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映画『1917 命をかけた伝令』感想 ドラマ性を排除したリアルな戦場

 今回は、映画『1917 命をかけた伝令』の感想です。

 第一次世界大戦のヨーロッパ、西部戦線にてイギリス軍に所属しているスコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)は、司令部に呼び出される。敵のドイツ軍は前線から後退を開始しており、イギリス軍の前線部隊はこれに追撃をかけようとしていた。しかし航空偵察で、この後退がドイツ軍の罠であることが判明。このままでは前線の部隊は壊滅的な打撃を受けることが予想されるが、通信手段は途絶えている。前線の部隊にはブレイクの兄も所属していた。翌朝決行予定の作戦を中止させる伝令を受けたスコフィールドとブレイクは、塹壕を出て前線へと向かう…という物語。

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 今年は『パラサイト』が受賞したアカデミーの作品賞と監督賞ですが、今作も受賞本命とされていた作品。監督を務めるサム・メンデスが、第一次大戦の際に伝令兵だった祖父の体験談を基に、製作された物語だそうです。

 今作の特徴として、当然売り文句になっている通り、ワンカットでずっと映画が続くというところがあると思うんですけど(本当はワンカットに見えるように繋いでいるらしいです)、実際に観てみると、とてもTVゲーム的な画面に近いものを感じました。結構ゲームからの影響は強いんじゃないかと思います。
 じゃあ、ゲームを進めるように痛快な戦争アクションかというと、これが全くの逆で、常に戦場のストレスを観客に与え続ける作品になっているんですね。

 長回しの画面で主人公を通して見るものが、常に腐敗して捨てられた死体だらけで、戦場の恐ろしさ、ただただ不快な場所であるということが、容赦なく見せつけられてきます。
 ワンカットにすることによって、エンタメとしてではない戦場の疑似体験となり、とにかく疲弊し続ける兵士たちの境遇を理解させようとしているのだと思います。
 戦場の疑似体験という意味では、塚本晋也監督『野火』と同じ種類の作品だと感じます。

 この作品は、当然、戦争映画の部類に入りますが、戦争映画は大きく二種類に分けられると思っています。
 それは、戦場ではない舞台で兵士ではなく一般の人々を描く作品というものと、戦場を舞台にした兵士を描くというものの二つで、『この世界の片隅に』や『ジョジョ・ラビット』などが前者、この『1917』や『野火』は後者になりますね。
 その二つにどういう違いがあるかというと、ドラマ性が生まれるか生まれないかだと思っています。

 前者の場合だと、戦争という悲惨な境遇や理不尽な死は描かれるものの、そこに意味を見出せる物語に昇華できるようになっていると思うんです。例えば親しい人間の死も、物語が結末に向かうため、主人公が前に進む推進力になったりもするんですね。これはフィクションだからというわけではなく、現実世界でも死別の哀しみを乗り越える、受け入れるというプロセスに近いと思います。

 そして、後者のような「戦場」を描いた作品の場合は、ドラマ性というものは生まれにくいのではないかと、個人的には思っています。
 理不尽な死というのは、当然戦場の方が多く描かれるわけですが、それが物語のためにとか、主人公のためにという描かれ方をした途端に、戦場としてのリアリティを失うと思うのです。
 なぜならば、戦場での生き死にの差は、ほとんど運でしかなく、主人公だから死なないとか、ここで死者が出ることでクライマックスに向かうということはあり得ないわけです。
 もちろん、『プライベート・ライアン』のようなドラマ性のある戦場映画も存在していますが、そういうものにはヒロイズムが生まれてしまい、戦争のエンタメ化のような印象を受けてしまいます。(だから、ドラマ性が生まれにくいというよりは、僕個人が好きではないということですね。)
 そういう意味でいうと、この『1917』という作品は、画面上のリアリティも凄いんですけど、そのドラマ性の無さもリアリティの凄さだと思うんですよね。

 主人公は、様々な苦境を乗り越えて、伝令兵としての役割を全うしようとするわけですけど、その危機の脱し方が、身体能力が高いとか、機転を利かせて、智恵を振り絞ってというようなものではなく、ほぼほぼ、ただ運が良いだけというような描写なんですね。いつ死んでもおかしくないはずの場面ばかりなんですよ。これが、ご都合主義というよりは、僕には戦場のリアルのように感じられました。
 途中で描かれる死別も、全く呆気なく、何の感慨も生まれる隙を与えてくれないところに、現実感が出ていると思います。

 唯一、ドラマ性のあるのが後半で出会う、言葉の通じないフランス人女性と赤ん坊との触れ合いなんですけど、このシーンだけ全体の中で浮いているようにも思えるんです。
 でも、破壊だらけの場面の中で、このシーンだけ生産性があるんですよ。食べ物を分け与えて、未来に向かうことが出来ているんですね。
 この後で主人公はラストスパートに入るわけですけど、物語のクライマックスへ向かう推進力になっているんですね。与えることで力を得るというのは、すごくキリスト教的な考え方ですね。(それと、このイベントで回復したように見えるというのも、ゲームっぽい感じもしますね。)


 少し結末まで触れてしまいますが、ただやっぱり最後も現実を見せつけてくるんですよね。この物語で救おうとした前線部隊の命は、また別の命令で、いつでも消費される命でもあるわけですよ。
 これを示唆することで、それまでの疲労感が達成感どころか、とてつもない徒労感に変わるんですよね。けど、これを達成感のある物語にすると、戦争をヒロイズム的なエンタメとして消費してしまう作品になってしまうので、凄く良い終わらせ方だったと思います。


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