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静かな首の長い鳥

昨日の記事の手前、こうして書いているのはなんだか恥ずかしいけれど、書かずにいられなかったのは、わたしにとって、毎日何かを書くということが、どれほど大切なことか、昨日からふつふつと考え直したからである。

やっぱり許してあげることができないのだ。今、毎日何かを書くことをやめていいよって、自分にいってあげることができない。それくらい、こうした、別にそれ自体では何につながるわけでもない、決して多くの人がみているわけでもない文章を書き続けることが、今後何年か後、下手すれば何十年かあとになって、必ず活きてくるだろう、と思ってこうして書いていることを思い出したし、改めて気づかされた。

根本的な解決にはなっていないだろうけれど、昨日つらつらと書き連ねた弱気は、沢山の言葉と涙を親の前で吐き出して、一旦落ち着いたし、改めて整理をすることができた。昨日書いた文字には決して嘘はないけれど、それでももっと多面的に、落ち着いて捉えられるはずだ。わたしはもう少し、静かな首の長い鳥のように、ある意味でぼんやりと、ある意味で賢く立っていられる。

「大人になるまでに なくしてきた言葉を わざと口にすれば 飛び立てない心に 吹く風 捕まえて」

バスに揺られながら美しい歌に耳を傾ける。わたしには消費されてばかりの毎日と同居できる道を探る余地がまだ残されている。昨日の記事が恥ずかしいけれど、それでも、今日書くことにとても意味があったので、ぶれぶれなわたしを許してほしい。どちらかというと良い方にぶれたねって、笑ってほしい。

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