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高校・大学・専門学校 卒業入学式ができなかった人の為の無料撮影会 開催にあたって

イベントページ https://www.facebook.com/events/3111892032262098

世界的な新型コロナウイルスの流行で、当たり前だった日常が大きな川の向こうのテーマーパーク感じられる日々が続いていますね。

私は広告や雑誌媒体のフリーランスフォトグラファーをしているのですが。
今年3月から経理や総務のような仕事ばかりで、人前で職業はカメラマンです!と云う時、少し歯がゆいような気分になっているのが現状です。

個人事業主である私の2020年3,4月は、補助金や給付金の申請の手続きでなんとか、社会人として形を保てきました。全ての申請が済み、ぼちぼち公の機関からお金が振り込まれて来る時期になると、自分が撮影を全然していないことに気がつき、なんとも言えないモヤモヤ期に入りました。

私の中の社会人像は、人の役に立つ振る舞いをして、その報酬として多少のお金を頂戴して自分の生活のやりくりをする。というものですが、今回のコロナウイルスの影響で、人の役に立てる機会が劇的に減るという事態になっています。

経済的には、幸い日本に住んでいたおかげで結構な補助金の借り入れや給付金があり経済的には困窮しておりません。
しかし、そんな状況で1人狭い部屋の中に閉じこもっていると、急に世の中からはじき出されたような気分になります。フォトグラファーという職業は、現場主義の仕事でメールや電話のやりとりで伝えきれないクライアントさんの思いを形にすることです。
だから、撮影現場には色々な分野のプロが集まってあーだこーだ言いながら仕事を進めるのです。
この進め方で行う仕事は個人的にかなり減ってしまいました。

イベント撮影、取材撮影もほとんどない状況です。
現在40代前半独身の私の人生の中心を、コロナウイルスの流行にもぎ取られたというのが現状です。

思い返せば、図工が得意で民間のコンクール入賞の副賞として、アメリカのマークトウェインの故郷を訪れる経験してから美術系の仕事につくんだろうな?と思い描いていた中学時代。
高校進学時期には美術の先生に工芸高校を受けてみれば?との声掛けもありましたが、当時バブル渦中の日本では“高学歴・一流企業への就職”ステイタスとされていた事もあり、私は特に意思もなく多くの大人の意見に従うことで10代後半に人生のブラックホールに入っていくことになりました。

高校2年生夏休みの三者面談で、大学は最後の修学機関だから将来に繋がる学部を選びなさい、と担任から選択肢を提示された時私は、はっとしました。
将来のビジョンなく学校に通っていた私には、大学の学部を決めることができませんでした。
親から期待とお金をかけられていたのですが、その期待を解くように2年間の浪人生活を経て夜間の大学に通うことにしました。
2部を選んだ理由は、経済的負担も少ないし昼間に自分探しの時間もあるという理由からでした。

大学に入学してすぐにデザイン会社のアシスタントのアルバイトの面接を受け始めました。
浪人時から自分はものづくりの仕事がしたいと温めていた思いを具体化するためにです。
しかし、4月から7月まで1週間1度は面接に行きましたが採用通知を受ける事はありませんでした。

それならば勉強を頑張らねば!と思い、大学の授業には出席していたのですが、学科の根幹となるC言語の授業がチンプンカンプンで、授業中に隣席の同級生に質問すると、さらりと答えを教えてくれました。話せばその同級生は、既に自分でC言語を使ってシステムを組んで企業に売っていることを知りあっさり挫折しました。それ以降、入学式の時に唯一声をかけてくれた写真サークルに入り浸ることにしました。
 
 入り浸り始めた写真サークルの先輩には写真を職業にしている人がいたこともあり、プロへの意識はすぐに芽生えました。私も大学2年生からブライダルスナップの撮影でお金をもらうようになりました。

 浪人の時からなんとなく“手に職”をつけて仕事をするイメージを持っていた私は、写真にのめり込んで行きました。フリーランスになってからも、途中で何度か日雇いのアルバイトなどで食いつなぐ時期もありましたが、今もなんとか写真で生計を立てています。

 こんな自分にとって、唯一できることと言える“写真”で、この不安な世の中に出航して行く若き学生の方々にエールを込めてこのイベントを送りたいと思っています。

 若い時は、ただ異世界に触れるだけでも、人生の肥やしになるはずです。
まずはこの撮影に参加して、こんな呆れた中年のオヤジがいたよと周りに吹聴して笑いのネタにして欲しいと思っています。楽しみましょう。

フォトグラファー古川あきら
https://furukawa-photooffice.com/