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結婚というもの。結納というもの。

婚姻届という紙を役所に届けることの意味ってなんだろう。

私にとってはの重要事項は、婚姻届を出したらお互いがお互いの国を行き来しやすくなるってこと。

「法律的に夫婦になるってことだよ」って言われたんだけど、あんままだピンときていない。。。

一緒にいることがそもそもままならないから、もっと頻繁に会えたらいいなとか、一緒に長く過ごせたらいいな、くらいのもので。

日本人にとって結婚は、女性を男性の家族に送り出すもの、夫婦で自立するためのものだと思う。付き合う。(同棲する。) 婚約する。男性が女性の家族にあいさつをする。男性は、両親とともに女性の家族と対面する。(結納金や結納品を納める。) 籍をいれる。結婚式をあげる。夫婦2人の生活が始まる。

日本での結婚は「点」「くぎり」なきがする。

ケニアは、家族の繋がりを継続するためな気がしている。付き合う。あいさつする。(婚約? 私は結構曖昧。) 結納を渡し続ける。
結婚は民族によってプロセスでが違うけど、日本みたいに結婚式をやって終わりではない。むしろ結婚式に当たるものが複数回あると考えるべきか、家族で集まる機会が複数回あるというべきか、キクユはそんな感じ。男性は民族や家族のルールにしたがって、女性の家に何回かに分けて渡し続ける。家畜をプレゼントするまで終わらない。いつ結婚したと言えるのか、とても判断が難しい。何回か聞いたけど、すべてのプロセスが終了したら夫婦になれるのか、途中で判断されるのか、よくわからない。

1つ言えることは、プロセスの途中であっても子どもは生まれているということ。そしてプロセスを始める条件になかったとしても、一緒に過ごしたり子どももいたりすることもあること。

ちなみに、結納品やお金の額は、妻側の家族が決めて、夫の家族が言われたものを持ってくる。
妻の母親の家族が、父親家族に要求した以上の結納は、妻側から夫側に要求できないことになってる。だから私も自分のこどもがもしケニアでケニア人と結婚する可能性も考えて結納をもらう。私だけの事だったら、全くもっていらない。結納品や金も、家族の歴史の中で決まるから、私が貰わないときめることは、私のこども(女児)が、自動的に結納をもらえないことになるから。

つまり、キクユ的発想でいくと、結婚はもちろん新しい人生の始まりも意味するけれど、継続する時間と人の関係性の「線」の要素が強いように思う。

じゃあそのもともと線の機能をもつ結婚にたいして、婚姻届ってのは意味をなすんだろうか。

ってのが全然んわからない。
法的拘束力があるってことなのだろうけど。
そんなんいる??
現地の人は出していないんじゃないだろうか。

セネガル人がモスクで結婚式をあげて、結婚した事実を市役所に届ける必要がないのと同じ。

でも結納金の額。
これは決めるのに苦労している。
親がケニアの状況も風景もわからないから。
コロナ下特有のやつだ。

文化の違う結婚は、この映画ほどではないど大変である!

「アフリカン・ウエディング」

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ではでは。


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