正義と悪は表裏一体
私が今回コートジボワールに行って、すごく信頼していた人に裏切られるわけなんですけれども、これって別に今回に限ったことじゃなくて、なんだかんだと毎回行くたんびにそういったことが起きます。
で、そのまぁ結局裏切られたっていうのは、こちらの、こちらサイドのこと、私の感情、私の受け取り方、もしかしたら相手側にしてみたら裏切ったと言うことではないと言う可能性があるって言うことを改めて考えるわけなんですね。
そして今までのことも振り返ってみると、結局その裏切、嘘をつかれたとか事実が違かったとかっていうことも、結局向こう側からすると、こちらのことを考えての嘘だったりとか。こちら側のことを考えて、事実とは違うことを言ってくる、やってくるっていうこと。たくさん今までもありました。
その中で、やっぱりその、結局人間は絶対に、自分ありきで自分の立ち位置から物事を考えてしまうので、そこでおそらく多くの方々が同じようなことになってくると思うんですけど、それもこれも全部なんかみんな生きるために必要だったこと、と言うふうにこちら側が捉えてしまえば、仕方ないかなとか、そうなるよねって言うふうに感情を変えていくことができるかなって思いました。
感情を、ね、そうやって置き換えて行った時に、結局残ったものがコートジボワールに行きたいと、またここに早く戻ってきたいっていう。
そういう気持ちだけが残るので、毎回毎回コートジボワールっていう国に行くんです。
今回に限っては、当然傷ついたりとか、悲しいとか、そういう負の感情が起きるような出来事があると、毎回泣きつきに行く親友の家がありまして。
彼女はもちろんコートジボワールに住んでるアフリカ人で、それぞれそのアフリカ人ていうのはこういう人たちだって言うことをよく知ってて。
もちろんね。自分も含めてよく知っていてね。その彼女にね、もういい加減学びなさいよと諭されたの。
ほんとにそうだなと実感しました。
ただね。
そういった失敗というかそういった出来事そういう方達との付き合いを通して学んだって言うこともたくさんあるので、いわゆる私が一夫多妻に賛成と言うか、日本での生活が落ち着けば現地に奥様を迎えてもいいなと思っていたって言うところにたどり着くんですね。
そんな形で、正義と悪っていうのはその人の立場から見たものっていうのがほとんどなんだなぁって言うことが改めてわかったような気がして。
人間として生きていく上で必要なことに気づき、それから自分自身に起こることが全て意味のあることなんだなぁって言うふうに感じることができた。
そんな私のコートジボワール 渡航でした。
レン
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