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そして、こんどは、ぼくの詩を持ってきたからだ

沢山メールを書いたのに、一通も返信がこなくって、これはもしかしてシステムが壊れてしまったのかと思うくらいだけれど、てかそれならどれだけ良いか逆に、って思っちゃうけれども、普通に全体メールとかは届いているので、「そういう日」ということなのだろう。中には今日締め切りだったはずの大切なものもあって、そういう「返信が欲しい」と思うものに限ってこないものだから、「そういう日」であるにしろ、不安が募る。

とまあ、不安をあまりにも直接にあらわにした書き出しはさておいて、今日は会社で先輩から沢山の音楽を教わる。あまりにも物知りな人がいて、どんなジャンルでもわたしより網羅的に知っていて(そりゃ年代は少し昔のものにはなるけれど)、わたしはつまみ食いのような形でいろいろなものに触れている場合が数多くあるので、その人が教えてくれる「網」は興味ぶかく、おりに触れて雑談をする。

「今きみとつれだって 今きみとつれだって とおりゆくこの季節も

やがてきみとひろがって やがてきみとひろがって」

洗練されたバンドで、今までのつまみ食い的な聴き方を恥じたりもするけれど、当たり前のように知っている人は知っているものを聴かずにきたというのなら、これからどれだけ「え?これ聴いてなかったの?」が訪れるのだろう、と思うとワクワクしたりする。もう知らないことが恥ずかしいみたいな感情もあんまりない(と、思う)し。

退勤時は雲が幾重にも重なり合って、刻々と世界は暗くなり、ギンギンに締め付けられる頭痛に大変億劫になりながら今日は散歩して帰るのはやめようと固く決意した。雨が降ってきて、映画の撮影のために降らせた雨みたいに横殴りの大粒で、しかもなんか乗ったバスにはパーソナルスペースわかってないおじさんが圧迫するように肘を突き出してきて、芋づる式に今日上司に「センスない」と思ったことだとか、色々出てきて、なんだか子供だな、と結構本気で思いつつも、自分を制御できなくなっていた、けれど、家に帰ってあまりにも美しい物語を読んでいたら、なんだか落ち着いた。メールの返信、結構やっぱり怖いけれどもね、ないからって死ぬわけじゃないし、ってなんとなく安心というかあきらめがついた、ように思う。


「それ、何だい?」王さまはききました。

「夢よ。」

「なぜ、このまえ、ここにきたとき、こういうすばらしいものが、ぼくには見えなかったんだろうね。」

「王さまは、何も持ってこられなかったし、だれもつれてこられなかったからですわ。」

「そして、こんどは、ぼくの詩をもってきたからだ。」

「それから、わたしをつれて。」と、シライナはいいました。

(ファージョン『ムギと王さま』から「西ノ森」抜粋)

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