見出し画像

無意識のレッテル

社交性のある人と聞いてどんなイメージを持つだろうか。

誰とでも仲良くできる、人の輪に積極的に入っていく、話が面白い、テンションが高い、人見知りをしない、明るい、ポジティブ、ノリが良い...そんなイメージを持つことが多いように思う。

知らないことを知るのが好きな私は、週末によく様々なイベントに出かける。
イベントといってもWSのようになにか作ったり考えたり、ペチャクチャナイトのようなカジュアルなプレゼンイベントだったりするのだが。
そして、その場で仲間を作って、話が合えばその後出かけることもある。

こんな話をしていると、よく社交的だね~!!と言われる
確かに、人の輪に積極的に入っていくという点では社交的なのかもしれない。
しかしながら、私は話が上手いわけでもないし、ノリが良いかどうかは案件によるし(興味さえ持てば驚かれるぐらいフットワーク軽い)、正直なところ誰とでも仲良くなれるわけではない。それなのに、人の輪に積極的に入っていく性格、だけで社交的な人が備えていると想像される要素を全て持っているかのように扱われる。

りんごは果物の一種であるけれども、りんごは果物の全てではないように、積極性は社交的な人が持つ一つの要素ではあるけれども、積極性を持つ人は社交的な要素を全て兼ね備えているわけではない。




ステレオタイプで決めつけるのは良くないという議論がある。このときのステレオタイプは女性や男性、人種など目に見えてわかりやすいものだけに注目していないだろうか。社交的な要素を持つ人は〇〇な人だ。これも立派なステレオタイプの押し付けだろう。私たちは日々、無意識のうちに一部の側面を見て、その人の性格を決定し、レッテルをはっているそんな風に思うのだ。

更にこのレッテルは他人からだけでなく、無意識のうちに〇〇であるべきだと自分自身に課してもいないだろうか。




よく私は意外と内向的なんですよ~、わたしが意外とネガディブ思考で。というような会話がなされている。この会話は、人の一面を見てその人の性格を勝手に作り上げているために、弁解せざるおえなくなっている状況を表していると思う。同時に、自分の想像する像からずれていることを弁解している状況でもあると思う。

わたしは篭って考えるのが好きな一方で、自分が共感したり、ワクワクする人たちと会って議論したいという欲求もある。内向的・社交的性格の各要素を少しづつ持ち合わせている人だと自分で感じている。

このように、私たちは性格診断のようにはっきりと区別できない要素を持ちながら、日々生きている。それを無理に統合しようとするから、しんどくなったり、無力感を感じてしまうのではないだろうか。
無理に〜な性格と自分も周りも当てはめることなく、それぞれの一面を大切にしてく。性格のレッテルにとらわれず、自分の要素をみつめることが自分らしく生きる上で重要なんだろう。





いただいたサポートは他のクリエーターさんのサポートやマガジン購入に使わせていただきたいと思っています。 noteを通じて、みんなの気持ちが少しでも豊かになりますように。