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【第6回】今日、何ひろう?~新しい知覚のフレーム~ コラム:水族館

第一章 世界の拾い方

第一節 世界の切り分け方(見えているもの・感じるもの)

コラム:水族館


〇水族館

我々人間は普段、固い地面に支えられ、自由に動くことができる空気の中に生きている。水族館に行くと、媒質の違い・包囲光の違いが生物の形を定義していることを強く意識させられる。我々が当たり前だと思っている固い地面はなく、空気よりも抵抗があり光も減衰する水の中で水中生物は生きている。その構造が、生物のカタチを決めていることを改めて考えさせられる。

水中でゆらゆら動く魚たちを水槽から覗く。海洋生物に対する知識がない中で、勝手にアフォーダンス的に考えると、環境とカタチの関係性のいくつかを分類できそうだ。あくまで環境とカタチなので一般的な分類とは異なると思う。

〇水中を移動する生物

(ア)   水面に水平に移動する生物
水という媒質から受ける、四方八方均等な強い圧力をどう処理し、前進したいのか、という観点でカタチの意味が理解できる。

①      垂直面にペタンコ:我々が食す多くの魚はこれだろう。先端(口としっぽ)が尻すぼみで真ん中が分厚い。波の大きさに対してそれよりも小さい生物であれば、タテに垂直のほうが体を左右に揺らしてスピーディに移動できるからこの形になったのではないか。

②      水平面にペタンコ:おそらく身体が大きくなると、横からの波の圧力によって横向きにならざるを得なくなったので、、水面に水平に広がっていったのではないかと考えられる。エイなどは、身体をうねって動く垂直型ではなく、重心は変えずに手のような部分を上下に動かしながら移動している。水の圧力をうまくよけながら前に進む機構を獲得したのではないか。

③      三角錐:より大きくなるか分厚くなろうとすると、サメのように三角錐の組み合わせのような形になるのではないか。スピードをあげていくと、薄っぺらいよりも太い線のほうが水をうまく切れそうである。しっぽと胴体の動きが垂直型よりも独立しているからスピードを上げることができる。スピードが上がってもぶれないようにかっこいいヒレで調整している。イルカ、サメ、それぞれかたそうな表面なのも、スピードに耐えうるからか。

④      球体:チョウチンアンコウなど、自分が主体的に動くのではなく、待ち構える形で進化した生物は、自分の中に養分をため込んでおきたいので、球体みたいに広がったのではないか。

(イ)   水面に垂直に移動する生物
四方八方から受ける強い圧力を、内臓器官からくつがえし、溶けようという試みも海の中では行われているように思う。

①      円型移動:クラゲのような生物は、水中の圧力をどのようにかわしたかというと、身を詰めるのではなくて極力薄くなろう、水に近くなろうとしたのではないか。近くなった結果内臓を極力減らしながら、波の動きに近づいて行ったのではないか。クラゲの断面を見ると、まるで波打つ水のようである。その流れに身を任せる事のみに集中した結果、半分球体の形になり、そのなかに内蔵など様々な機能を詰め込むことをしたのではないか。

②      軸&ヒレ移動:クリオネなどは、同じく水に近づこうとしたが、波の渦巻きに巻き込まれる時の、ないしは渦を創るときの動きに近づいて、その中心に自分の生きるに必要な器官を置いたのではないか。

〇水中地面の付近を移動する生物

(ア)   水中地面を移動する生物:カニやウニなど、地面との接地面を極力減らしながら、波の動きに身を任せることができるくらい細い脚を使って動いているように見える。その中でも、捉えた獲物を話さないために、ハサミがあったりウニのように長い針があったりする。流されることを前提としたデザインが興味深い。

(イ)   水中地面にへばりつく生物:水中は様々な生物が流れたり流されたりするから、イソギンチャクのようなゆらゆらとなびいているものも生物を捉えることができる。地表では花粉を待つ花のような仕組みではなさそうである。ヒトデのように、水中は流されやすいから逆に全身でへばりついて地面付近の生物を食うものも進化したのだろう。貝は固い甲羅で自分の身体を守りながら、生き延びている。

(ウ)   水中地面から顔を出す生物:重力という概念が弱い水中であり、地面も固くない、水が入りこむだけの柔らかな地面であるから、へびのように細い胴体であれば身体を動かすことができるようだ。にょきっとはえるチンアナゴは地表にはない動きで可愛い。

〇水面と地上と行き来する生物

(ア)   水面小動物:その水族館には水面付近を移動する生物のバリエーションが少なかったので想像しにくかったが、アメンボのように水面付近に潜む生物がいる。

(イ)   水面大動物:カワウソ・ラッコなど水面に浮かびながら生きている大動物がいる。やっぱりこっちのほうが生態系から逃れつつ、貝のようなおいしい食事があるから逃れてきたのではないか。

(ウ)   地表大動物:水面と地表の境界にはたくさんの動物がいる。それぞれ両方で生きていけるが、基本は地表で生きていけるような足があり、顔があり、胴体が重力によって定義されているように見える。そのなかでもカメ、ペンギンは地表より、、オットセイは水中よりで、このあたりの境目を見ていると非常に面白い。

包囲光と海の生物

カタチだけではない。暗い水中の中でお互いの生物同士が交配するために、地上世界よりもさらにカラフルで美しい模様が目立つ。包囲光配列が地上とは異なってさんさんと太陽の光を照らされることはないため、生きるための様々な工夫がそちらのエネルギーとして使われているように思う。イソギンチャクやヒトデがカラフルだから、そこに溶け込んだり目立つように自分の色を変えたり、見ているだけでその自然の強靭なうねりを感じざるを得ない。

ということで、水という媒質が、包囲光を定義し、生物のカタチや色を定義していると考えると、我々の世界も全く同様のことが起きていると考えてよい。つまり、人工物という物質と空気という媒質が、包囲光を定義し、人間の身体や精神を定義していることを改めて認識する。やはり腰痛や生活習慣病は、自分が悪いのではなく、環境が健康悪化を促進しているのだから、それにあらがわないと健康は戻ってこないのである。

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