かえる。
かえる。
帰る。
日本へ帰る。
2年間の活動を終えて、帰る。
ウガンダから、帰る。
2年。
私にとってこの2年間は決して短くなどなかった。
日本の空港を発つ時は全く寂しくなかった。
それよりも、「やっとアフリカに行ける」
安心というか、感慨深くさえあった。
アフリカに行き野生動物に関わることは
子供の頃からの長年の憧れであり、夢であった。
この2年、日本には帰らないと固く決めていた。
ウガンダに降り着いた時、
1日以上かかったフライトに疲れはあったものの
見渡す限りの黒人と英語・現地語ばかりの世界に
ドキドキワクワクした。
これからの生活、活動に胸が高鳴った。
活動開始とネガティブな日々
ウガンダでの生活は初めての連続だった。
バイクと車の間を縫い、命懸けで渡る道路。
決して良いとは言えない治安。
ゴミや排気ガス、ダストで汚い街。
音楽や人々の声、クラクションでうるさい市場。
無限にタクシーのあるタクシーパーク。
ストリートチルドレンや物売りの人々。
現地の人との値段交渉。
危険な感染症。
スリや盗難。
テロ、事件。
街を歩くときは毎日気を張った。
いよいよ任地に1人赴任した時、
初めて途方もない寂しさと不安を覚えた。
それは大学生で初めて一人暮らしを始めた時とよく似ていて、
でもここは明らかに異国の地で
周りはウガンダ人ばかりで日本人などいなくて
簡単に頼れる人など近くにいなくて。
文字通り1人ぼっち。
緊張と、覚悟と。
期待と、不安と。
なかなか寝付くことができなかった。
高かったモチベーションに反して、
活動を始めてからは耐え忍ぶ時間が長く続いた。
要請内容と現実とのギャップ
なかなか覚えられない人の顔と名前。
心から信頼できる人などとてもすぐにはできなかった。
何をしたら良いか分からず過ぎていく時間。
PCを前にYoutubeを見るだけの日。
頼りにならず無理難題ばかり言ってくるCP。
案を出してはセクションをたらい回しにされ却下され、逆戻りし、良い反応がもらえず、残したい成果が残せない。
自分という存在の価値が見出せない時期が続いた。
スケジュール通りに進まないイベントや会議。
報連相してくれない同僚。
急に入る予定に振り回され期待が打ち砕かれる。
ウガンダ人のよくわからないノリ。
セクハラしてくる別セクションの上司。
100%満足には意思疎通できない英語。
他のJICAボランティアの活躍を見ては感じる焦り。自己嫌悪。
何も上手くいかない。
訓練所を共に過ごした同期の隊員もおらず、
孤独だった。
自分何しにきたんだっけ、と何度も自問自答した。
全然楽しくなかった。
3ヶ月。半年。1年。
過ごしてきた日々に感嘆すると同時に
「これからの長さ」に途方に暮れた。
泣きながら悩みや課題、自分の感情をノートに書き殴った日もある。
活動に身が入らず、ただその1日を生きるのに必死だった日もある。
固い決意と共に日本を出たのに
結局頼れるのは日本の家族や友達で
私1人でできることなど何もなくて
自分がなんと無力でちっぽけで弱い存在か自覚した。
一体何度泣いただろう。
何度嫌だと思っただろう。
何度無理かもなぁと思っただろう。
正直任期短縮だって考えた。
ずっと来たかったはずのアフリカは
簡単な場所ではなかった。
もちろん楽しいこと、面白いこともある。
が、日本と大きく異なるライフスタイル。
食べ物、治安、手洗い洗濯、交通事情。
そこに自分を適応させるのは、少なくないストレスがかかった。
隊員の中では比較的マシといえども、
頻繁に起こる停電や断水。
適応できても快適なわけではない。
文化、言語の違い。
頭で理解できても心が追いつかないこと、
そもそも理解すらできないこと、
分かり合えないこと、許せないこと
価値観の違い、当たり前の違い。
その中での、圧倒的少数側の私。
イライラ、疲れ、失望、葛藤。
あらゆる負の感情と闘わなければならなかった。
国民性の違い。
最初は違って面白かったところも、
長く過ごせば過ごすほど
そういうところが嫌なんだよに変わっていった。
ウガンダ人のプライドの高さ
タイムマネジメント、報連相のできなさ
ビックマウスなところ
計画性の無さ
何度時間や約束、期待を打ち砕かれたことだろう。
体調不良になった時は一気にどん底に沈んだ。
家事や買い物のハードルが激昂した。
信頼できる病院がないことの不安。
気軽に頼れる人がいない不自由さ。
幸いにも日本の薬でなんとか難を逃れたが
体調不良とともに落ち込むメンタル。
今までどうやって健康を保っていたのかすら思い出せない。
家族や友達、大切な人が周りに誰もいない状況で、ここで独り死んだらどうなってしまうかななどと考えた。
日本じゃない国で生きることが
どれだけ孤独で大変か思い知った。
娯楽が少なくやりたいことを好きにやれるような状況ではない。
趣味、旅行、推し活、高級料理、恋愛(結婚)
Instagram、Twitterのキラキラした世界を見るたびに嫉妬と羨望と、醜い感情と闘った。
自分は本当は何がしたいのか?
何が欲しいのか?
自分が何たるか、自分の内面と嫌なほど向き合った。
少しずつポジティブに。
それでも少しずつ少しずつウガンダの生活と配属先に適応し
やれそうなことを探し、「自分の需要」を把握し、
時にごまを擦り相手を敬い手の平で転がし
信頼できる人、自分にできることを増やしていった。
毎日毎日挨拶だけは絶対に欠かさない。
ただの挨拶だけでなく、名前を覚えることや日常会話も欠かさない。
本当に少しずつ関係性を構築しコミュニティに溶け込む。
ウガンダジョークも言えるようになった。
相手を不快にさせない流し方も少しは身についた。
日本では絶対にありえないことが普通に起こる日々。
プロセスを検討してはうまく行かなくなり
3歩進んでは2.5歩下がって、路頭に迷った。
牛歩どころか牛の方が早く歩けるレベルだった。
意味がわからないことの連続で発狂した。
予想の斜め上のことばかり起こってくる。
トラブルに頭を抱え同僚と口論し
人間関係に疲弊し誰にも会いたくなく家から出ない日も会った。
全然進まない何もうまく行かないと途方に暮れ落ち込む。かと思えば全てを諦めた頃に、予想外のサポートや急な追い風が舞い込むこともあった。
やっと人間関係や組織体系を把握し
何が問題なのか?何ならできそうなのか?
誰にどのように頼めばいいのか?把握できてくると
少しずつ少しずつ活動が軌道に乗ってきた。
撒いてきた種が一気に芽吹いて
てんやわんや忙しすぎて目が回る日も出てきた。
自分の中で少しずつ少しずつHow toが出来上がっていき、事前の予測や心算ができるようになった。
ウガンダという国と人を理解し諦め受け入れる余裕が生まれるようになった。
「できないこと」より「できること」が増えた。
「どうせ」よりも「やってみよう」が増えた。
いい意味で自分のプライドが低くなり
挑戦することを怖いと思わなくなった。
しかめ面より笑顔が増えた。
ネガティブな言葉よりポジティブな言葉が増えた。
自分に自信を持てるようになった。
「自分」より「他」を意識できるようになった。
喜びや達成感を現地の人と共有できるようになり
人を頼ることも、人に頼られることも増えた。
自分を評価し協力してくれる人も、褒めてくれる人も出てきた。
ただのボランティアではなくファミリーとして受け入れてもらえるようになった。
冗談を言って笑い合えたり、
プライベートを共有できるような友達もできた。
配属先の外にも友達や知り合いができた。
同国の協力隊隊員さんたちとも少しずつ仲良くなり
色んな人の任地訪問に行かせていただいたり、
一緒にご飯を食べに行ったりお出かけをしたり
ドミトリーで夜遅くまで語り合ったり
「今」しかできないかけがえのない日々を過ごすことができた。
我武者羅に
ひたむきに
一生懸命に
ここまでやってきた。
短くなどなかった。
簡単じゃなかった。
苦しかった。
辛い時の方がきっと多かった。
たくさん泣いた。
悩んだ時間の方が長かった。
それでも、やっぱり楽しいこともあって
たまにある良いことに、救われ拾われ
色々な人に愛され応援され支えてもらって
なんとかここまでやってこれた。
良いことも悪いことも
これでもかというほど毎日、充実していた。
ネタの尽きない、密な2年間だった。
ウガンダが、ウガンダ人が、
嫌いで、でもやっぱり好きだ。
2年前の私へ。
①.たくさん挑戦して、たくさん失敗も成功もしました。成功よりも失敗の方が多分多かったけれど。想定していたよりもかなり失敗したし、思っていたよりも活動成果は大きく残せなかったかもしれないけれど、挑戦することには疲れませんでした。最後までトライし続けました。褒めてください。
②.全然太りませんでした。むしろ痩せました。痩せすぎたかはちょっと微妙なところ(体力も落ちた気がする)ですが日本に帰ったらきっとみんなが色々食べさせてくれるのですぐに戻るでしょう。
③.本当にたくさんの人と関わって出会いました。ウガンダ人も、日本人も、それ以外も。やっぱり海外って、英語を使うって素敵だな楽しいなって思えました。たくさんの素敵なご縁があって、たくさん救われてたくさん愛されて、幸せな日々を過ごせました。私は私で良かったなと、私の意思と進路で頑張ってきて良かったなと思えました。
④.将来何十年後にやりたいことやなっていたい姿はまだ明確には決めれてないけれど、次にやりたいことくらいは見つかったし、自分の人生どんな風に生きたいかについては少しイメージが固まりました。まだまだやりたいことたくさんあるから、焦らず少しずつ楽しく生きていこうね。やりたいことなんでも叶えていこう。
⑤.内面は絶対に逞しくなったし磨かれたと思います。負けない力、耐え忍ぶ力、切り替える力…少し強くなれました。人や自分を愛し許すことも前よりできるようになったし、自分をマネジメントすることが少しはできるようになりました。
外見は、シミは増えたかもしれないけれどそれだって頑張った証で私の誇りです。何より自分自身、前より今の私がもっと素敵だと思えます。
⑥.事件事故には巻き込まれず無事にここまで来れました。本当に良かった!神様に感謝!!病気は、少しだけ体調不良になったけれど、それでも入院が必要なほどの大病にはかからなかったし良しとしましょう。社会情勢(治安、戦争、テロリズム、感染症流行)も含め、やっぱり私は本当に運が良い。2年間生き切ったことが何より偉くてすごい。
⑦.そして2年間、
ウガンダ国内も、任国外旅行も含めて
できる範囲で可能な限り
行きたいところに行ってやりたいことやり尽くしました。
2年過ごしたウガンダを離れること
寂しくない、わけではないけれど
何の未練もありません。
これは胸を張って言えます。
やり尽くし、燃やし尽くしました。
「もう一回この2年間やってみて」
と言われたら。
無理無理。きつい。もうできない。笑
これが今、私の、できるベストでした。
こんなに「生きた」と思える日々はありません。
私にとってこの選択で良かったと思うし、
この要請、配属先で良かったし
この同期、同国隊員に恵まれて良かったし
ウガンダに来れて良かったと思う。
一生物の出会いと経験ができた。
協力隊に応募して、
活動して良かったと思う。
幸せな幸せな2年間でした。
今まで応援してくださった方へ
私の正真正銘の知り合いの方も、
SNS経由で知り合ってくださった方も、
Noteをフォローし読んでくださった方も。
今まで本当にありがとうございました。
何度も繰り返して恐縮ですが
私1人だけでは決してここまでやってこれませんでした。
皆様からの温かい言葉や、励ましや、叱咤や、応援や労りの言葉が強く強く支えとなり、なんとか2年間の任期を全うすることができました。
心より感謝申し上げます。
(時にはダークな私が出た時もありました。)
ウガンダでの生活・活動はここで一区切りとはなりますが、新しいこれからの未来に向かって、
今後もちょくちょく何かしら記事を書いて揚げられたらと思います。
いつかどこかで皆様にお会いすることがあるのかもしれません。
今まで書き留めたNoteが
誰かの何かに届き役立ちますように。
皆様の言葉がそうしてくださったように、
私の言葉が誰かを支え背中を押すものになりますように。
「帰る時、『帰りたくない』と泣けたらいいな」。
いつかのNoteで書いたこと。
どうやら達成できたみたいです。
あーーー。
辛くてしんどくてキツくて煩わしくて
でもとっても楽しい楽しい750日でした!!!
それでは、日本へ帰ります。
あ、あと最後に。
2年間無事でいてくれてありがとう
私のスマホとPC !!!!!(切実)