年齢による 認識の差異
そして私は「神」でした??
原作:まはぷる 漫画:トミイ大塚
画像は 最近読んだ漫画のひとコマである
(かなり加工していますが 著作権等の問題があれば 連絡を下さい)
原作者の方の年齢が分からないが たぶん若い方だと想像している
別段非難している訳では無いの そのつもりで読んで頂きたい
年齢による 他の年齢の認識における差異は致し方のないものだと思う
10代から 見れば 30代は おばさん おじさん で
30代から 見れば 10代は 子供であろう
これが 年齢差が有るほど 大きくなる
20代から 見れば 60代は 還暦を迎え リウマチと腰痛を患っている初老であろう 当然である 私自身は まだ60代までは遠いが 20代からも遠いので 何となくどちらの考え方も分かる気がする。。。 気がするだけだが
60歳の人からすれば 自分はまだまだ若いと云う認識であろう
昨今の街での様子から察するに 数十年前の様に 或る程度歳を取ったから
赤い服や派手な服 ロゴの大きな服は恥ずかしいと云う認識は少ない様に見受けられる 似合いもしないの そんな服着ているのかと内心思う事が 結構頻繁にある(もっとも ここには 貧富の差がある事も認識しているが 今回はその件には言及しない)
これも 個人の自由で有り 時代の流れであるので 別段どうでも良いとは思う (尤も 思考の自由もあるので 誰が心の中でどう思おうと勝手と云うのも認めて頂きたい)
要は
20歳から見たら 60歳は初老で リタイヤした人 と認識する
認識された60歳は いやいや まだまだ 人生20年も30年も残ってるし
若造には まだまだ負けない となるのだろう
60歳から見たら 20歳は 法的に成人となっても 未熟な子供と認識する
認識された20歳は いやいや もう完全に大人だし 酒もタバコもOKで
リタイヤした じじぃ ばばぁ は 大人しく引っ込んでろ となるんだろう
お互い生きている時間も違うし 過ごした秋も違うので致し方がない
ならば どちらが 理解し妥協するべきかと問われれば 当然 60歳の還暦を迎えた方だろうと考えるが そう考えない還暦の人の多い事に辟易する
還暦と云えば十干十二支が一巡しているので 生誕した年の干支に還る事で有り 簡単に云うと 人生一周したよね って話であり 語源は中華後漢の時代まで遡る
昔は 赤いチャンチャンコや頭巾を本人に贈る風習が有った様だが 今時の60歳(数え61歳)に そんなモノを贈ろうものなら 怒られるか 嫌われるかで 喜ぶ人が居る事をあまり聞いた事がない
そして 人は齢を重ねるほどに 個人差が大きくなる
2020年 60歳 氷室京介 真田広之 佐藤浩市 黒木瞳 浅野ゆう子
さて これらの方々が 60歳に見えるかという事である
かなり特殊な例だと思うが 年齢による個体差が大きいのがハッキリ分かると云う 証左である
20歳でも凄い人も居る ポンコツも居る
60歳でも凄い人も居る ポンコツも居る
お互いを認める事が一番大事で
年齢や見た目で相手を 侮る 舐める 蔑む と良い事は無い
年齢や見た目による認識の差異を理解し 相手を認めると全てが解決する
20歳と60歳の友情が成り立つと云うのが 凄い人々なのだろう
まぁ レベルが違い過ぎると相手の事が理解出来ないのは ねぇ。。。
有難う御座います 将来の夢のために使わせて頂きます