成長の機会は、どこにあるのか。

note書くか書くまいかどうしようと迷っていた筆者ですが、「人の成長を支援する立場でお金もらっている」ので、今回は書こう、と重い腰を上げて書くのです。

◆成長 を辞書で見る

(コトバンクより引用)
1 人や動植物が育って大きくなること。おとなになること。「子供が成長する」「ひなが成長する」「経験が人を成長させる」
2 物事の規模が大きくなること。拡大。「事業が成長する」「経済の高度成長」

発育的な成長はさておいて、今回の論点は「育つ」「大きくなる」が近いだろうか。

◆わかりやすいのは「組織人として」の成長

これを書く筆者も、ここに辿りつく人も、会社、社外のコミュニティ、部活、その他諸々の「組織」になんらか属したことのある人が大半のはずなので、組織にたとえて考える。

どこの企業もチームも、理念やビジョンののもと、その年の目標なりが存在し、そのもとに各部署に定量的・定性的な目標があって、そのもとに個人目標がある。それを達成することが「組織の成長(売上とか社会的役割の達成など)」につながっているとする。

組織に属する個人の目標達成のため、与えられたポジションにおえる職能の「広さ」「深さ」を具体的にし、それを達成することは、理論的にいえる成長ではないか。
(エドガー・シャインの「キャリアコーン」とか、たぶんわかりやすい。)


◆成長しないとどうなるか

成長の反対は、大きくならないこと(=現状維持)。

過去所属した会社で、10年以上「現状維持を続けた」チームを知っている。
メンバーはこのずっと固定、目標という目標は、数年に1回それっぽいお題目が会社にA4用紙1枚のみ。

あとは毎月、毎年、ずーーーーっと、同じように同じように日々を迎えていた(はず)である。
かつての筆者の所属部署ではなかったものの、すこしびっくりした。

結論、成長しないと「適応できなくなる」。

・40歳手前のお兄さんはいつまでも「若手」
・毎月行う事務処理のオペレーションは、誰から見ても煩雑なのに、誰も直さない
・毎年開催する社内イベントは、なんの意味も成さないにもかかわらず「何月何日にやるか」だけが議題にあがる
・ある新しい取組みをやらない理由は「6年くらい前に、社長がやらないと言ったから」

成長をやめている間に、その組織は意味を問うことをやめて、新しいことを取り入れられなくなり、個人としての成長も絶たれる。

会社から孤立した島のようだった。

※その後このチームは徐々に血の入れ替えを行い、イベントの刷新や業務デジタル化が行われるようになるのだが。

組織も人も、成長はしなくてはいけない。
そして成長の機会は、見つけなければいけない。


◆成長の機会とはどこにあるのか

前置きが超長くなったが、ここからが書きたいこと。
組織のメンバーとしても、そうでない個人としても、結局のところ成長の機会はその人自身が見つけ、自分で成長したと定義しなきゃいけない。
究極論、自己満足である。

その「成長したと思える機会を、いかにして見つけられるか」にかかっているかである。

クランボルツの「計画的偶発性理論」というものがある。
簡単にいうと、
Aさん:ねえねえBさん、あの件、どうしてうまくいったの?
Bさん:あれは偶然だよ
の、「偶然」には意味があるよ。ということだと私は解釈している。

https://allabout.co.jp/gm/gc/441716/
(引用)
1. 好奇心:たえず新しい学習の機会を模索し続けること
2. 持続性:失敗に屈せず、努力し続けること
3. 楽観性:新しい機会は必ず実現する、可能になるとポジティブに考えること
4. 柔軟性:こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること
5. 冒険心:結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと

上記の要素は「成長したと思える機会」を増やすうえで、有効な方法だと思う。
実は、自分で成長を定義できるチャンスはいくらでもある。それを、気づけるか気づけないかなんじゃないかと思う。

以上です。


※リアルに知っている人もいる中でこんなこと書くのはばかられるのですが、いつかこの文を見た数年後の筆者が「知ったふりして書いた中二病の黒歴史」と思うくらいがちょうどいいか、と。
そう思えたら「成長」だしね。

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