驚いたり、怖がったり
今日はそのまま友達の家で朝を迎えて、帰り道が一緒になった、その時仲良くなった人とお茶をのんで帰った。彼女は久しぶりに朝早く街に出たようで、その気持ち良さに驚いたり、怖がったりしていたけれど、わたしもまた、心持ちが程よく解けて、気持ち良さを静かに受け取れるだけの広がりのようなものがあって、これから起きようとする新宿の街並みを夜続きのテンションで笑って歩いた。
家に帰ってからは案の定夜まで寝ていて、のろのろと起き上がってから仕事の続きにとりかかる。「しあわせは 少しずつ見えてくるものさ」youtubeを流していたら、受け取ろうと思うまでもなく流れてきた曲になんとなく心をとられてぼーっとする。その一文だけはわたしにとって温度のあるものとして、なぜかしら引っかかる。言葉は音程を持つと健やかになるときがあって、立ちあらわれた素直さのようなものを、なんとなく感じたりしたのかもしれない。
朝にあれだけ仲良く話をした彼女と、連絡先を交換したり全然しなかったな、と夜になるとしみじみとした。でももちろん、連絡先をしったところで、知らなかったところで、わたしたちが再び会うことになったらなったで、ならなかったらならなかった、であって。
でもそうやって、わたしはこれまでどれだけの人と、つながる可能性ばかりをなんとなく持ったまま、それをやり過ごしてきたのだろうか。繋がりにいく、というはしたなさを、距離感の柵を壊してしまう人のことを遠目でみているときの、そうはありたくないかもしれない、という思いについて。やっぱり、SNSくらい教え合ってもよかったよね、昨日はでもそんなこと思いつくことができないくらい、温もりに満ち満ちた人たちとの、眠る気も起きないような(結構ねたけど)一夜だったのだ。
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