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ホモ・デウス(下):ゾッとするサピエンスの未来

先日書いたホモ・デウス(上)に続き、下巻を読み終わったので情報をシェアしたい。
大体のポイントは網羅していると思う。


時間は有限。
自分に合う良書を求めている人、参考にしていただければ。

現代=取り決め。

現代は、ありとあらゆる取り決めの上に成り立っている。
国の法律、国民の義務、国際社会のルール、経済活動、地域の文化、医療制度。
こうした取り決めがあるから、人は団体としてやっていける。

この本ではこういった取り決めについて、こう書いている。

この取り決めを撤回したり、その法を越えたりできる人はほとんどいない。この取り決めが私たちの食べ物や仕事や夢を定め、住む場所や愛する相手や死に方を決める。
ホモ・デウス(下)P. 7

なんと。
取り決めは集団社会を上手く機能させるにはとても便利だが、あまりにも隅から隅まで人の生き方に浸透していて、まるで取り決めが人生を操っているようだ。

この「取り決め」について、ホモ・デウスではシンプルに一言でまとめている。

すなわち、人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する、というものだ。
ホモ・デウス(下)P. 7

神の王国から人間の王国へ

その昔、人間の生きる意味は神が与えてくれていた。
たいていの国には神話があり、神によって世界がどう作られたのか語られているように。
人間は神を恐れ、敬い、愛し、自分たちが歩む道筋を示してくれるよう祈った。ついでに、ご加護も求めた。

ところが、文明が発展していくとともに、神と同じほど――というより神以上に重視される存在が現れる。
科学、知識、数字といったものたちだ。

「人間は力と引き換えに意味を放棄することに同意する」とは、神よりも科学・知識・数字といった存在を重視する代わりに、神がこれまで与えてくれていた「生きる意味」を放棄すると人間が認めたということ。
ニーチェの言った「神の死」は有名な話だ。

神が人間に与えていた意味とは、人間が存在する理由(神が創造した愛すべき存在など)・価値・生きる目的など。
善悪は人間が決めるものではなく神の指針で決まっていたし、人生の中で成すべきことも神が教えてくれていた。
そんな神の王国は終わりを告げ、人間が支配する人間の王国が到来したのだ。

人間は神を完全に手放したわけではない。
が、完全に手放す日は近いかもしれない。ホモ・デウスでは、こんなふうに語られている。

私たちは全能を目前にしていて、もう少しでそれに手が届くのだが、足元には完全なる無という深淵がぽっかり口を開けている。
ホモ・デウス(下)P. 9 - 10

「完全なる無」とは?
科学的に説明すると、生命の登場は偶然の賜物だ。そこに大いなる神の意志は存在せず、人間は微生物が進化を遂げた生き物。飛び抜けた知能を持ったのは偶然で、身体は小さな細胞が無数に集まって形を成しているに過ぎず、すべての始まりは無から突如発生したビッグバンによって宇宙が誕生したからだ。

人間の王国に「約束された天国」はない。
無から始まり、無に返る。
けれど生きている間のことは、細部にわたって指示してくれる。

内なる声に耳を傾けようじゃないか

人間は神の声に熱心に耳を傾けなくなった。
代わりに聞くのは、内なる声。自分がどう感じるのか、自分はどう思っているのか、という声だ。
ホモ・デウスでは、こんなふうに語られている。

意味と権威の源泉が天から人間の感情へと移るのに伴って、世界全体の性質も変化した。それまで神々や精霊や悪霊で満ちていた外側の世界は、何もない空間となった。それまではむき出しの感情の、取るに足りない領域だった内側の世界は、計り知れぬほど深淵で豊かになった。
ホモ・デウス(下)P. 49

「神の存在を信じている」という人も、実のところ「神は存在する」と強く信じる自分の内なる声に耳を傾け、その声に重きを置いていたりするものだ。

知識は人間が作り上げるものへ

昔のヨーロッパは「知識=聖書×論理」だった。
もっとも知識があり徳があるのは宗教者で、物事の真理はすべて聖書の中にあった。答えが1冊の書物(宗教によって書物の呼び名は違うが)に集約されているから、今よりずっとシンプルだった。

ところが科学革命後、「知識=観測に基づくデータ×数学」に変わった。
そこに神の介入はない。というか、神の介入が見られた時点でその「知識」は怪しいと取られる。
現代のありとあらゆる知識は、人間が観測し、人間が作る。
絶対なのはデータと数字であって、神ではない。

人間は本当に自由なのか?

神の束縛から解放され、内なる声に耳を傾け「個人」が重要視される社会となった。
好きなファッションで自分を表現し、好きな本を読んで、自分が支持する政治家に票を入れる。一見とても自由になったようだが、人間は本当に自由なんだろうか?

実のところ、取り決めが隅々まで生き渡った現代社会は、思ったほど自由ではないかもしれない。
生まれた国によって、教育水準や食生活や宗教活動はだいたい決まってしまう。幼児教育の次は初等教育、という教育システムの流れに乗らないと、社会からつまはじきに遭いやすくなる。しかも、お金を稼がないと生きていけない。

しかも、人間が頼りにしている生命科学さえ、自由なんて考えは虚構だと主張する。個人とは生化学的アルゴリズムの集合だ、と主張するのだ。
ところが人間は、自分たちはとことん自由だと信じたいらしい。

それどころか、リチャード・ドーキンスやスティーブン・ビンカーら、新しい科学的世界観の擁護者たちでさえ、自由主義を放棄することを拒んでいる。彼らは自己と意志の自由の解体のために学識に満ちた文章を何百ページ分も捧げた後で、息を吞むような百八〇度方向転換の知的宙返りを見せ、奇跡のように十八世紀に逆戻りして着地する。
ホモ・デウス(下)P. 131

AI、データ教、そして人間は自らをアップデート

人間の王国で目下どんどん力をつけているのが、コンピューターと数字だ。
この先いったい人間の未来はどうなるのか?
ホモ・デウスでは、アルゴリズムとAIが人々の職業を次々に奪っていくだろうと予想する。代わりに新たな職業も生まれるが、無職になった全員を補うにはほど遠く、「無用者階級」という無職層が誕生するだろう、と語る。
AIの進出で国自体は豊かになるので、無用者階級の人も社会保障を受けられ、死ぬことはない。らしい。

今後ますます価値が高まるのは「データ」だ。
アルゴリズム、経済活動、人口の流れ――とにかくすべてがデータ化され、人々はそのデータの海に喜んで飛び込んでいく。
すでにSNSが急速に広まり、データ漬けになっている人も多いだろう。

グローバルなデータ処理システムが全知全能になっていくと、このシステムにつながることがすべての意味の源になる。人はデータフローと一体化したがる。データフローの一部になれば、自分よりもはるかに大きいものの一部になるからだ。
ホモ・デウス(下)P. 232

もはや、これは新たな宗教。データ教だ。
すべてを見守っていた神に替わり、データ教は私たちにこう語りかける。

あなたの言動のいっさいは大量のデータフローの一部で、アルゴリズムが絶えずあなたを見守り、あなたのすること、感じることすべてに関心を持っている、と。
ホモ・デウス(下)P. 232

しかも、現代の人はみんな、この語りかけを気に入っている。

熱狂的な信者にしてみれば、データフローと切り離されたら人生の意味そのものを失う恐れがある。何かをしたり味わったりしても、誰もそれを知らないとしたら、また、グローバルな情報交換に提供するものがないとしたら、何の意味があるだろう。
ホモ・デウス(下)P. 232

TwitterやFacebookに写真を投稿してみんなに見てもらえないなら、こんなに美しくデコレーションされたケーキを食べる意味があるだろうか?
大金を出して新作のプラダを買う意味は?
おとぎの世界のような島国へ何時間もかけて行き、ぬけるように青い海で泳ぐのは何のため?

他の人が誰も読めないようなものを書いて、何になるというのか? 新しいスローガンはこう訴える。「何かを経験したら、記録しよう。何かを記録したら、アップロードしよう。何かをアップロードしたら、シェアしよう」
ホモ・デウス(下)P. 232

やがて人間は、テクノロジーの力で自らを改造し、優れた人間モデルであるホモ・デウスを生み出すだろう。
まずは手始めに、もっとよく見える目、もっとよく聞こえる耳、もっと速く走れる脚あたりから始めるかもしれない。遺伝子操作で、もっと知能の高い子供を作ろうとするかもしれない。脳の中にチップを入れて、思考だけでコンピューターを制御しようとするかもしれない。

どんなきっかけであれ、いったん人間のアップグレードが始まれば、それを止めるのは難しいだろう。そうなれば、アップグレードした人間と旧式の人間との間で、新たな格差が生まれるのは必須だ。

本の最後に提起されている問い

ホモ・デウス(下)の最後に、以下の3つの問いが投げかけられている。
これは答えがあるものではなく、これから人間が考えていくべき課題といった形だ。

1 生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか? そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?
2 知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?
3 意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになった時、社会や政治や日常生活はどうなるのか?
ホモ・デウス(下)P. 246

最後に

これから人間はどんな道を歩んでいくのか?
AIが出現したら世の中はどう変わっちゃうの?
そんな疑問に対する「予想解答」の数々がこの本には書かれている。

生きる意味について、現代社会の在り方について、人類の未来について――とにかく色々と考えさせられる、刺激的な本だった。
一気にユヴァル氏のファンになって、YouTubeのインタビューなども漁っている。
今後も彼の活躍に注目していきたい。



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