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人生の半分を損しているなんて言うくらいなら、葱餅を食べる。

電話の向こうでは、泣き声が聞こえる。その泣き声を捉えるように、席を立ち上がり、レストランを出る。

店の前には、年始らしい賑わいと人通りがあった。そこに泣き声の主はいない。見えないと分かっていながら、あたりを見回す。そして、もう一度、電話の向こうへと耳を澄ます。

「ゆういち、どこー!」

姪っ子の声が耳をぶん殴ってくる。ベソをかきながら、何が欲しいか明確に主張している。その声の強さをいつも羨ましいと思う。

電話越しに姪っ子を励ましながら、レストランに姉家族がたどり着いたのは、それから5分も経っていなかった。そして、その5分の間に、あの涙はすっかり蒸発して、笑顔になっていた。

新年の挨拶やら近況報告などをしているうちに、テーブルには次々と注文した料理が運ばれてくる。さすが、台湾料理店。全ての料理がとにかく早い。

運ばれてくる料理の一つ一つを見ながら、姪っ子は質問を繰り返す。

「これなに? これは? こっちは? じゃあ、これは?」

子どもながらの好奇心で、目の前のものを知りたいのかなと思い、食べてみたら?と言うと、グッとこちらを睨んでいる。

なんでも、姪っ子は警戒心がとても強く、自分が知っているもの以外は口に入れたくないそうだ。だから、目の前の見たことのない料理たちが、一体何者なのか、質問を繰り返していたのだ。

そんなこと気にせず、食べてみたらいいのに。そう思って、食べさせようとすると、首を横に振るばかり。

もったいない。そう思った私は、姪っ子にこんな話をしてあげたいと思った。というのも、自分もずっと好き嫌いが多く、特にナスが大の苦手だったからだ。

ずっと嫌いだった茄子を、茄子好きの友人に勧められて一口食べてみた。なんでもそのお店の茄子はとても美味しいから、と。そうすると、今まで食べなかったことが信じられないと思うくらい、美味しくて、驚いてしまった。それ以来、茄子が大好きになった。という経験を思い出していた。

こんな話をすれば、きっと好き嫌いを減らす努力をするかもしれないと思っていた。

そんなことを考えているときに、葱餅が運ばれてきた。これには、好き嫌いの多い姪っ子も飛びついて、おかわりまでするほどだった。それを美味しい美味しいと言いながら、目をまさに皿のように開いて食べているその様子を見て、さっきまで思っていたことがどうでもいいことに気づいた。

好き嫌いを減らした方がいい、知らないものでも食べてみたらいい。そうすれば、今まで知らなかった美味しさに出会うことができる。これは確かに正論かもしれない。けれど、この正論は誰かから押し付けられていいものだろうか。

特に、姪っ子のように、自分の判断基準がしっかりしていて、それを大切にしている人に対して、その判断基準がおかしいよなんてわざわざいう必要があるのだろうか。

私が姪っ子にかけようとした言葉は、今の状態よりも良い状態があると伝えることだった。こっちの方が楽しいぞ、こっちの方が面白いぞ、と。それは、今の姪っ子を否定することでもあった。


たまに聞くフレーズで「人生の半分を損している」という言葉がある。それは、特定の食べ物が食べられなかったり、苦手だったり、もしくは、特定の趣味やイベントに参加したことがないことを、勿体ないというときの表現だ。

魚が苦手で食べられないーーー人生の半分を損している
柑橘系のフルーツが好きじゃないーーー人生の半分を損している
あの漫画を読んだことがないーーー人生の半分を損している

多くの人が言われたことがあり、もしかしたら、言ったこともあるのかもしれない。自分にとって大切なものを、相手が否定したり断ったりした時に、ついつい口から出てしまう言葉でもある。

しかし、よく考えてみれば不思議な言葉だ。その人の人生はいつだってその人で満ちている。どの時間も、どの瞬間も、何をしている時でも、その人の人生はその人のものだ。

だから、自分の人生が半分無かったことなんて絶対にない。あるとしたら、魚を食べる人生、柑橘系のフルーツを食べる人生、漫画を読んだことがある人生という、全く別の人生だ。決して、その二つに優劣はない。

そもそも、他人の人生を勝手に計量すること自体がとても失礼なことだ。それが、半分だろうが、1/4だろうが、1%だろうが、どんな大きさだったとしても、人生を計量しようだなんてあまりにも身勝手な話だ。

そんなことを考えているうちに、葱餅のお皿はおかわりしたものも含めて、とっくに空になっていた。


おかわりした葱餅を口いっぱいに詰め込んで、とろけそうになっている姪っ子を見ながら、余計なこと言わなくてよかった。そう感じた。

後日、姉から連絡が来た。あの葱餅を作ってくれとせがまれて困っているから、作り方を聞いといて、と。


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