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#012 書くことは、男性か女性かという仕事ではない。私はフェミニストである必要はない。|ベッシー・ヘッドの言葉|Essay

I view my own activity as a writer as a kind of participation in the thought of the whole world. … Writing is not a male/female occupation. My femaleness was never a problem to me, not now, not in our age. … I do not have to be a feminist. The world of the intellect is impersonal, sexless.
(Writing out of Southern Africa, New Statesman 15 August 1985: 21-23)

私は、作家としての自らの活動を、世界全体としての思想を共有することだと考えている。書くことは、男性か女性かという仕事ではない。私の女性性が問題になったことは一度もない。今、私たちの時代においても。私はフェミニストである必要はない。知性の世界は個人に関わらず、性別もない。

作家ベッシー・ヘッド研究を始めた遠い昔から、この文章はとても重要だと思っているし、今でもそう思う。

南アフリカで経験した人種差別のおぞましさだけでなく、人間の心の中の悪、善(これは必ずしも二項対立ではないところがポイント)、農村の暮らしの中での抑圧について、ボツワナを舞台に描いたベッシー・ヘッド。

女性が抑圧されている農村の話を描くことが多く、フェミニスト作家として解釈するひとが今でもいるんだと思うが、ベッシーはそれについて非常に強く反発している。もちろん、抑圧された女性のことについて書いている。でも、思想や主義にレッテルを貼られることを何よりも嫌ったのだ。だから彼女の描く政治性や「フェミニズム」は農村社会の中で浮き彫りにされるものが多く、その身近なものを通して描き出したものは、結果として政治的であると言える。ここをあくまでも個人の読者として深く読み取る、というところにこの作家の作品の面白さがある。あからさまな政党政治やフェミニズムの主義主張を書かないからだ。

亡くなって35年経った今でも、読者は「深い読み」を求められる。そんな作品群である。

作家ベッシー・ヘッドについてはこちらのマガジンをご参照。

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