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『ようきなやつら』を読みました

今日、通勤帰りの電車の中で、漫画を読み始めました。楽しみに見ているYouTube番組『デモクラシータイムス』の中の、特に好きなシリーズ:【マイノリティ・リポート】で紹介されていた漫画。

岡田 索雲(おかだ さくも)さんの最新作『ようきなやつら』です。

鎌鼬(かまいたち)、サトリ、河童、化け猫、山姥、提灯小僧といった日本の妖怪たちが登場する短編集…と思わせながら、実は現代の人間と人権や差別の問題を描いていて、終わりに向かってどんどん重たい内容になっていきます。

鎌鼬やサトリが登場する話では、ユーモアや皮肉も楽しめます。鎌鼬の夫婦の子どもを持つかどうかに関するすれ違いや、口に出すことと心の中で思うことの自由(本音)のあまりの落差に「大人の漫画だなあ」とまだ余裕を持って読んでいたのです。
でも、差別される河童の子どもが出てくる『川血』のあたりから胸が苦しくなってきて、提灯小僧が出てくる『追燈』(ついとう)では、辛すぎて、「もうページを閉じたい、でも読まなければならない」という思いに引き裂かれました。

『追燈』が、関東大震災の混乱に乗じておこなわれた朝鮮人虐殺を描いているからです。

読みながら、地下鉄の座席から立ち上がれず、降りるべき駅で降りられませんでした。残っている証言だけで構成されている物語後半の言葉のひとつひとつが、文字は小さいのに、大きな蝉の鳴き声のように頭の中で響いていました。

未読の方のために詳しくは書きませんが、本の最後の1編『ようきなやつら』で、それまでに出てきた妖怪たちが大集合(つまり生き延びている!)ことがとても嬉しく、素晴らしい構成だと思ったら、なんとこの作品が一番最初に書かれたものだそうです。つまり、ここからさかのぼって、それぞれの妖怪たちの物語がひとつずつ紡がれていったのですね。すごい漫画でした。読めて良かったです!お勧めします。

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