雰囲気イケメンに惹かれる理由
今日の休み時間に池田さんの記事を読んだ。
僕は、ココ・シャネルが遺した「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生き様。だけど50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る」という言葉が好きです。
大人になったら、その人の生き様が、顔に出る。
若い頃の顔は大半が遺伝でしょう。でも、20代後半から30代にもなれば、少なからず(というか、かなり)その人の性格、個性、キャラクター、信条などが、内面の一番外側の外見として顔に出てくる。目(ぢから)に出てくる。
-"30歳を超えたら自分の顔に責任を持とう"より一部引用
これを読んだときに、イケメンより雰囲気イケメンがモテるのは、イケメンの外見アドバンテージを超えるだけの、生き様が雰囲気として現れているからだろうなと思った。
雰囲気イケメンは、自分に合った服装かつ社会的にも受け入れられる服装・ヘアをしており、自分のコアをもっている。熱中している瞬間、一生懸命な瞬間、ふとしたときに雰囲気イケメンはその魅力を最大限に発揮させている。
私の好きなNetflixの番組にクィア・アイというものがある。
5人組のゲイが依頼者の課題を解決するために、共に課題を見つけ・考え・行動し、依頼者が大変身を遂げるストーリーである。
依頼者の多くは外見や服装に改善の余地があり、ストーリーの中で美容やコーディネートに気をつけることで外見も大きく変わっていくのだが、この変身劇は単に外見を変えるだけで行われているものではない。悩みを考えたり、一緒に身の回りの生活・ケアを考えることで、雰囲気も大きく変わっているように感じる。課題を抱える人が、社会的に行動できる人に変わっていく。まさに彼・彼女らは、雰囲気イケメン/美女になっていくのだ。
ロマンチックじゃないなと思われるかもしれないけれど、人は本能的に古典的な生存戦略を基にパートナーを選んでいると思う。
美形や健康的な容姿は、健康の象徴であり、元々の自然社会で生き残りやすいことからモテる主因となったと思う。しかしながら、今の社会では、一定レベルの健康度合いがあれば後は医療がサポートしてくれる。(少なくとも現在の日本では。)
その中で、現在の生存に重要なのは、変化する世の中で自己を守れるだけの意思/行動力だと思っている。雰囲気イケメン/美女は自身の思想を持ち行動しており、本能的生存戦略による恋愛の場においてもモテると思うのだ。
クィア・アイの変身劇が示すように、雰囲気イケメン/美女は心がけ次第でなることができる。イケメンじゃないから、美女じゃないからとぼやく前に、雰囲気イケメン/美女になることを考えるべきなのだろう。
とやかくいう私も雰囲気美女かと言われると怪しいので...自分への戒めも込めてこの記事を締めたいと思う。
引用させていただいた池田さんの記事では、形式的・実質的平等の下における、不平等については自身で責任を持つという考え方等他にも素敵な概念を論じておられますので、ぜひ本文も一読してみてください。
勝手ながら引用させていただいた池田様、ありがとうございました。
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