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地球の裏側まで旅をしたけれど、いつも逃げ出してばかりだった

昨日大切な会議が重なっていて、家帰ったらそのままうだるように寝てしまった。

会議に出ていた方の一人が「フィニアスとファーブ」のリュックを背負っていて、落ち着いてから「フィニアス」の好きな曲を聴いた。「夏は君のものなんだ」という、とっても明るい曲で、元気がでる曲なんだけれど、2番に入って、キャンディスが

「私は地球の裏側まで旅をしたけれど、いつも逃げ出してばかりだった」

と歌う時、陽気さの中に言葉が陰りを持つ。そこがやっぱりたまらなく好きだ。最近なんだか妙に機会があって毎日のように感じることだけれど、何かが真実味を持つ時は、すべからくそこに月と太陽がある。そのどっちかがかけていて、ただ楽しいだけだったり、ただ鬱々としているだけだったり、そうなってしまうと現実から足を離していてなんだか妙に白けてしまう。村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では、現実から切りはなされる一つの象徴として門番が主人公の影を切り取るというシーンがあるけれど、影があって初めてわたしたちはこの世界にいるように、どれだけ陽気な音楽であっても、そこには自省的な陰りがあって始めて、真実になるのだなあ、とかなんとか思う。要は自覚なのだ、どれだけ見えているかなのだ。

いや、今は最高なんだ、空を飛んでいる気分だから、影なんて一個もない、と歌いたくなるような夜もあるけれど、しっかりと地面に私の影はやっぱり落ちていることが分かっていないと、なんだかただの自己満足で、それってそう長くは続かない。

キャンディス「世界が呼んでいる。外にでよう。」
フィニアス「そう、ちょうどそんなことが言いたかったんだ」
キャンディス「夢はずっと、どこまでだって観ることができる」
フィニアス「そう、そうなんだよ」
「夏は君のものなんだ」

「世界中の少年や少女たちのものなんだ。
これは本当のことなんだ。夏は君のものなんだ」

帰り道、改めて聴きながら街を縫うように駆けて家路へと急いだ。靴の汚れやほつれが少し度を越してきていて、休日にでも買いに行こうかな、となんとなく思う。ナツいアツがきますね、もう間も無く。

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