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「藤原竜也は元カレ」ごっこ

 取って付けたように「ごっこ」と書き加えたのは、正直、全世界の藤原竜也ファンに刺されることを恐れたからだ。皆さん、よく聞いてください、ごっこですよ、ごっこ。

 こんなタイトルにしておいて言うのもなんなのだけど、私はとりわけ藤原竜也氏のファンというわけではない。(この一文の方が刺傷率上がるかもしれない)
 もちろん映画やドラマでの演技はよく見るし、実写劇場版『るろうに剣心』シリーズの志々雄真実なんかは原作ファンの私からしても素晴らしかった。単に「好きな俳優や芸能人を尋ねられた時に答える人物ではない」というだけの話だ。(だから刺さないで)
 けれど、だからこそ丁度良かったし、この「ごっこ」の持つ力の凄さを実感してしまった。

 ところでその「ごっこ」って、なんじゃらほい?(死語)——とお思いだろう。


 昨年の5月頃だったと思う。その頃私の中で、通勤時地下鉄の駅などで見かける、藤原竜也氏が表紙のホットペッパーの前を「世間には内緒だけど自分が藤原竜也の彼女」というていで通り過ぎる遊びがマイブームだった。(お前は何を言っている?)

 と言っても、出会いはああで初デートはこうで、なんて具体的に何かを妄想する迄には至らない。もしもこれが私が大ファンの某アーティストや某役者を引っ張り出して「ごっこ」をしてしまうと歯止めが効かなくなりあーんなことやこーんなこ——


——コホン。放送に手違いがあったようです。大変失礼いたしました。


 さて、具体的には「最近ちっとも連絡してこないけど、元気そうね」なんて思いながら、澄ました顔でハイヒールをコツコツさせて通り過ぎる、くらいの遊びだった。

 ちなみに最近に限らず竜也から連絡を貰ったことは一度もない。なんなら連絡先も知らない。(大丈夫、説明しなくても皆わかっている)(それより突然の竜也呼びどうした)


 ただそれだけの遊びの何が面白いんだ、阿呆ちゃうのか、と思われるかもしれないのだが、これがなかなかどうして、日常をパーッと明るくしてくれる。

 まだ会社に着いてもいないのに「あー今日も仕事嫌だなー。おうちに帰りたい」なんて思う気持ちも、そのホットペッパーの前を通る時にはどこかへ消えて、なんだか背筋がピンと伸びる。
「ま、私は藤原竜也の彼女だし、こーんな仕事の一つや二つ、格好良くこなさなきゃね。(髪の毛ファッサー✨——TSUBAKIのCM風)」なんて気持ちになるのだ。

 上司からの頼みで仕事が次から次へと増えていき残業を余儀なくされた時には、私の代わりに「ど ゔ し て だ よ ー !!!」と叫んでくれた事もある。
 自分からぶつかって来ておいて舌打ちしてくるクソ——失礼。うんこ野郎や、赤信号なのに急ぎもせずチンタラ道路を渡り始めるババ——失礼。BBAなど、何人もの名前を某ノートに書いてくれた。

 ふとした時に、私の「イラッ」を「クスッ」に変えて和ませてくれる存在だった。

 なんなら、彼女というステータスに見合う自分で在らねば、という潜在意識が女性ホルモンか何かにも働きかけているのか、肌の調子もすこぶる良かった。

 だからこの「ごっこ」は馬鹿に出来ない。(興味)


 冒頭で「とりわけファンではないからこそ丁度良い」と言ったのは、これはあくまで現実の負を脳内変換してくれるものであって、現実逃避で空想の世界に入り浸ることを目的としていないからだ。大ファンである推しでごっこすると、どこまでも現実逃避しかねない。

 ただ、このお付き合い(?)以降、私はテレビや映画、雑誌などに藤原竜也氏を見つけると、親近感に似たような感覚を覚えるようになってしまった。これはもはや他人ではない。(いや、他人ぞ? 一方通行やぞ、大丈夫か?)

 これが冒頭でもう一つ言っていた「だからこそ、この『ごっこ』の持つ力の凄さを実感してしまった」の正体だ。
 そうだな、例えるなら「なんとも思ってなかったコが“そういう感じ”で夢に出てくると何故か気になっちゃうアレ」に似たようなものかもしれない。“どういう感じ”かはご想像にお任せしよう。

 だからこの「ごっこ」は馬鹿に出来ない……。(恐怖)

※中毒性がございます、用法用量をお守りください。

 ちなみに、今はもう別れたので、現在、藤原竜也は私の元カレということなります。冗談です、刺さないでください。





 刺さないでください。

(怖いからハッシュタグに「藤原竜也」入れるのはやめておこう。ブルブルブル)


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