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健康で文化的な生物になりたい!ヒトに葉っぱが生える理由

 食事も睡眠も面倒くさい!
 やるべき仕事や打ち込みたい使命にこそ時間を注ぎ込みたいと思う人も多いでしょう。
 確保するために一定の労力や莫大な時間が必要(なんてメンドウな!)なのに、おざなりにすれば身体を壊しかねないという…食事と睡眠は生命活動上で超重要な項目です。

 現代人は社会構造を効率化し続け、食事にありつくためのコスト(時間と労力)を小さくすることに躍起になってきました。
 結果、餓死や栄養失調を激減させることには成功したのですが…その“質”によって新たな病み(生活習慣病や精神病などの不調)を招いているのも事実。
 また雑食の人類は良い意味で消化器官の性能が半端で、体力の多くを消化活動に割いているのです。
 もし食事(消化)をせずに必要な栄養が補給できたら、どんなに快適ではつらつとした生活を送ることができるでしょうか!

 さらに成熟した文明を営む現代人は、社会を維持するために膨大な仕事をしなくてはいけない。
 そうして追われた人間は睡眠時間すら削り始め、自爆を招く馬鹿げた状況にすら陥ってしまう。
 もし眠らなくても健康でいられたら、我々の文化的生活はどんなに濃密で、豊かになるでしょう!

 そこで文化性をさらに追求したいと思った人類が長時間健康に活動でき、食事も睡眠もわずかで済む身体に進化したいと感じるのは必定。
 それには体毛に変わり葉緑素の通った葉っぱを手に入れなければならない。さらに背中には巨大な“葉根”を備え、効率的な栄養補給と代謝能力を実現する…
 この記事では便宜上彼らに『葉緑種(プラントイド)』と名付け、どうして人間が彼らに到達すべきなのか解説していきます。

すでに人類には不食の素質がある

 昔から人間には、食物を摂らず生命活動を維持する「不食主義」が時々出現します。
 「気食主義者(ブリザリアン)」「サン・イーター」「土喰らい」と呼ばれた人々がそれにあたります。
 もちろん偽物も多いし、実践した人間は死ぬこともある。当然です。
 しかし不食で死んだ人間をただのバカというのは大間違い。
 稀に存在するホンモノが、人体に備わる不食の素質を証明しているからです。

 もちろん彼らは只者ではありません。
 蓋を開けてみれば日光や呼吸からエネルギーを生成する特殊な代謝経路を持っていたり、変わった腸内細菌が栄養素を生産していたり…特異体質が魔法の種だったのです。
 常人が真似をすればたちまち痛い目をみるわけですね。
 しかし、そんな特異体質者の性質が評価され自然淘汰の中生き残っていけば?
 そんな特殊能力が、高度文明を維持する人間に歓迎されるのは火を見るより明らか。まして海面上昇によって資源が減り、食糧難や物資不足が懸念される未来の地球でならば尚更…

 不食の人々に共通しているのは、日光浴を大切にしていることです。
 もとから人間は日光を浴びて栄養を生産したり体調を整えたりする生物ではありますが、不食主義者は太陽から受ける恩恵を最大限活用していたわけですね。
 不食で生きていた生物といえば約6億年昔に旺盛を極めたエディアカラ生物群がいます。彼らは皮膚で代謝を行ったり、大量の光合成生物を寄生させて栄養を補給していました。太陽光さえ確保できれば多細胞生物でも生命活動が行えることは証明済みなのです。

 これを進化に取り込むならば不安定な天気のもとでも安定した健康を得るため、日光から最大限の栄養生成ができる体質にしていく必要があります。
 細胞は藻を含み、紫外線を防ぐ盾だったはずの体毛は葉緑素を生産する工場(葉)に変わっていきます。
 食事に頼らず体温管理をするため、背中に備えた巨大な葉根は効率的に太陽光を受け止めます。日光に当てれば栄養補給のついでに体温を上げられ、逆に暑ければ広げて効率的にクールダウンできる。
 水と日光が豊かで、いつの時代も植物が支配してきたこの地球においてこの未来人は、これ以上無い適応を実現したのです!

葉緑種の体質

 葉緑種は光合成によってデンプン・糖類・ビタミン・タンパク質など多様な栄養素を自己生成できますが、水分とミネラルは経口摂取しなければいけません。
 主なミネラル源は土やサプリメント。さらに日光を浴び足りないときや肉体を酷使する時には多少なり食事で補う必要があり、(現代の光合成動物がそうであるように)食事で葉緑素を補填しなければいけない時もあります。
 しかし消化器官は退化しており少食になったため、食事に頼りきった生活はできれば送るべきではありません。なぜならそもそも消化活動は莫大なエネルギーと繊細な操作が必要で、人体には重労働だからです。
 近頃流行りの断食で体調が良くなるのもそのためで、五臓六腑に血を巡らせる仕事がなくなるので全身が休息できたり、一日中脳の稼働率を下げずに済むのです。
 (消化器官が退化するという点でグレイタイプと共通していますが、同じ進化をすることはありません。なぜならこちらは光合成のためにある程度身体の表面積を確保する必要があることと、日光不足や肉体労働のときのために消化能力自体は残しておかねばならないからです。
 また、狩りをする資質も失ってしまうのと葉緑素の吸収も兼ねるためほとんど草食性で、現生人類と大差ない長さの消化器官が必要なのです。
 そのため葉緑種の退化とは食道が細く低容量になることを良い、現生人類よりもスマートにこそなりますが身体が縮んでしまうことはありません。)
 つまり葉緑種とは断食で得られる好調子を維持しながらも細胞や体内菌の活動で栄養を補給する人種なわけですが、日光不足で食事に頼っている間はそのメリットを丸々失ってしまうわけなのです。

 これらのメリットを多く授けてくれる彼らの「葉根」ですが、葉っぱと同じ材質とはいきません。
 葉緑素を含み生産できるだけで、生態器官としては「エリマキトカゲの襟」や「ステゴサウルスの背中のヒレ」に近い役割です。サイズ・材質もそれらの中間あたりに位置し、筋肉と軟骨によって多少の可動性と強度を持った柔軟な器官。
 つまり
 ・食事をあまり摂らない彼らは葉根を広げることで体温調節をして
 ・さらに日光に当てる際には栄養生産も兼ね
 ・もちろん異性へのディスプレイとしても機能する
 まさに葉緑種のキモになる器官なのです。
 前述の通り、材質は現生人類の「耳」に近い部分なので、洗浄をおこたれば垢になって剥離します。不衛生は光合成の効率も落としかねないので、衛生管理は彼らにとっても重要。

 体毛もまた葉緑素を生産しますが、あちらは人間同様ケラチン繊維で補強された器官であるためカットしても痛みはありません。

 地肌は人間同様ですが、メラニンの代わりに光合成に必要な物質が働くため、日焼けするほど緑色になっていきます。

 こうして髪や皮膚で葉緑素の総量を調節することで、地域に最適な体質を維持するわけです。
 そんな性質上、まるで植物みたいに温暖な地域ほど体格が大きくなっていく(現生人類とは真逆だね)。

 葉緑種には他にもたくさんのメリットがあります。
 睡眠時間を1~3時間まで減らすことができるのです。これは新陳代謝を光合成の際に行うため、睡眠の際に人体に必要な課題を「脳の情報を整理すること」のみに絞ることが出来たためです。
 これによって、現生人類よりも時間帯によるパフォーマンスの波が小さく済みます。

彼らが送る健康で文化的な生活

 こうして現生人類比1.5倍以上の活動時間を確保した葉緑種は、さらなる文化の発展を目指すことができるでしょう。
 生理上ロスの少ない体質を手に入れるも環境に体調を左右されやすくなった彼らは、地球といかに仲良く共生するかを重要視せざるをえません。
 建築は太陽光を取り込める開放的なデザインになり、美しい水源やきれいな空気を楽しむため自然に触れる文化が育まれます。
 そして必然的にアウトドア趣味が発達します。

 太陽光に近い光を放つライトが恒久的にヒットする一方で、ムダな食品を生産する必要が無いためモノの需要は激変。
 理学や工学の需要が高まり発達すれば、環境に優しい生産活動が拡大させ続けることが可能です。とりわけ葉緑種であれば、環境と共生するものづくりの精神を忘れることは絶対にありませんから…

 また我々が発展させ続けた技術や学問は、それを実践するための必須教養を年々増やし続けています。それを今までは専門分野に分割し続けることで対応してきたわけですが、いつか学問をするために必要な知識量が人間のキャパシティを超える日が来ることは想像に難くないでしょう。
 次なる対抗策は技術や知識の一部をAIに管理させることやテクノロジーの断捨離を推進することですが、葉緑種になることによって人類が文化を保存していくためのキャパシティを増やす、というのも有効な手段なのです。

 そのエコな生態は、現生人類にも根強く残る狩猟本能や罪深い欲求を取り除くことにも成功します。
 たどり着くのは争いを嫌う平和な精神。

 不食にはじまる本能からの解脱は、多くの宗教やナチュラリストから非常に大きな価値を置かれてきたことです。
 食欲、性欲、睡眠欲‥人間の3大欲求のうち2つを極端に縮小した彼らは、代わりに理性的で文化的な(本能に逆行した)生活を営むことになります。
 葉緑種に至るということは、現生人類よりもっと野生動物からかけ離れることを願った結果―植物のように理知的な性質を獲得したということのかもしれません。

 彼らの祖先になるのは、争いを好まず自然を愛し、三度の飯より打ち込みたいものを持っている人間なのでしょう。

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