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20代海外メインで過ごし、30代日本のスタートアップ初期メンとして働くafiaの自己紹介

はじめましてafiaです。
これまでわりと稀有な経験をしてきているものの最近あまり言語化していないため、過去と現在の経験をもう少し血肉にしたいなと思い、noteに記しておこうと思います。まずは自己紹介から。


1. 大学時代|海外欲が爆発

大学3年のとき、学校のプログラムで初めて海外に行きました。
イギリスのカレッジに3ヶ月通い、単位交換できるプログラム。
そこから海外欲が爆発し、卒業までの1年半で、旅行でスペイン、イギリス、N.Y、インドのマザーテレサの家でボランティア、東南アジア周遊を経験しました。

2. 20代|アフリカと東南アジアメインで過ごす

多感な時期にインドに行ってしまったため?か、途上国へ関心をもち、将来は国際協力の世界で仕事をしたいと思うようになりました。
「日本人としてできることはなんだろう?」と、わりと意識高めなことをおもっていたことをよく覚えています。

JICAや国際協力銀行など受けましたが願いは通じず。卒業後は日本のベンチャー企業に就職しました。

就職してから1年ちょっと経ったころ。大学の仲のよい友だちから「青年海外協力隊受けてみたら?」と勧められました。当時はどんなものかよく理解しておらず「どうせ井戸でも掘るんでしょ」ぐらいに思ってましたが、何回か勧められるものだから調べてみると、国際協力の道に進むための一歩として相応しいことがわかり即応募。専門経験不問でも応募ができる村落開発普及員(現コミュニティ開発員)に応募しました。倍率がわりと高めなので受かるかドキドキでしたが、ストレートで受かり合格通知とともに退職を告げました。

そこから、西アフリカのガーナに2年間滞在。
JICAの技術協力プロジェクトである参加型森林保護プロジェクトの終了後に派遣され、森林局のとある地方事務所で活動しました。
(ちなみにafiaとは、滞在国での私のガーナネーム。とても親しみがあって好きなので今でも使っています。)

国際協力の業界では修士号が求められることから、帰国後は開発学に強い英国の大学院に留学することを決めていました。ガーナ滞在中にいくつかの大学院から条件付き合格を取得。しかし、留学費用と英語スコアが少し足りなかったこととあるご縁から、日本帰国後は前職にアルバイトで1年戻ることにしました。

それが大きな進路変更するきっかけにもなり、結局留学は断念。国際協力の道を歩むことも絶ちました。
代わりに、ミャンマーに新たに進出する話しがあったため、「そんな国にいくのは自分しかいない!」と鼻息を荒くし、再度正社員にもどることを決めました。20代そこそこの自分に行かせてもらえるのかと不安はあったものの、社長や上司に直談判?根回し?をして無事に駐在が決定。
結果4年弱ほど駐在し、現地で新規事業の立ち上げを経験しました。

駐在といっても、現地法人も連絡事務所もなく、ミャンマーのパートナー企業に出向するような形で、かつ日本人は自分一人のみ。パートナー企業の人たちがみな優しくてとてもウェルカムだったのでなんとかやってこれましたが、ビジネス環境が整っていなく、現地を知るのは自分のみ、事業を担った経験もなかったためよく一人で枕を涙で濡らしていました。(今になれば本当によい経験です)


3. 30代|日本のどスタートアップの初期メンに

3年が過ぎた頃、自分の力ではこれ以上事業を大きくすることはできない、という諦めとやりきった感とともに退職を決意。駐在中に転職活動をしていたもののうまく進まず、次の進路を決めずに帰国しました。

結果7ヶ月ほど仕事もせずふらふらしていたのですが(これはこれで辛い経験だった)、ご縁あって今のスタートアップに出会いました。

これが稀有な出会いだったのですが、仕事をしていない期間、私は現職のスタートアップが当時β版で提供するあるサービスのエンドユーザーでした。
そのサービスを使っている人(サービスのお客さん)をFacebookでフォローしており、ある日その人が、一緒に仕事する仕事仲間を募集する投稿をしていました。しかしそれはインターン生の募集。しかも3ヶ月無給。次の仕事は何も決まっていませんでしたが、インターンといっても年齢は問わなかったし、何よりすごくワクワクしたため即応募。

面接にいくとなぜかたくさんの人が。そこに現職の社長がいて、結果的に今のスタートアップにジョインすることにしました。(そのサービスのお客さんは社長の親友・共同創業者であり、インターン生の採用活動を手伝っていたことを後で知りました。)

ジョインといっても当時はまだ会社がなくて。会社名を調べてもWebサイトもないし何も出てこず、仕事内容もさっぱり。ただ、これから会社をつくってサービスを伸ばそうとする段階であること、クリエティブよりな仕事、ということだけはわかり自分の興味と合致してジョインを決めました。

今でも鮮明に覚えているのが、この道を進むかどうかでその先の人生が大きく変わるだろう、という感覚があったこと。条件だけでいったら美味しいものは何もないのに、ものすごくワクワクしていたこと。絶対こっちの道に進みたい!と強く思っていたことを覚えています。

インターンの募集と聞いていたので、雇用形態も給与も何も聞かずに参画することを決めました。
(1件目の担当案件の初期費用が振り込まれた3ヶ月目にアルバイト代が振り込まれており、半年後には無事正社員になれました笑。創業期ならではのよき思い出です。)

そこからは、少しずつ会社やサービスが大きくなり、創業期らしいスタートアップでの経験を積んでいます。職種の名前もなかったので、みんなで話し合って自分たちで決めてきました。

初期メンあるあるですが、本当に何でも屋で。ただ、それが好きでもあり強みでもあります。
何事も一生懸命に取り組みたい自分としては、がむしゃらにやっていたら必然的に創業者と一緒に仕事をする時間も増えて、4年ぐらい経った頃に社長室をつくることになり、そこからは社長室を務めています。

何でも屋であることは今も変わらずで、試行錯誤の毎日です。
今後の記事では、どスタートアップの日々の学びを記していこうと思います。


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