見出し画像

ここは夢さえ 色褪せる

考えても考えてもソーセージを薄く切ろうとすると中身が出てしまう。刃物の切れ味が悪いんじゃ!とやけになることは簡単だけれどおそらくこれは人生で両手で数えられるほどしか包丁を持ったことのないわたしの悲しきかな、力の抜き方がわかってない拙さの現状なのであろう。
こういう気が滅入ることを繰り返し書くと良くないのわかるんだけど、昨日も昨日とて頭と目が気圧で痛痛だったから鎮痛剤を飲んだ上で在宅勤務にした。なので友人からもらったあんかけパスタのソースを食べてみようと思い立ち、ピーマンやらソーセージやら玉ねぎやら切っていくことになったわけだが、「猫の手」だけは鬼のように念じているから手は切らないものの上手にスライスできないことこの上なく、またパスタ用の湯の沸騰時間と炒め上がり時間の感覚がわかってないので野菜炒めを割と長時間待機させてしまうことになった。また炒め直せば(炒め直すっていう?)いいものの、折角アップした身体を冷やされているスポーツ選手のようで思わず「申し訳ねェ…」と独り言。
なんだか料理をして、出来上がったものを食べて(美味しくできた)、皿を洗って拭いて元に戻して、という時間の全てが、もちろんめんどくさい日も嫌になっちゃう夜もあるのだろうけれど、それだけじゃなくて、時間を取り戻す大切な手順だなぁとぼんやり思った。近頃、業務にのめり込むように向かっていて、業務が緩やかになれば本にのめり込んでいて、どちらも好きなことをやってはいるのだけれど、なんというか、時間が取り残されていたような感じがする。ぼーっとする時間や、なにかを丁寧に積み上げる時間がなくなった生活から少しずつ、削ぎ落とされた時間が集積して、やがてどことない違和感や茫漠とした不安になっていく、その膨らみを止めてくれたのが今日の料理だったように思う。

「別れには港が似合う ここは夢さえ 色褪せる」

皿洗いをしている時、洗う順番を頭の隅で考えながらこの曲に耳を傾けていたら、少しの間だけ、近ごろの憂鬱が他愛無い幻のような気がした。もちろん油断するとすぐに足を捕らわれてしまうのだけれど、それでも、わたしはすべからく光の中にいて、その上で、闇に堕ちる日もあって、けれど結局は、この明るさへなんとかして帰ってくる、だからわたしはジェダイなのだ根本的に、なんて、いきなりなぜスター・ウォーズ?って話だけど、なんとなく考えたりした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?