学生から社会人へ、その振り返ることのできない跳躍の先にあるものと短歌

好きだったスープは今も好きなんだ社会に出ても平気でごめん

『悪友』榊原紘


社会に出る。ここでは、おそらく就職することをいうのだろう。

学生から就職するという変化には、学生にとってあまりに激烈である。その変化の激烈さに嫌気がさして、社会に出ることを拒むことをモラトリアムと呼んだのはもう過去の話なのだろうか。

大学をわざと留年をしたり、大学院に進学したり、別の学校に入り直したりする人たちが、私が学生の頃には多くいた。そして、私自身も大学院への進学や留学など、モラトリアムを繰り返した。

この短歌の主人公も、社会に出ることは自分を根本から変えてしまうことだと信じていたのだろう。学生の頃に好きなスープを、もう美味しいと感じられなくなり、友人たちと意味もなく明かした夜に胸が躍らなくなり、大切な人のために流した涙も乾いてしまう。

そんな変化が起きると信じていた主人公に、果たしてその変化は訪れなかった。

学生の頃好きだったスープが今も好きのままだ。それは、喜ぶべきことなのか。確かにそうかもしれない。しかし、主人公は、申し訳ないと思った。

あの時代を特別だと証明できなかったことに。

今、この瞬間に、あなたと味わっている、だからこのスープが好きなんだ。そんな特別は、学生という奇跡のような時間に封じ込めたままでいたかった。そして、そうなるはずだとお互いに信じていた友人や恋人を裏切ってしまった。

社会が、労働が、上司が、付き合いが、しがらみが、世の中が、自分を変えてしまうはずだったのに、あの頃の純粋さは失うはずだったのに。そして、純粋だったからこそ、あのスープが美味しかったはずなのに。

自分は意外と平気だった。そのドラマにもならない、変化でもないと気づいてしまった主人公は、ひとりでごめんと呟く。誰にでもなく、おそらく、あったはずの特別な時間に。


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