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楽園到来!吸血がもたらす欲張りな夢と理想世界

 これまで『未来人概論』では様々な未来人を紹介してきた。
 彼らはつまり「偏った性能にならざるをえなかった人類」だ。
 能力を上げるということには、相応の犠牲が伴う。
 骨格や筋肉を発達させるなら燃費を悪くしなきゃいけないし、
 知能を上げるなら四肢を退化させなければいけない。
 へんぴな環境に適応するなら、身体のどこかを犠牲にして新たな能力を身に着けなきゃいけないのだ。
 すべては生き残るため。
 生物進化は手段を選ばない。
 現生人類の倫理観からかけ離れた選択を平然とするし、時に本能にすら反する能力を得ることもある。
 「環境に最適」でさえあれば、迷わず変質するのが生物進化だ。
 
 でも本音を言えば「完全無欠の人類」を目指したい‥‥!
 そんな「仕方なく」とか「なし崩し的に」とかじゃなく、現生人類が夢見る“カンペキな人類”を目指して進化したい、というのが人情ってものだ!
 もし環境の大変化や人類の自滅を(運か科学の発展かなにかで)クリアして、この先の進化を自ら選ぶ余地ができたら‥‥
 人間は体のムダをキレイに取り払い、余剰のリソースを有効活用し「最適化された人類(ホモ・オプティマス)」になる。
 我々は我々の理想を体現する生物に進化するのだ。
 そしてそれは人類が夢見ている以上可能なこと。
 「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」のだし、進化は「欲した体質」に寄っていくものだから‥

 人の欲望に最適化された人類は
 運動神経抜群で、頭脳明晰で、容姿端麗で、不殺生で‥‥
 現代人の理想を凝縮したような生態を獲得する。

 でもそんな都合の良い体質、どうやって実現するのだろう?
 答えは「吸血動物になること」だ。
 本記事では鋭い牙と器用な舌をもち、血をすすって生きる人類を便宜上『吸血種(ヴァンパイア)』と呼び、その食性の意味を解説する。

血液食の恩恵

 そもそも母乳の原材料は血液。
 雑食の我々は内臓が発達したらおっぱいを吸うのをやめるが、吸血種は乳児期を終えたら、食事は母乳から血液に移行するのだ。 
 吸血種は栄養学的にはある意味「乳離れしない哺乳類」とも言える。

 でも雑食を捨てる進化が何を意味するんだろう?
 まず内臓の縮小だ。
 栄養価が高いうえすぐに吸収される血液は、巨大な消化器官と消化に必要な大量のエネルギーを不要にする。
 食料を血液に絞ることで肉体のリソースを脳と運動神経に割り当てるのだ。
 ゆえにウエストはだいぶ細くなり、体重もかなり軽くなる。
 しかし血液の吸収効率の高さをもってすれば筋力強化も容易く、並の個体でも現生人類と同程度の筋肉量を維持する。
 これの意味するところは、恐るべき俊足を得るだろうということ。
 同じ力でも運ぶ身体が軽くなるのだから、彼らの動きはかなり機敏だろう。

 さらに血液食は体内の白血球と血小板を大増殖させ、現生人類の4倍以上の速度で傷を治癒する。

 しかし血液食の欠点は、肉と違って雑菌が繁殖しやすく鮮度が求められること。
 そこで名前の根拠にもなった「直に血を吸う」行為が有効になる。
 鋭い犬歯で対象の皮膚を傷つけ、舌を漏斗状にすぼめて挿入し、毛管現象によって吸い上げるのだ。
 消化に時間をかけなくていいだけ、ゆっくり優雅に食事するメリットもない。吸血行為は短時間で大量に血を頂いたほうが生存にも有利だ。
 そこで上半身が肥大するほどに肺を巨大に発達させ、「超肺活」を獲得する。
 これによって“食事”と言うに相応しいほど効率的な吸血を可能にし、副次的にスタミナの増大や潜水能力の高さも得る。

 そしてなにより特筆すべきなのは、血液食が「殺生をせず存続していける人種」を実現することだ。
 人間は動物のくせに、(高い社会性を身に着けた反動か)動物を食べることに罪悪感を抱く傲慢な生き物‥‥
 しかし菜食主義に走ろうにも、大量の野菜を育てるには相応の破壊行為と動物の駆除が必須になるので本末転倒‥‥
 さらには野菜はバラせば直ちに死亡するほどヤワじゃないために「自分が食べられていることを自覚して恐怖する(そして変質する)」のだ。野菜を食べるってなんてムゴいことなんだろう。
 このまま時代が進めば「動物を食べるなんて残酷!」と言う者の中に「野菜を食べることも同じかそれ以上に残酷なのでは‥‥」と気づく者も出てくるだろう。(まぁ、そもそもどこからが残酷でどこまでが残酷じゃないかなんていう線引をすること自体が人間の傲慢なのだ‥‥本当は動物だろうが植物だろうが人が命を操ることは残酷なので、同じくらい感謝せねばならないということなのに。それができていた昔の日本人はコメのひと粒に沢山の神が宿っているという重畳な思想まで持っていた)
 しかし不殺主義が流行り、(人間だけが)倫理的に確実に正しい生物になろうと思ったとき吸血種は最高の人種だ。

 当然だが彼らが吸う血は別に同族じゃなくても良い。
 まあ現状人間もアザラシや牛豚の血を貴重な栄養源として食しているし、日本人にもスッポンやマムシの血をのむ文化がある。
 ということは、吸血種は家畜を飼って生き永らえさせることで、永続的に食料を確保できるのだ(科学文明も発展するので、牛に直接かじりつく必要もなさそうだ‥)。
 家畜は植物を殺し植物は死んだ家畜を養分にし、人間だけは(血で生きる体質を獲得することで)その食物連鎖からハズれ家畜から血を「分けてもらう」という世界との関わり方。
 これは人間が知性を身に着けたことで生じさせてしまった罪を払拭できる唯一の方法なのだ。

 とはいえ血液だけで一日に必要な脂肪分を確保するには成人男性一人分の量を飲まねばならず、それは非現実的だ。
 そこで適度にバターを食べて油脂を補うことになるわけだ。
 家畜は牛が最高だろう。

 さて、ここで有名な“吸血鬼の特徴”の多くが吸血種に当てはまることを証明しよう。
 吸血人間の出現が嘘っぱちじゃないことを証明する一助として大変意義深いことだ。

・日光を浴びると弱る→骨格を血液のミネラルで補うのでビタミンを自己
           生成する必要が薄れ、日光耐性が低くなるから。
・ニンニクが苦手→内臓が弱体化したので胃壁が脆く、速攻で腸内細菌が
         死滅する。(ただこれは吸血種が特別キャパが低い
         だけで、現生人類もニンニクは食べ過ぎれば死ぬ。)
         あと吸血種はたいがいの食べ物で消化不良を起こす。
・美男美女ばかり→上述の理由で、色白美肌かつスマートになるから。
・瞳が赤い→日光耐性が減退した結果、アルビノと同じ原理で目が退色して
      赤くなる。光に過敏になるが夜目が利くようになる。 
・金属の杭を心臓に打ち込めばしぬ→正解。ただし誰でも死ぬ。
                 木製でも樹脂製でも死ぬ。
・美しい異性ばかり狙う→吸血種ばかりの文化圏では軽度の吸血行為が
            性的に特別な意味を持つ文化になりうる。
            接吻の延長のようなものなので、まあ恋愛だ。
            あえて狙うなら魅力的な異性に決まっている。
・鏡に姿が映らない。→さすがに映るわ。
・トマトジュースを代用にする→これも嘘。
               代用食にするなら鉄を煮たお湯で
               作った赤ちゃんミルクが妥当。

 どうだろう、ファンタジックな要素以外は割と理にかなっているようだ。

吸血種が実現する理想論の社会

 気づいた読者もいるかもしれないが、彼らが実現するのは「“現代の”人類の理想社会」だ。
 実際にその時代に生きている吸血種が「なんて理想的な社会なんだ!!」と実感しているかは怪しい。
  理想論にも流行り廃りがあるので、現代理想の実現は未来の幸せを保証してくれない。
 だがそれでも、今を生きる我々が「容姿端麗」で「頭脳明晰」で「運動神経抜群」で「不殺主義で生きていく」ことを願う以上、“現代的な理想社会”は実現しうる。
 じゃあ実現した先の、我々の欲望の化身となった未来人「吸血種」は、(古くさい)理想論の社会で何を思うのだろうか。

 恐らく、考えることは大して変わらない。
 きっと彼らもまた、(現生人類の想像のさらに上の)欲望に駆られ、願い続けているだろう。

 10種類紹介した未来人の中で吸血種が特別なのは、冒頭に書いた通り「必要に迫られた進化ではない」ことだ。
 彼らは何を諦めるでも無く、何に抗うでもなく、ただ内なる欲望を叶えるための適当な生態を獲得したにすぎない。
 そこには理想論こそともなえど、納得や満足は生まれない。

 人類が吸血種になるために尽力したことは「渇望すること」だ。
 だからそれによって完成してしまった吸血種もまた、「渇望する」性質から逃れられない。
 それこそ吸血種の真骨頂なのだ(本意か不本意化はともかく)。

 我々の祖先が渇望した「衣食住の十分な世界」。
 それが実現した時代にいる我々が結局満足できていないのと同じだ。
 夢が叶えばまた夢をみる、理想論は更新され続け、肥大していく。
 その繰り返しで人類は発展し続けてきた。

 だからこれからも苦しみ続ける。
 悩み怒り乾き悲しみ、痛みを伴って成長していく。
 吸血種はそんな人類の生態こそ「ヒト」なのだと受け入れた未来人だ。

 吸血種に至る未来‥それは人類が「苦悩することを捨てなかった世界」。
 他の9種の未来人は苦悩を振り切るために覚悟を伴って進化をしたが、吸血種はあえて苦悩し続ける進化を選んだ。
 どんな選択肢の先でも、進化する以上ヒトは苦しみからは逃れられない。
 でもそれでいい。それはまだ未熟で愚かだったはずの旧人類たちの中にすでに「納得した」「満足した」「幸せになった」個体がいたことをよく知っているからだ。
 人間は社会動物だ。
 生物としての充実は進化の先にあるのではなく、個人の苦悩の先にある矮小な現実でしかないことを我々はすでに知っている。

 苦しまなくてよいのなら生物は微生物のままでよかった。
 でも我々の祖先が戦うことを決意した時から、我々は苦悩する生き物として発達してしまったのだ。
 それはいつか未来の果てで克服できるというものではなく、自分自身が個人的に戦わなければいけない現実なのである。

 人間は進化していく。
 でもいつの時代どんな環境でも、人間が手に入れられる精神は不変だ。
 だからこの現代は、理想の未来と同じくらい生きる価値がある。
 未来人に至る人間は、苦悩の中で生きることをあえて止めなかった欲張りさんに違いないのだから。

 『未来人概論』了

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