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映画『鵞鳥湖の夜』感想 クールさの中にある熱


 冷たそうに見えて、実は危険なほど熱いという、青い炎のような作品でした。映画『鵞鳥湖の夜』感想です。


 中国郊外の駅、雨が降りしきる中、深手を負ったギャングのチョウ・ザーノン(フー・ゴー)は妻との合流を待っている。妻の代理として現れたのは、水浴嬢(リゾート地で売春を行う女性)のリウ・アイアイ(グイ・ルンメイ)だった。
 チョウは、バイク窃盗団を仕切っていたが、窃盗団同士の対立に巻き込まれ、銃で撃たれていた。しかも逃亡する際に、誤って警官を射殺してしまう。チョウは指名手配犯となり、通報者には報奨金が与えられることとなった。チョウは、捕まるならば離れて暮らす妻子に報奨金を与えようと、通報させるために妻を呼び出したのだ。
 だが既に妻のヤン・シュージュン(レジーナ・ワン)の元には警察の監視の目があり、水浴嬢たちを仕切るホア(チー・タオ)が報奨金を分け前としてもらうために、リウを仲介役として遣わしていた。
 指名手配犯を追う警察、復讐と報奨金を狙うギャングたちから逃れるために、見知らぬ男と女の短い逃避行が始まる…という物語。

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 前作『薄氷の殺人』で、ベルリン国際映画祭金熊賞に輝いたディアオ・イーナン監督の最新作。『薄氷の殺人』は、台詞が少なく画面上だけでの心理描写で昔ながらの映画芸術表現をしながら、脚本はきっちりとしたサスペンス的な面白さもあるという内容でしたが、今作『鵞鳥湖の夜』も、映像表現の芸術性とスリリングな物語の面白さを見事に両立させています。

 今作でも台詞は少ないし、画面上に映る登場人物たちの表情は物凄くクールで醒めていて、無表情のように見えるんですけど、実はそれぞれの行動は、必ず何かに執着していて、とても感情的なんですよね。チョウは最期まで家族へ金を遺すという目的で動くし、リウは諦めたような顔で流されつつも、生への執着はしっかりとあるんですね。
 この醒めた空気感は、80、90年代頃の日本の空虚な雰囲気に似ているんですけど、そこまで中身が空っぽというわけではなく、その空虚の奥にある感情をしっかり描いているところが好きなんですよね。

 グイ・ルンメイ演じるリウは、雰囲気からするといかにも主人公を惑わそうとするファム・ファタール的な女性に見えるんですけど、本当は巻き込まれた弱い立場の女性なんですね。そこから、チョウの妻であるヤンと互いにシンパシーを感じていくことになるという。
 前作『薄氷の殺人』でもグン・ルンメイが演じる女性は同じ役どころだと思います。これはイーナン監督の特徴のようです。こういう雰囲気だけ神秘的な女性キャラって中身がスカスカになりがちですが、イーナン監督はしっかりと生身のある人間性として描いているように思えます。

 映像的なものはかなり詩的というか、いかにも暗喩がありそうな意味ありげなショットが多く、古くからの映画手法を取り入れている印象でした。名作映画の既視感が感じられて、色んなオマージュがあるんだろうなと思わせられます。
 その静かでスローなテンポ感から、急にエグい暴力描写が入るところなんかは、『その男、凶暴につき』『ソナチネ』辺りの、初期の北野武映画に通じるものがありますね。残酷な暴力は、ごく当たり前の事として描くことで、より強調されるというやり方。
 さらに、くすんだ色彩感覚は『AKIRA』のネオ東京の退廃した空気感が思い起こされて、やっぱり80、90年代の雰囲気になっているんですね。

 ただ、中国文化独特のリアリティだと思うんですけど、随所にツッコミを入れたくなる違和感があって、それが独自のユーモアになっているんですね。お祭りで賑わう中、電飾の光るスニーカーを履いて、「ジンギスカン」やそれに類する音楽で踊っているところとか(しかも、それが全員私服警官で、電飾スニーカーを履いたまま大捕り物をする)。警察が、報奨金を表彰として渡すところでも、身元を伏せるためになんだろうけど、トランスフォーマーのお面被せているところとかも、「そこでそんな笑い入れる?」って感じはするんですけど、これ多分中国だと普通にリアルな出来事なんだと思うんですよね。それをリアリティとしてだけでなく、ユーモアになるとわかった上で入れているんだと思います。

 個人的なハイライトは、クライマックス直前、チョウとリウが牛肉麺を食べるシーンですね。映画での食事シーンは名場面が多いですが、言葉ではうまく良さが説明できないくらい、ここ数年で断トツに良いシーンになっています。終わりを目前にして食物を本能的に貪るチョウに対して、リウもつられるように食べ始めるんですけど、そこで、調味料を自分の椀だけでなく、がっついているチョウの椀にも入れてあげるんですね。これが気遣いか、同情なのか、色んな解釈ができる気もするし、ただこっちの方が美味しいと思っただけかもしれないし、とにかく、この場面で終盤直前のカタルシスを感じさせるのって、他作品にはない独特さがあったと思います。
 こういう「この場面のためにこの物語があった」と思わせるようなシーンが1つでもあるだけで、その映画は作品として勝ちなんだと思います。

 ノワール・サスペンス的な脚本と、名作映画のアート的な映像の両立という、一種のミクスチャー映画とでも言うような独自性があります。娯楽作品ではないので、物語のテンポが遅い感じはありますが、非常に好みの作品でした。


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