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【短編小説】階層式輪廻転生

書くことが見つからないので短編を書く。

某日晴れ。着任の儀

「それではあなたの職場はこちらです。今後ともよろしくお願いいたします」

慇懃な態度は始めだけだったように思います。彼との付き合いも今年でおおよそ30年。最近はあまりの忙しさに目が回ってしまいます。
「ほら、2日前に会ったこの人の名前はなんだっけ」
「今上氏!」
「彼のお子さんは娘だっけ?」
「息子!」
「ああ、どうしよう。何を話せばいいのかさっぱり分からない……」
「競馬好きですよ。先週末の競馬の結果を聞いてみよう」

彼は勉強熱心でした。目で見たもの、耳で聞いたもの、味わったもの、考えたこと、スポンジのように体の中に吸収します。
それらは大事に体内に仕舞われて、必要な時に適宜取り出し活用されます。

私の役目は「引き出し係」。
彼が学んだものを整理、ラベリング、収納します。それから必要な時には素早く取り出してそっと差し出してやるのです。それが仕事なのです。
一流の引き出し係は片時もじっとしていることはありません。命ある限り、体の中で忙しくしています。

過酷な仕事ではありますが、私の仕事ぶりが彼の評価につながると言っても過言ではありません。
引き出しは日を追うごとに増えに増え、仕事の難易度は上がります。
やりがいのある仕事であると言えるでしょう。

しかし、ある時から引き出しの数はほとんど増えなくなってきます。
そういう時には過去の引き出しを整理して、来るときに備えアルバムを作っておきます。これも引き出し係の重要な仕事です。

さらに時が経ちますと、引き出しが忽然と消え始めます。焦ることはありません。この頃には大抵アルバムの作成も終わってますので、私たちは残りの引き出しにそっと鍵をかけるのです。
それが終われば美味しいものの記憶を引き出しから取り出して、のんびりお茶を入れながら銘菓を味わえばいいのです。
引き出し係の余暇ですね。

某日晴れ。退任の儀

さて、引き出しの数は随分減ってしまいました。
「そろそろですか」
私が尋ねれば彼は
「そろそろですね」
と答えます。

そして、来る日が来たのです。
「ありがとうありがとう。君が引き出し係をしてくれて助かりました。お礼に残りの引き出しは、君の引き出し係に差し上げます」

彼はそう言って、私にさよならを告げるのです。
私もお礼を丁寧に丁寧にお伝えし、そっとアルバムを手渡します。「引き出し係」の集大成であるそれを、彼は大事に大事に読み返しておりました。乾いた頬には涙が流れていたように思われます。

私は彼の言う通り、残った引き出しの中身を手に取ります。
それらを目で見て、耳で聞いて、舌で味わい、考えます。
そうして私の中の引き出しにそっとしまっておくのです。無論、整理、ラベリング、収納などは私の中の引き出し係が行います。

つつがなくそれが終わるころ、彼の姿はもうなくて、私の体が外の空気にむき出しになっているのです。
そして私は、目で見て耳で聞いて舌で味わい頭で考えて生きるのです。

そうやって、生きていくのです。

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