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射心伝唇〜イシンデンシン 依頼主の声〜 第10話

葵陽は相談所で紹介された女性と会うことを決め、カウンセラーに日程を聞いた後その週の土曜日、池袋駅の南口から歩いて近くのところにあるカフェで待っていると、三十代半ばくらいの女性が彼に向かって会釈をしてきた。
その女性は仲江樹里といい、ショートボブの髪型にベーシックなネイビー系統のワンピースをまとい、目鼻立ちは整っているが控えめな口調で話す人物だった。彼女は相談所に登録してから今回が初めての対面になると話し緊張気味で時折小声になるところが特徴的だ。

ドリンクを注文してからもあまり話を切り出してこないので、葵陽から話しかけていくことにした。

「人と話すのは苦手な方ですか?」
「初対面の方は特にそうです」
「僕と会おうと思ったきっかけって何でしたか?」
「あらかじめお写真を拝見しました。話しやすそうな雰囲気があって、理想的な方かと思いまして……」
「それは嬉しいです。僕は仲江さんのお仕事に関心を持ちまして、翻訳のお仕事をされていると?」
「ええ。英会話教室で扱うテキスト本などの文章の翻訳です」
「英会話できるなんて凄いですね」
「生まれがボストンで六歳の時に東京に来たんです。通常の学校に馴染めなくて、その後にインターナショナルスクールに編入学したんです」
「海外に住もうとはしなかったんですか?」
「はじめは考えていたんですが、どちらかというと日本の方が居やすい。日本にいても海外の人と交流しやすいところってどこかと探しているうちに、今の職場に就いたんです」
「国際交流か。面白そうですね」

相槌あいづちを打ちながら聞く姿勢が女性らしい印象を出してくる。葵陽は自身がフォトグラファーだと話すと写真を見てみたいと言ってきたので、バッグからいつも持ち歩いている小冊子サイズのアルバムを手渡しをした。仲江は人物や風景の被写体が素敵だと話し、それに応じて彼も顔がほころんだ。

「ところで、今はどういったお仕事をされているんですか?」
「雑誌の企画で、依頼主の最後となるテーマを元にそれを写真に収める仕事をしているんです」
「最後……つまり別れというものですか?」
「はい。余命宣告された老夫婦の方や事情があって離れ離れになる高校生、介護の実態に手が負えなくなり持ち家も引き離すご家族など、様々な方にお会いしてきました」

そこへ注文したドリンクを受け取りお互いに何口か啜っていき、仲江がため息をついたので葵陽は彼女の浮かない表情を見ては俯いたのでどうしたのか訊いてみた。

「ひとつ伺いたいのですが……」
「どう、されました?」
「もしものお話で話すんですが、ある一人の最後の方を看取るという依頼って引き受けることっていうのはできますか?」
「ああ……それがもう先月で締め切りになってしまったので、今のところは受付していないんです」
「そう……ですか」
「あの、ちなみにどなたか心当たりでも?」
「私自身なんです」
「失礼ですが、何か症状でも抱えているとか?」
「乳がんです。ステージ三でこれから手術を控えているんです」
「ご実家の方は知っているんですか?」
「まだ、話していないんです。もし進行が早まれば段階も上がると言われました」
「あまりご無理はできないですよね。もしかして早めにお相手の方を探されていたんですか?」

仲江は無言で頷き目に涙を浮かべていたので葵陽は持っていたハンドタオルを渡した。自分の身に起きていることをどう受け入れたらいいのか迷うのはわからなくもないと告げた。

「矢貫さんも何かあったのですか?」
「辛い時にお話しすると戸惑うかもしれませんが……」
「お話してください」
「二十代の時に友人が末期のがんで亡くなったんです。当時はしばらく会っていなかったのでどうしているのか気になってはいたのですが、連絡を受けた時には肺に転移していると言い手術もできない状態でした」
「大変でしたね、辛かったでしょう?」
「自分がこうして健全にいられることがどれだけ幸せな事か思い知らされました」

仲江は半年ほど前に職場で身体に違和感を感じ胸の下にこぶのようなものができていたので婦人科で検査をしたところ症状が判明したという。早期で見つかったのはいいが術後の経過次第でステージ四にもなる確率の高い状態なので生存率も低くなると話していた。
両親からも婚期が遅くならないように相談所にいって欲しいと告げられたので登録したという。しかし葵陽はその場で鵜呑みにはしない方がいいと思った。初対面で親しげに話してくる姿勢に少々の疑問を抱きはじめたのだった。

仲江が他者を騙すような性分ではないと見ていたが仮に結婚詐欺を働かせると自分も何かに巻き込まれてしまうかもしれないと思い、身を構えながら彼女の話を最後まで聞いていた。店を出た後駅で別れる際に仲江は連絡先を交換したいと告げてきて葵陽も一旦は承諾をしてフリーメールのアドレスを教えてあげた。

ここまでの警戒心は持ちたくはなかったが、今ある企画の依頼主たちの件で手がいっぱいだったので彼女との関係は二の次にしようと考えた。


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