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#013 南アフリカとボツワナ、二つの異なる世界が私の中で調和している|ベッシー・ヘッドの言葉|Essay

I hope two disparate worlds could be considered to have combines harmoniously in me. I have never been able in my writing to represent South African society but the situation of black people in South Africa, their anguish and their struggles, made its deep impress on me. From an earlier background, I know of a deep commitment to people, and involvement in questions of poverty and exploitation and a commitment to illuminating the future for younger generations. I needed an eternal and continuous world against which to work out these preoccupations. One of my preoccupations was a search as an African for a sense of historical continuity, a sense of roots, but I remember how tentative and sketchy were my first efforts, not finding roots as such but rather putting on layer after layer of patchy clothing. This patchy clothing formed the background to most of my work.
(A search for historical continuity and roots, Momentum: On recent Southern African Writing, Pietermaritzburg: Natal UP, 1984: 278-80)
二つの異なる世界が、私の中で調和して結びついていると考えてもらえたらいい。これまで作品の中で南アフリカの社会を表現できたことはなかったが、南アフリカの黒人が置かれた状況、彼らの苦悩や闘争は、深く私の心に留まっている。南アフリカに生まれ育った経歴から、私は人々への深いコミットメント、貧困や搾取の問題への関与、若い世代のために未来を照らすことへのコミットメントを知った。これらの関心事を理解するために、むしろ不変で永続的な世界が私には必要だった。私の関心事のひとつは、アフリカ人としての歴史的な連続性やルーツの感覚を探すことだったが、最初の努力は一時的で大雑把なものだった。ルーツを見つけるどころか、つぎはぎだらけの服を何枚も着るようなものだったと記憶している。

南アフリカで白人の母と黒人の父の間に生まれ、本当の家族を知ることのないまま政治に関わり、アパルトヘイトの苦しみを散々味わってきたベッシー・ヘッド。当時の作家たちとは違い、ボツワナに亡命した彼女は、ボツワナの農村を舞台にした作品を描く点で十分異色だった。でも、彼女の中では南アフリカにおける強烈な経験こそが、ボツワナを舞台にした作品に織り込まれている強い「メッセージ」でもあるのだ。
そして、彼女は亡くなるまでの22年間をボツワナで過ごすが、その間、少しずつ南アフリカでの経験をボツワナの社会文化的背景で深めていくことになる。
この文章は、1984年。48歳で亡くなる2年ほど前に発表されたものだ。彼女の精神的な旅は、長い時間を経て続いていたのだということがわかる。そしてもちろん、美しい表現だ。

作家ベッシー・ヘッドについてはこちらのマガジンをご参照。

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