魅力的な二人 発光体
ここ2日、こんな言い訳をしていてはよくないんだけれど「やらなくてはならないのに体が動かない日」というやつで、多分冷静に考えれば、後になって「なんであの時動かなかったのだ」となってしまうやつだ、というところまでわかっていても動けなかった。そりゃ学校のテストとかならいいさ(当時は全然良くなかったけれど)、最悪点数がそんなに良くなくても悔しくなったり場合によっては家族に怒られたり塾の先生に呆れられたりするだけだけど、仕事は間に合わなかったらたっくさんの人に迷惑をかけてしまって、信頼がなくなってしまって、そうなったら生活自体がやりにくくなってしまうものね、いや理屈はわかっているのだよ、と繰り返して。
会社を1時間早く出て、吉祥寺のアップリンクで今泉力哉監督の「街の上で」を観た。多くの人がそう感じたとは思うのだけれど、「こんなものを作りたい」と心から思って、感情が大変だった。仕事とか全部忘れてしまうくらい、どうしてこんなにも良いものが出来るのかと帰り道歩きながらぐるぐると考えて、帰ってからも予告編の動画を観ながらその余韻に浸り続けていた。
なんだかでも、「なりたい」とか「やりたい」じゃないのよな、自分を動かすエンジンはもう、と思う。何度も書いてきていてうるさいけれど、もうわたしは「始まっている」。もう選んだのだ、と自分に言える。わたしはなんにだってなれる、という身軽さを失う代わりに、わたしなりの役割の中で、わたしはどこまでもいけるというなんとなくの実感を今ある生活の中に抱けている。だから「動きすぎてはいけない」のだ、わたしには難解すぎる哲学書の中で千葉雅也も言っていたように。
でもまた映像の監督をやる機会が待ち遠しい、と心から思った。なんだか前回させていただいた時は、わたしの自己満足、みたいな形で作っていくしかなかった。あまりにもこちらに知識がなくて、進め方として、「わたしがやりたいので」という我儘を貫いていくしかなかった。次やるときは、日々の中で学んでいること、いろんな見方で見れるようになってきた世界のこと、映画のこと、現場を和ませるコツやひょんな表情を愛おしく思う感性だとか、この場所で毎日少しずつ書き方がわかってきたような気がする言葉のこととか、色々試したいし、もっとこう、「決めなさ」の境界線を見極める目をフルに使いたい(今泉監督がデタラメに優れているその力を)。
「すこしだけ 目があって 魅力的な二人 発光体
ヒカリがふりそそぎ 時間がとまっちゃうよ」
ぼんやりコンビニ前でタバコを吸いながらこの曲を聴いていて、ふと気が緩むと背中に迫っている「やらなくては間に合わなくなるよ」という恐怖がみえる。
「生きてる って気がするぜぇ」と、三月のライオンの名シーンを思い出して、すこし笑った。
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