくことだってできてしまいます。

唯一の例外はカプローニでしょうか。彼だけは二郎の道を変える力を持っていました。他方、菜穂子や本庄には彼の道を変えるような影響力はありません。

こういう自分本位な人物像は、過去のジブリ作品には見られないものです。

従来のジブリ作品は、人との繋がりを肯定するような話ばかりです。

力を合わせてシシガミ様へ首を返したアシタカとサン、神様や従業員達に助けてもらってハクを治し元の世界へも帰れた千(千尋)、「家族」一丸で戦争を止めてハウルを取り戻そうとしたソフィー達など……。

翻って、二郎は「己の理想」へ真っ直ぐに生きていてとても自分勝手。かなり異様な立ち位置にいます。

それでも、この映画を見た人はきっと美しい物語だった、という感想を抱くでしょう。

本来なら、二郎のように利己的な人間は嫌われて、貶められるような存在です。しかし宮崎駿監督は、この映画を通して、エゴイストの見せる新しい美しさを描いてみせました。

『風立ちぬ』は表面的に見れば儚い恋の美しさが、そして深く読み込めば狂気がはらむ美しさが見て取れる、よく作りこまれた作品だと言えるでしょう。

終わりに

いかがでしたか?

風立ちぬって面白そう!これを読んでから見ると、色んなことがわかって楽しかった!

そんな感想を持って貰えたら、これより嬉しいことはありません。そしてぜひ風立ちぬの円盤を買って、ジブリの売上に貢献してください。

感想やご自身の考察などありましたら、ぜひコメントいだけると嬉しいです!こういうのは意見を交わすときが1番楽しいので!(他人を傷つけるような発言はNG)

長文に最後までお付き合いくださりありがとうございました!

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