発信活動の意義について

発信活動、してますか。

私は苦手なので、手を出さずにいました。
でも、ずーーっと興味はあって、自分の創作物を発信して、誰かが楽しんでくれることって幸せだなーと思ったり。密かな憧れはあったわけです。

でも、私には何もない。誰かの創作物を見て感動したり、本を爆買いしたり、おいしいご飯を食べたり、コーヒーを飲んだり…時々推しに重い手紙を送りつける。
どこにでもいる人間なはずなのに、どこか違う。でも、割と満たされているがゆえにハングリー精神みたいなのが無くて、幸せといえば幸せだけど、どこか空っぽな気がしている。

#発信でわたしを見つける

どっかの怪しい占い師の、この言葉が忘れられない。

こんな私にもつながりとか、クリエイター的なことがしてみたい。何者かになってみたい。

  • ツイッター(気ままに、思った瞬間を書く。クリエイターって感じじゃない。)

  • インスタ(写真を撮ったら適当に更新する。…で?)

  • You Tube(動画を作ってみたくてやってみたが、むずい。時間泥棒。)

  • Spoon(話すけど、何も残らない。リスナーに左右される。誰も来ないと寂しいから話せない。)

  • 番外編:彼氏(仮)(話していて楽しいが、申し訳ない。何なら聞く方が楽しい。音声なので残らない。寂しい。)

まぁ、こんな感じでやってはみたものの、なんかしっくり来ないのです。
自分の発信したいことや、表現したいこと、伝えたいことは色々あるのだろうが、なんとなく、虚無感。合ってない感じ。疲れる。楽しいけどね。

でもまぁ、ツイッターは楽しかった。色んな人とつながれて。出会った人とオフ会したり、新しいアーティストに出会えばライブに行ったり。でも、私の発信活動って感じではない。

だから、ブログを書き続けたい(唐突)。

ただ、ブログって、誰かに読んでもらうことを前提に書かなければならないのですよ。あたりまえだけど。これが非常に難しい。

以前、ツイッターというのはある程度衝動性が容認されるコンテンツなので、意味わからん事とか嘘とか書いても許される…みたいなのを見た(気がする)。でも、ブログは有益性とか、論理性が求められるらしい。

つまらない文章、下手くそな文章、ださい文章はなるべく避けたい。そして、誰かが不意に傷ついてしまうようなことも書きたくない。
読んでもらうためには、たくさん記事を書いて、蓄積して、自分のブランドを確立させた方がいいはず。
有効なハッシュタグも必要。
そして、人目を引くようなタイトルと、時流に乗った記事を書かなればならない。

…こうやって自分を縛り付けていって、書けなくなっていく。

でもさー、ブログだって衝動的に、意味わからんけどおもろいことを書いていたい。書きたくないときは書かないし、書きたいときにはいくらでも書けるーみたいな。
あとさ、こんなズブの素人にまともな文章が書けるわけないやん??誰かと比べたりしたら、始める前に挫折するやつやん???

色々自分の中で渦巻くものはあるけれど、出来ることなら、
ブログを書き続けたい(2回目)。

「ブログ」を書く理由って…?

承認欲求

人との繋がり

話したい

金銭的な利益?

能力を得るため

自分の考えを整理するため

なんでもいいけど、面白いことがしたい。あと、続けられるんだーっていう自信が欲しい。

あわよくば、どこかで誰かが楽しんでくれてたらいいなって思う。

でも私は、
三日坊主、飽き性、忘れっぽい。
誰かのためなら頑張れるけど、自分のために頑張れない性格。

それでも、楽しければ、続けられる気がしている。文章を書くのは下手だけど、好きなので。推しに便箋3枚に渡って激重のファンレターをこしらえた女だよ。いけるだろ。

そんな感じです。決意表明?わかんないけど。
宜しくお願い致します。

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