イルカショーで泣きそうになるなんて、思いもしなかった。
2頭のイルカがプールから飛び上がった。きれいな弧を描いてまたプールに戻る。大きな水飛沫とそれ以上の拍手。
とても幸福な土曜日だった。それなのに、なぜか涙がこぼれそうになる。
それは、海沿いの水族館らしい潮風のせいではない。イルカショーの何かが刺さってしまったからだ。
イルカショーを見るのは大学の卒業旅行以来だった。その時は、大学の同級生たちと水族館を訪れ、イルカショーをみんなで鑑賞し、それからお昼ご飯に地元の名産を食べる。そんな流れだったはずだ。
ただ、そのイルカショーを見たくはなかった。動物が餌に釣られて、やりたくもない芸をさせられて、それをお金に変えている。そんな光景を見るのがどうしても嫌だった。
考えすぎだったろうし、潔癖すぎたのだろう。それでも、自分にとっては大問題だった。その少し前に、就職をするか、学生を続けるかの二択で迷いなく、学生を選んだのも、同じように、この潔癖からだったはずだ。
だから、その時も同級生と席を並べて、イルカショーを見ながらつまらなさそうな顔をしていた。
ジャンプをしたり、回転をしたり、手を振ったり、背泳ぎをしたり、そんな技をするたびに、イルカたちは魚をもらう。毎回、必ず。
そんな魚という報酬があることは暗黙の了解として、観客たちはイルカの技に感嘆する。
その都合の良さに納得ができず、イルカショーではどうしても魚に目がいってしまう。イルカが求め、その口に放り込まれる魚に。そして、彼らはこの報酬のために動いているんだと感じてしまっていた。
こんな記憶にフタをしながら見始めたイルカショーは、自分の知っているものとは全く違うものだった。
それは、イルカショーの司会をしていたトリーターさん(飼育員)の言葉に表れていた。
「イルカショーの中でも、そして、普段から、僕たちはイルカたちが楽しいと思うことを探し続けています。それは、魚をあげなくてもできること、イルカたちが本当に楽しいと思えることを一緒に探しています。なので、ここから少しの間、魚なしでのショーになります。ぜひ見守ってください。」
グサッときた。
そこからは、イルカの口にシャワーの水を当ててみたり、イルカと水の掛け合いっこをしてみたり、ステージの縁を一緒に転がってみたり、見たことのない遊びがたくさん繰り広げられた。
そして、それらはどれも地味だった。ジャンプよりも、回転よりも、手を振るよりも、圧倒的に地味だった。だからこそ、素敵だった。
この間、全てのトリーターさんは、魚を入れているケースをイルカの視界から外して、ただの人間とイルカになっていた。もっと正確にいうならば、いきもの同士になっていた。
イルカたちに誰よりも近い彼らが、魚とイルカショーの関係に無自覚であったはずはなく、そして、それを乗り越えようとしていなかったはずはない。それなのに、その可能性を考えなかった自分を恥ずかしいと思った。
そして、イルカと仲良くなることを決して諦めない姿勢が、あまりにかっこよかった。
わたしたちはイルカと、コミュニケーションを取れない。少なくとも言葉では。そして、コミュニケーションを取れない限り、コミュニティを作ることはできない。友達にもなれない。仲良くもなれない。そんな限界を考えていた。
そこには、自分が作り上げた常識があった。言葉が同じだから通じ合える。趣味が同じだから好きになった。話し合えば分かり合える。
これらの考え方が悪いわけではない。しかし、その逆を否定してしまえば、私たちは可能性を捨てることになる。
話し合えないのならば、分かり合えないのだろうか?
趣味が理解できない相手とは、仲良くなれないのだろうか?
好きなものが違ったら、一緒にはいられないのだろうか?
私たちはどこかで制約を作る。そしてその制約を規範と呼ぶようになったものが、私たちの社会だ。かつて、身分が違うものとは結婚できないという制約があった。その制約を集めたものが社会だ。
今、私たちは決して生きやすいとはいえない社会を生きている。その背景には、無自覚の制約がたくさんあることだろう。
たとえば、イルカとは分かり合えないという制約を作り出していた私のように。
この社会には、イルカとも友達になれる、少なくともなろうと試行錯誤している人たちがいる。それは私が越えることができないと思った制約を乗り越えることだ。そして、私にもそれができると教えてくれることでもあった。
私は、制約を一つ捨てた。涙と一緒に。
温くなったビールをゆっくり飲む。これもまた悪くない。
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